私は『時間』と、どう向き合いたいか|『暇と退屈の倫理学』読書ノート
私は迷子だった。
「時間がない」と焦っていた20代後半。無理やりにでも「時間がある状態にしよう」と決めて、仕事を辞めた。それが30歳の時だった。
その後、無力感と無気力感に襲われた。持て余した時間とエネルギーをどう使ったらよいかわからず、何をやっても満足感がなく、空回りしまくった。
あんなに日々の生活に疲弊していたのに、何故かエネルギーが有り余っている。「時間がない」と焦っていたのに、時間ができたらできたで、それを上手に扱えない。
有り余るエネルギーをどこに向けたらよいのか、わからなかった。帰る場所を無くした孤児のよう。私は迷子だった。
そんな体験から、「時間」と向き合うことが、2023年の私のテーマになっていた。「テーマになっていた」と気が付いたのは、本棚に時間をテーマにした本がずらりと並んでいたからだ。
生活を立て直してからは、マイペースな過ごし方が掴めてきて、いつの間にか「時間がない」という言葉を使わなくなっていた。
けれど、あの迷子になっていた頃を思うと、あの時の虚しさや無気力感は、なんだったのだろうかと。言葉にならない気持ち悪さがあった。
私はこれから「時間」とどう向き合ったらよいのだろう。今、たまたま抜け出せただけで、また”あの渦”に巻き込まれはしないだろうか。そんな、微かな恐怖感があった。
そうしたある日、たまたま書店で手に取った本が、「暇と退屈の倫理学(新潮文庫)/國分功一郎・著」だった。読んですぐに、この本が大好きになった。一回通読して、まだこの世界に浸っていたいと思って、もう一度読み返したくらいだ。
あの空虚感、無力感、無気力感は、なんだったのか。それが、著書を読んで、すっきりしたのだ。答えはシンプル。
「私は、退屈だったんだ」と。
時間がほしい。けれど、退屈は嫌だ。忙しくなりすぎるのも嫌だ。暇を謳歌したい。
こうした葛藤は、私にだけ起こっていることではないのだと知った。著書によると、あのやり切れない気持ちは、人々に共通する想いだったようだ。
そして著書を2回通読して、希望が見えた。
きっと、私も退屈を克服できる、と。
そうしてこの著書に救われた経緯があり、この著書のことを共有したいと思った。
そこで、いま時間と向き合いたいと思っている方に向けて、読書ノートを書いてみた。膨大な内容の中から、「暇と退屈の違い」と「幸せな時間の使い方」だけをピックアップして、箇条書きにまとめたものである。
どういう時間の過ごし方を、自分は幸せだと思えるのだろうか。この記事が、それを考えるきっかけになればいいなと思う。
暇と退屈の違い
そもそも、暇と退屈の違いとは、何なのだろう。
著書の内容を、以下のようにまとめた。
1.暇とは
・何もすることのない、する必要のない時間のこと
・客観的
・暇がある=余裕がある=裕福である
・暇がない=経済的に余裕がない
2.退屈とは
・何かをしたいのにできないという感情や気分のこと
・主観的
・退屈の反対は「興奮」
・退屈は消費を促し、消費は退屈を生む
・退屈の種類(レベル)は3つある
☑︎第一形式:常に何かやることを探している。自己喪失がある。
☑︎第二形式:安定がある。気晴らしをしている。退屈にひたっている状態。
☑︎第三形式:「なんとなく退屈だ」。気晴らしが無力な状態。
(第一形式→第二形式→第三形式の順に、退屈は深まる)
3.暇と退屈の関係
①以外の状態は、満足な時間の使い方ができていなくて、心が満たされていないんだなぁ、と想像できる。退屈は、欲求不満な状態を生むね。
どんな時間の使い方が幸せなの?
暇と退屈の概要が、なんとなくつかめたところで、「どんな時間の使い方が幸せなのか」について、まとめていきたい。
1.なぜ退屈するのか
人間が、自由度高く環世界を移動できるから。
2.幸せな時間の使い方のためにできること
楽しみ・快楽をもとめることができるようになるために、著書の中では以下のことが提案されていた。
①贅沢を取り戻す
=気晴らしを享受する
この内容を読んで、状況を楽しむ前向きさが、幸せをもたらしてくれるように感じた。また、「味わう」ということは、例えば行動に対して×1.5倍くらい時間をかけるイメージかなぁとも思った。
時間を贅沢に使えている感覚が、「贅沢を受け取る」ことを体感させてくれているのではないかなぁ。
②動物になる
=「退屈」が入り込む余地がない状態
「動物になること」という表現が、わりと理解することに時間がかかった。自分なりの解釈ではあるけれど、環境を変えること、日常に変化を加えることで、退屈が入り込む余地がない状況がつくられるのかなと思った。
私は『時間』と、どう向き合いたいか
私が本を読んでまとめたことを、ざっと書き出してみた。わかりにくいところもあるかもしれないけれど、ぜひ本と照らし合わせながら読んでみていただけたらと思う。少しでも本が読みやすくなれば嬉しいなぁと思う。
著書を読んで感じたのは、身をもって体験したことを、こうして言語化していただいた本で味わいなおす。それは、この上ない幸せだなぁということだった。
そして「私は『時間』と、どう向き合ったらよいのか」というよりも、「私が『時間』と、どう向き合いたいのか」。それ次第なんだなということだった。
それは、受動的なきもちではなく、能動的に時間に向かい合っていく感覚だ。つまりは、「いかに楽しみ・快楽を得るか」ではなく「いかに楽しみ・快楽をもとめることができるのか」ということ同じことかなぁと思う。
だから、なぜ「やりたいことをする」ことが大事なのか、ということも腑に落ちた。それ自体が、楽しみ・快楽をもとめる行動だからだ。
「何かしたいのにできない」という欲求不満さが「退屈」なのだから、やりたいことをやらないのであれば、退屈からは抜け出せない。
やりたいことをやり切って初めて、「何もする必要のない状態(=暇)」が幸せだと感じられるのだろう。(「やり切る」ということも、私は大事だと思う。)
「やりたいことをやり切る」ことは、「『やりたくないこと』を、ちゃんとやらないこと」なんだなぁと思う。
やらない決断ができるから、五感が研ぎ澄まされて、やりたいことが見えてくる。そして、やりたいことが味わえるのだ。もっともっと、「やりたい」という気持ちに、素直に、貪欲に、なっていいんだと思う。
そう思えば、「時間がある状態にしよう」と決断したあの時の自分は、間違ってなかったのかもしれない。おかげで、やらない決断ができたのだ。
その後、退屈の渦に飲み込まれてしまったけれど、いまはそこを抜けられたのだから、あれはステップアップするための決断だったんだと。それでよかったんだなぁと思う。
もう、きっと時間の迷子には、ならないだろう。退屈になったり、暇になったり。そんなことを繰り返しながら、やりたいことに真っすぐになれる。それでいいし、そんな時間を、生きていきたい。