雨のマリオットホテル
雨のマリオットホテル
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わたしが暮らす、ここINDONESIAのSemarangに日本から来るのはいささか骨の折れる移動になる
海外に全くいったことがない人や、インドネシア語はもちろん、英語が不得手なひと、そして体力に自信がないひとにはいささかハードルが高いのだ
その理由は、日本とインドネシアの約6.000kmの距離だけの問題ではなく、やはり乗換の問題が生じるからだ
日本からの直行便は、成田空港から首都JAKARTAのスカルノ・ハッタ空港しかなく、その他はアジアの諸都市ー韓国やタイ、フィリピンやシンガポールを経由しても、ひとまずはJAKARTAを目指すことになる移動が、最もポピュラーになるはずだ
あるいは、バリ島を経由しての乗換か
いずれにせよ、JAKARTAからSemarangへの移動には空路が一時間と最も近く、また安いが、それでもそこに一切の問題がないわけではない
INDONESIAの国内線にもLCCが頻繁に発着しているが、その中のひとつの航空会社は、あくまでオンライン上、そして現地の駐在員たちの情報交換の場では
”墜落航空”や”空飛ぶ棺桶”と評される”世界最悪の航空会社”の異名をとるLCCが存在していて、実際に数年前までは何度か墜落し、大惨事を招き、インドネシア中から非難を買っているのだ
だからそうした最低限の情報を持っていないと、最悪の場合はジャワ海に肉体をばらまかれるような悲惨な事故に遭うことになるのかも知れない・・・
そうした理由があって、やはり不慣れなひとがここSemarangまで来ることはいささか難易度の高い移動となるのだ
長距離のフライトに加えて、当地での乗り換えは、特に病み上がりのひとにも身体的にも精神的にもずいぶんと堪えることになる
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女傑、東より来る
十月のある日、再び東京本社から会長(75)がこちらにやって来られて、会長室の昼食の席で、自らが自宅で包丁を握って作ってくれたお弁当を共に食べながら、会長はこういった
”近いうちに本社から〈社長〉が来ることになったよ”
わたしの会社には、<社長>は二名いる
ひとりは東京本社を管轄する、会長の長女ー女社長
もうひとりはここSemarangを管轄する男性”CEO”(49)だ
厳密に言うと分社化でふたつの会社が存在していることになり、わたしも、そしてCEOも東京本社からの出向ー駐在員という身分を保証されていることになる
業務上、<社長から連絡があった>や、<社長から指示があった>はそのどちらからの連絡および指示なのかに一瞬戸惑うことがあるので、便宜上わたしは<社長>と<CEO>の二通りの呼称を使い分けているのだ
会長がいう<社長>はもちろん東京本社のご自身の長女ー女社長の方だ
わたしはいなり寿司をひとつつまみ、舌鼓を打ちながら会長に訊いてみた
”今回、社長がこちらへこられる目的は何なのでしょうか”
会長はいった
”視察だね”
それを聞いて、なんだ遊びに来られるだけなのか、とはわたしは考えなかった
会長の長女ー女社長はここ数年で、ある死病に侵され、生きるためにある臓器の大部分を手術で失っている
それは生存確率の極めて低い手術だったとは聞いていたが、社長はそれを克服してきたのだ
年齢は正確には聞いていなかったがおそらくはわたしと同年齢か、少なくとも同世代なのは間違いない
だからその死病に侵されるのにはまだ若いと言い切ってよかった
その若さで、いったいどれほどの絶望感を味わってきたのだろう
会長が興した、日本でも有数の高級家具メーカーを引き継ぎ、肉体的な激しい痛みを伴う病魔との闘いの中の病床の中で、このような想いを抱かれたのは間違いない
わたしはもう、Semarangに行くことはできないのかも知れない
ここSemarangは間違いなく会社の心臓部なのだ
いや、それ以上に、ご主人や小さなお子様と、あるいはもう・・・
といった絶望的な想いに囚われていたことは間違いない
しかも、今春には会長の奥様であり社長の母親ー専務が同じ病気で急逝されてしまった・・・
その<社長>の復活の兆候はあった
数ヶ月前から週に何度かは東京本社へ出社されるようになり、約一ヶ月前に東京とスマランを繋いだオンライン・ミーティングでは、わたしも実に二年ぶりに社長と画面越しの対面を果たすことができたのだ
驚いたのはその社長の髪で、すべてを綺麗なアッシュ色に染め上げてのご登場だった
そしてそれが、とても良く似合ってもいた
もちろんそれは病気と無関係ではなかったはずだ
強力な薬の副作用が、毛髪を徹底的に痛めつけることは広く知られた事実だった
