ゆっきーのnote攻略法!vol.2
✅まえおき
1億総noter!のみなさんこんにちわ!冬寒いですが「元気ですかー!」
元気があればなんでもできる!とアントニオ猪木をリスペクト!
いつも私の投稿を見て頂き誠にありがとうございますm(__)m
前回「ゆっきーのnote攻略法!vol.1」からvol2。2回目になります。
いつも「私のnoteは長文!」なので短めにします。
それではよろしくおねがいします!
私の好きな声優上坂すみれさんの動画です!どうぞ!
✅noterにおける「うぬぼれ(自惚れ)」の重要性
マンガ「バクマン」はご存じでしょうか。そこに下記の名言があります。
一番大切なのは「努力」。より良いマンガの専門職である「マンガ家」それ以外の職種でも「努力」は己を磨き高めるための大事なステータスです。
しかし私は「うぬぼれ(自惚れ)」がnoterで重要だと力説します。
うぬぼれとは文字通り「自分に惚れる」ことであり、自分のありのままの才能・能力などを信じて、その信念を元に努力して頑張れるものです。
自分の才能・能力などが足りないことを知って、さらに努力・頑張ることで自信をつけるのも「うぬぼれ」の力と言えます。
うぬぼれを以って自分の投稿を他のnoterに伝えることは
自分を自信(ポジティブシンキング)にする
自信のある自分を他人から認識・評価されて信用・信頼を得る
「うぬぼれ」を元に「自分がトレンド」になり商機・成功につなげる
などnoterとして「うぬぼれ」は努力と同様かそれ以上に大事なものです。
例えばnoterさんの記事で
「テストがある。勉強してないので自信がない」
の投稿やつぶやきがあると、その記事をみた読者は
「テスト嫌いなのかな」「自信がないのは勉強していないだけ」
など当然ネガティブな心象をうける読者はいます。これを
「テストがある。勉強してないけど60点取れる自信がある」
の投稿やつぶやきだと
「勉強してなくても60点取れる自信があるんだすごい」
「テスト本番に強い心臓してそう」など及第点で微妙な60点でも、ポジティブな心象をうける読者は多いはずです。
実際この例の投稿者の結果がどうであれ、後者のほうの「自信(うぬぼれ)がある」方に好感を得てスキ!などもらえる公算はありますよね。
能力の絶対値が足らずとも「まだ自分には伸びしろがある」と能力の弱点・無力さに自信をもって「努力」できれば迷わず能力向上できますね。
これが自分の能力に「うぬぼれ」が無いと、己の弱さを秘匿して過小評価をしてしまい、鋭い他者から「ごまかしてる」「嘘っぽい」と看破され「自分のうぬぼれ・自信の無さで己の能力を自ら放棄する」「嘘っぽく思われて信用されない」といった「noterとして致命的な短所」となります。
たたし「うぬぼれが過ぎて自信過剰・傲慢になる」のは過ちで
「このゲームみんなムズイと言うけど俺にとって楽勝!」
と他者を煽り見下す自己の自信アピールは、どれだけゲームなどの能力があっても当然心象は良くありません。
前回の「ゆっきーのnote攻略法!vol.1」にある「誠実さと謙虚さなど徳性は人間としての大切な心得」なので忘れず上手く「うぬぼれ」て下さい。
バクマンの話に戻しますが「努力」が一番!でも己を信じる・愛する「うぬぼれ」がなければ、己が「努力」に自信ができずに封印してしまい、自信の無さを看破されると誰からも信用されず「運」も逃がしてしまいます。
はじめから自信のない人のマンガや投稿記事など「投稿者の自信のない創作物は見る価値がない」として私も他のnoterも誰もが思うでしょう。
私もかつて自分のうぬぼれの無さで自分を愛せず己を過小評価して、他人と他人の評価が怖くて堂々と生きれませんでした。私が思うに「noteは自己のうぬぼれの加減を知るためのコミュニケーションツール」です。
「うぬぼれ」に偽りなく堂々としていれば
読者にもその潔さが能力の有無関係なくポジティブに見てくれる。
「うぬぼれ」がなく自信のなさや己を偽って過小評価すると
