見出し画像

緩やかにすこやかに

#スポーツがくれたもの

 私がスポーツのテーマで書くのはふさわしくないかもしれない。何故なら私はもう還暦すぎのただの市民であり、体を動かすことを継続的に楽しんできたにすぎないからだ。でもあえて、誰でも楽しめる運動をしている私のこれまでのことをまとめてみたいと思う。

<そういえば中学時代>

 私はどちらかというと運動があまり好きではなかった。そして我が家は、文武両道は理想論、学業第一だった。
 しかし私は、友人に誘われバドミントン部に入った。当時体育館が使える日は週2日、しかも卓球部と半分ずつ。私の中学の部活の思い出はコートでの練習よりどちらかというと、ランニング、柔軟(ストレッチ)、筋トレ、壁打ちだった。しかし今でも覚えているが、私はシャトルを打つ時のシャッという音、体育館の床を動く時のやや耳障りなキュ、キュッという靴音が好きだった。

また、クラスメートに「部活の時って、いい顔してるね。」といわれ、ちょっと驚き、運動が苦手だった私が少し自己認識を変えたきっかけだった。

<淡々と高校時代>

 高校は男子が多く、女子の運動部は硬式テニス部だけだった。私はバドミントンを続けたい気持ちはあったが、知り合いを集め新しく部を作る力はなかった。私は文科系部活の友人やクラスメイトとの音楽鑑賞や読書で満足していた。

<大学での新たな出会い>

画像1

 大学では偶然にももう一つので運動との出会いがあった。私は教職課程を取っていたため、50メートル泳いで水泳の単位を取らればならなかった。とても50メートルは泳げなかった。そこで、友人と大学主催の水泳合宿に参加して、なんとか泳げるようになった。

 その時、まず体を動かすことではなく、水にふわっと浮く感覚を身につけさせてもらった。そして水の中で魚になったような、いつまでも泳いでいたいような気持よさを経験できた。

<仕事と家事の板挟み>

今考えると、人生の見通しが甘かったと思う。私は就職、結婚、出産を20代の後半で経験し、その後は2回の育児休暇を挟んで、職場、保育園、家をグルグルと回るパニックのような10年余りを過ごした。
 子どもたちはかわいかったし、素直に健康に育てたかった。でも仕事も知識や技術をスキルアップして、役立てたいと思っていた。1日が24時間では足りないけど睡魔には勝てない、そんな日々だった。

<緊張を解き放ってくれたのは>

画像2

 私の肩の力がフッと抜けたのは、ちょうど40代に入ったころだ。子どものママ友がスポーツクラブで水泳やダンスをしている、と聞いたのだ。初めは、「いいな。でも私なんか時間ないし。」とは思ったが、体験だけと、行ってみた。
 そしてジムの体験のあと、たまたまやっていたエアロビクスのレッスンに参加した。ビートを刻んだ音楽に乗って、インストラクターの先生の声に合わせて動く、動く。

楽しい。ただただ楽しい。じわっと汗もかいてきた。結局、忙しい中ではあったが、入会して週1回程度エアロビクスのレッスンを受けた。毎回、終わってみると、不思議と自分のこころの中に抱え込んでいた、モヤモヤしたものが何故かなくなり、スッキリした。

<そして今>

 仕事を退職した今も、エアロビクスは楽しく週1~3回、振り返ると20年以上続いている。その間、腰、膝、股関節に痛みを覚え、やめようかと思ったが、ヨガや筋力トレーニングも入れながら、心身のメンテナンスを行って継続している。

 残念ながら、今はクラブに行くことは減ったが、オンラインレッスンでほぼ毎日、外出先でも楽しんでいる。今や運動は生活の一部となった。私のこのゆるやかな運動生活を支えてくれた、お世話になった周囲の人々にとても感謝している。
 そしてこれからは動ける身体と環境に感謝しながら、健やかに緩やかに続けていきたい。


◎今日も私のnoteを読んでくださり、ありがとうございます。


いいなと思ったら応援しよう!