だからそれを隠すために髪の毛を染め上げる必要があったのかもしれない
もしくは、気分転換や復活の狼煙を上げるようにイメージを変えられたのかもしれない
この<社長>
大学は東京とアメリカのシアトルの大学院にまで進み、専門はもちろん経営戦略と財務管理、特に会社の資産運用に辣腕をふるっているという話だけは聞いていたが、家具の製造工程は(おそらくは)全くといっていいくらいに専門外で、だからわたしとは管轄する部門が決定的に違っていた
業務上、普段から連絡をとるということはほとんどなかった
そして病魔との闘いの時期はきれいに新型コロナウィルスの大流行と重なり、もちろん海外に展開するあらゆる日本企業は大打撃を受けた
わたしたちの業界でも、それは如実に数字によって表された
家具、それも高級家具はわたしたちが生きていくうえでは必ずしも必須のものではないからだ
旅行業界が大打撃を受けたことはすなわちホテル業界が大打撃を受けたと同義で、次々と進行中のプロジェクトは無期限に凍結されたが、それでも会社の業績は揺るがなかった
この<社長>は病床でオンラインと電話を駆使して資産運用の采配を採り
外部の有識者の助言を聞き入れ、ときに撥ねつけて、リスクを可能な限り分散させながらも一刻一刻変化していく社会情勢を見極め、会社の業績を守り抜いた女傑でもあった
あるいはこのことは、経営者としては至極当然のことなのかも知れない
しかし、死の恐怖に晒されながらも、会社に訪れた未曾有の危機を潜り抜けたのだ
やはり、ただものではない
わたしがこの社長に直接最後にお目にかかり、会食を供にさせて頂いたのがちょうど二年前の秋の東京
一度じっくりと様々なお話しを伺えればと思っていたが、その機会がようやくここSemarangにて巡ってくることになった
名は、玲於奈
玲於奈社長
会長は続けた
”今週末は空いているかい?”
わたしは11月から新居に引越しをしていた
インドネシアに暮らす外国人ー居住エリアにも拠るが、基本的に同じ場所に住むことは一年しかできないのだ(あるいは一年延長)
よってわたしはSemarangに赴任してから二回目、三拠点目の引越しの必要があり、広大な敷地の一軒家から、高台にある高層アパートメントの十七階の角部屋へと引越しを済ませたばかりだった
膨大な数の衣類と日本から持ち込んだ書籍を中心に、物に支配されつつあるわたしの引っ越しは毎回かなり骨が折れ、この週末はゆっくり荷物を解き、近くをゆっくり散歩してどのようなお店があるのかを把握して、新生活の体勢を整えるつもりであったが・・・
わたしはいった
”ええ。空いています。今週末は何も予定は入れていません”
会長は頷き、自身で食べきらなかったいなり寿司を三つ、わたしのお皿へ移しながらこういった
”社長をJOGJAKARTAへ一泊で連れていくつもりだ。きみも同行してくれないだろうか”
わたしはいなり寿司をひとつ、山葵醤油につけて摘みながらこう思った
JOGJAKARTAか。まさかまた行くことになるとはな
JOGJAKARTAには、わたしは昨年だけで三度訪れている
うち、最初の二回は世界遺産のPrambanan寺院群と
Borobudur遺跡を観るためで、このふたつの、石造りの巨大なヒンドゥー教の遺跡が世界中から観光客をかき集めるのだ
主に欧米からの観光客の多くは、まずジョグジャでこれらの遺跡を見て回った後で、そのままバリ島へ飛ぶというのが最も有名な観光ルートでもあった
しかしあくまで、このわたしにとっては退屈な世界遺産だった
千年以上前のヒンドゥー教の石造りの寺院は確かに見事で、しかもそれが約百年前に密林のジャングルから見つかったという、強く引きつけられる浪漫性は確かにあった
ただわたしは、高名な世界遺産となって綺麗に環境整備された遺跡よりも、ただ風化に任せて、あるいは徹底的に破壊され、打ち棄てられた廃墟のほうがまだ興味があった
大勢の観光客と供に遺跡内を走るバスに乗り込み、遠巻きにこうした遺跡を観るよりかは、ひとりでぼんやりと、そして飽きるまで眺め、自然と心に想起される何かを浮かび上がらせてくれる廃墟のほうがいい
これらの遺跡へ行く前日には歴史背景や、そもそもヒンドゥー教って何だろうという地点から調べ直したが、遺跡の出口をでるとそれらの予備知識がぱっと消え去っていくような遺跡だった
だから三度目のJOGJAKARTAはもうないと、自分で誓っていたが、その誓いをあっさりと破ったのは従妹のユリカだった
日本の大学院の研究室で現代建築を学んでいる彼女は、ある建築に関するカンファレンスに出席するために、昨年、JOGJAKARTAにやって来たのだ
ユリカはいった
”ゆきたかおにいちゃん、何か美味しいご飯でも食べに連れていってよ”
