私たちが一生「本はともだち」にはなれない理由
「本はともだち」
学校の図書室に、こんな標語が貼ってあった。
子どもや若者の本離れが進んでいるといわれる時代。本と友だちのように触れ合い、親しみ、本の魅力を知ろうという意味なのだろう。
でも「ともだち」なんて嘘だ。
わたしは幼稚園の頃から本が好きで、図書館に通ってたくさんの本を読んできた。大学生からはブックオフで小説を読み漁り、社会人になってからはビジネス書や実用書にも手を出すようになった。マンガも含めれば、本と過ごした時間は膨大だ。
それでも、わたしはいまだに本と友だちではない。
この先一生、本とはともだちにはなれない。
なぜなら、本は自分と対等な立場にいないからだ。
本はいつも自分の先にいる。どんなに多くの本を読んでも、決して追いつけない。
「悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に 分厚い壁があるんだ」(鬼滅の刃 第66話より)
漫画『鬼滅の刃』で、主人公の炭治郎が言ったセリフだ。読書もまさに同じで、何か1つ理解してもまた新しい本が登場する。読んでも読んでも、本と対等な立場の「ともだち」までたどり着けない。
本は人生の先輩であり、エスコート上手な年上の恋人であり、師匠であり、はるか遠くで人間を見守る神様でもある。
読書をするわたしの心の喜怒哀楽を操り、最高にハッピーな気持ちにするときもあれば、どんよりと暗い気分にするときもある。悩みを解決するヒントを与えてくれたと思えば、心を一層モヤモヤさせるときもある。
こんなに人の心をもて遊ぶ奴なんて、友だちなんかじゃないはずだ。
でも本が自分の先を歩く存在だからこそ、読書によって未知の世界に足を踏み入れられる。これが最高に面白い。散々振り回されるけど、自分ひとりでは行けない世界に連れて行ってくれるから、本という先輩が本当に大好きなのだ。
この先も、友だちにはなれない本に一生振り回されていきたい。