読者にもその度量の無さを能力の有無関係なくネガティブに見られる。
noteは何度も誰でも修正ができて「敗者復活や成り上がり」ができます。
記事をテストで例えると「最初は0点でも修正(リテイク)がいつでも何回でもできて、点数を30点にも50点にも100点にも」できます。
noteは最初は「うぬぼれ」が無くても、投稿を続けることで何かしらの「うぬぼれ」が持てて、それが自虐的で背徳的な「うぬぼれ」でも、見てくれる他のnoterの中には、スキ!してくれる人もいます。
よく目上の人物に「うぬぼれるな!」とかリアルかマンガ・小説などのセリフであり何か意味・含蓄をもたせるセリフがある気はしますが、私はその「うぬぼれるな!」かそれに類似した言葉は大嫌いです。
「自分に惚れるな」と当人を否定して価値を見下げているだけです。「うぬぼれるな!」と言ってる人物はきちんとフォローやアドバイスはしているでしょうか?何もしなければただの「言葉の暴力・老害の発言です」。
その発言が例えば親や先生や先輩や老人などの目上の人に言われたら「言わせるだけ言わせて無視してもっと自分を『うぬぼれて』」下さい。
自分の能力や才能を決める最終決定者は必ず「自分」です。その決定権を自分でない目上の他人に主導権を生殺与奪されて唯々諾々に操り人形になるのは「自分を見失っている。『うぬぼれる』権利を放棄しているに等しい」です。今そうなっている人は「うぬぼれる」権利・主導権を自ら取り戻し、そうした存在と『心の中』で決別してください。
過去の私ゆっきーも他人に言われるままにして自分に「うぬぼれ」なかった自戒も込めています。なので私と一緒に「うぬぼれ」ましょう。
✅WBCの大谷翔平から学ぶ「うぬぼれ(自惚れ)」の重要性
大谷翔平がWBCのアメリカの決勝で言った「憧れるのはやめましょう」がありますね。「憧れたままでは超えることができない。自分に自信・うぬぼれていこうぜ!」と日本のサムライを激励したと私は要約します。
彼のその言葉で奮起した日本のサムライは見事WBCで優勝しました。
大谷翔平のあの言葉こそが「MVP級」の価値があると私は確信します。
憧れることは確かに憧れる対象をリスペクトすることなので大事です。ですが憧れるあまり自分の自信・うぬぼれを見下げていたら相手を超えることは永遠にできません。大谷翔平のWBCのあの言葉はすごく深いのです。
大谷翔平も「今の日本のサムライなら絶対優勝できる」ことを確信していたので「憧れるのはやめましょう」のWBCで永遠に残る名言がでました。
そうです大谷翔平は日本人の美徳である憧れる=従順さではなく、憧れるのをやめる=日本のサムライの従順たるひたむきさ・強さを絶対信じて、うぬぼれて絶対勝ちにいこうぜ!と吼えたのがあの名言です。
私は今でもその言葉は人生の名言として永遠にリスペクトしたいです。
なので、大谷翔平の言葉から誕生した「憧れるのやめる=自信・うぬぼれを持つ」ことをしていこうじゃありませんか!
「うぬぼれ」は「noterの誰もが自己肯定感や自信を持つための最強のマインド」だと私は確信しています。みなさんもnoteで「うぬぼれ」をたくさん学んで、挫折して、経験して、成長して、反復継続して「俺がトレンド!」「誰も傷つけない・誰からも傷つけられないうぬぼれ力」を一緒に身につけましょう!
✅おわりに
いかがだったでしょうか。noterに限らずいろいろなことにも「うぬぼれ」が大事なことが理解してもらえたら「めちゃありがたい!」です
自分の記事の宣伝も兼ねてですが、最近投稿した #文豪へのいざない の2作品(欲張って作った。うぬぼれているから 笑)を視聴して私の「うぬぼれ」ぶりをご笑福くださいm(__)m。
過去作品をうぬぼれをもってだせる私の「うぬぼれ」ぶり!これnoterとして大事です。みなさんも私の「うぬぼれ」で色々パクって、視聴して、楽しんで頂ければ幸いです。それではまた!OK! my friend!