しばらく会っていなかった従妹と、まさかここインドネシアの、しかもJOGJAKARTAで再会するという偶然が面白く、昨年の十月に、わたしはSemarangから車で片道三時間かけて、彼女をピックアップに行ったのだ
JOGJAKARTAの市内の中心地のイタリアンレストランのテラス席で共に昼食をとり、その後はSemarangに<連行>していったのだ
もちろんそれは、ユリカはこの先も世界的な観光地でもあるJOGJAKARTAには、あるいは行こうと思えばいつでも行けるだろうからだ
しかし、Semarangには、少なくともわたしが駐在していない限りは、およそ選択肢のひとつにでも入りにくい稀な土地なのは間違いないように思えたからだ
せっかくの機会ということもあり、もしかしたらこのような機会は一生に一度かもしれないとも思い、ユリカに思いっきり良い思い出を作ってもらおうと、奮発して市内の五つ星GUMAYA TOWER HOTELに宿泊させ、伝統服であるBATIKを一着プレゼントし、夜は<SPIEGEL>でワインを飲んだ
会長は、食後の珈琲を飲みながら一枚のメモをわたしに差し出した
受け取り、老齢の方の達筆な文字には常に畏怖の念を抱くよなと思いながらもざっと目を通すと、玲於奈社長の一週間の滞在期間中の会食のお店が羅列されていた
ここSemarang市内の高級レストランや、中級の、味に定評のあるレストランが曜日毎に時間と共に記載されている一覧だった
会長はいった
”ジョグジャはMARRIOTT HOTELを抑えるつもりだから、きみもそこでゆっくりするといい”
わたしは思った
MARRIOTTか
昨年に二度、ジョグジャを訪れた際、ホテルを探すときに調べてみたことがあるが、世界的な観光地でもあるジョグジャの中でも間違いなく、最高級のホテルだった
このアメリカ資本のホテルは、シーズンと部屋のグレードにも依るが一泊50,000円は固く、わたしのような者がそう簡単に泊まれるホテルではなかった
会長はいった
”CLUB PLANをつけるつもりだ。夜はゆっくり飲もうか”
”CLUB PLAN”
要するにホテルのバーラウンジで飲み放題だということだ
飲酒を禁じるイスラム教の教義に支配されるこの国で、飲酒はどこでも価格的な制限がかかるので、こうしたPLANを採用している高級ホテルは多かった
このPLANをオプションで追加するだけでも10,000円は、固い
わたしはメモ用紙から顔を上げ、会長を見ると、会長の瞳に薄っすらと涙が浮かんでいるように見えた
今回の、玲於奈社長の”視察”にはやはり特別な思いをお持ちなのだろう
会長の立場からしてみれば、長女は死病で死線を彷徨い、妻は死線を突破することができずに、すでにこの世を去ってしまった
会長は、現役でSemarangで陣頭指揮を執っていたころは、迫力と粘り強さを持って現地人たちを指導し、会社をここまで大きくしてこられたという
わたしが今ここでこうして、働くことができるのも、この会長が敷いて下さった強固なレールがあるからなのだ
そして、ただ完成された環境下で働いているだけに過ぎない
現在はすでに後期高齢者に入り、仕事も第一線からは退かれており、好々爺然とはしているが昔は怖い存在でもあったらしい
わたしはいった
”わかりました。リストのお店も予約を入れておきます”
そして、玲於奈社長がSemarangに到着されて、狂乱の一週間が始まることになる
それは
文字通りの狂乱の一週間だった
この物語は決して、経営者一族の親子の絆を描き出した美談や、お涙頂戴の話では済まなかった
昨今のジャカルタの友人たちの言葉を借りるのであれば、この玲於奈社長もまた”怪物”の類だった
買い物と美食と、ワインの怪物だ
その証拠に、今日現在では玲於奈社長はスデにご帰国されているが、この狂乱の一週間の反動で、わたしは体調を大きく崩し、今週に入って二度病院へ行き実は今は静養中なのだ・・・
44年間この肉体で生きているが、まさかわたしが甲殻類アレルギーを持っていたとは自分自身でも気がつかなかった
加えて、ナッツ類、チョコレート、アスパラガスも禁止に・・・
肌は荒れ、高熱が出て、悪夢に魘される水曜日の夜
わたしはかつて大学の同級生、同じ女性に二度ふられた経験がある
20代の頃に一度目、30代の頃に二度目だ
そして夢の中で三度目の失恋を経験する・・・
それはわたしが本当に体調を崩した際に必ず見る悪夢だった・・・
この狂乱一週間を次回に続けて描き出そうと思っている
ジョグジャに愛をこめて
BGM
TOKYO FM 106.9
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2023年11月26日(日) 日本時間 AM 7:00
続・雨のマリオットホテル
END