【鬼滅の刃】映画!上弦集結。刀鍛冶の里がなぜバレたのか
上映中の映画を見に行きました(^^)
久しぶりの映画館でみんなに会える嬉しさで最初から感動しっぱなしでした。
遊郭編の11話と12話〜刀鍛冶編1話です。
映画のレビューしながら細かく考察していきます。※ネタバレあり
妓夫太郎と梅の感動話
まずは、天元様の戦いシーンの大迫力はやっぱりスクリーン映えします!大興奮!
天元様の突然「譜面が完成した!」にフフッと笑ってしまいました。
突然すぎて、どうも結びつかないんですよね…原作では譜面の説明があるのですが、アニメはその部分がないので。
譜面というか、絶対音感があるので頭の中で戦術シナリオを作曲にしてそのリズムにのって倒すようです。(ピアノの音階ではなく箏の音階です。
遊郭編の感動シーンはなにより妓夫太郎の堕姫への妹想いのエピソードです。
涙をポロポロ流しながら観ました。
梅ちゃんは、13歳の頃にお兄ちゃんを侮辱した侍の目玉をかんざしで突きました。
その報復で、吊し上げられ火破りにされました。
鬼になったら、人間の頃の年齢と同じ精神年齢になることが多いと思うので、堕姫は13歳!
13歳は中2か中1ですよ、この発育はどう考えても羨ましい笑
遊女の水揚げは16~17歳で客を取ったと言われています。
禿といわれる7歳〜13歳までの女の子は、花魁の食事の給仕やたばこの吸いつけ、廓内の小間使いなどをしながら、三味線や唄、書などを習います。
禿が成長して13~14歳になると「新造出し」として、遊女としての接客法などを見習うのです。
なかでも将来有望な子は上記のように花魁道中に参加することができます。
もし13歳の梅ちゃんが良い店に身売りされていたら、綺麗な着物を来て習い事をさせてもらっていて、まだまだ見習いの立場だったはずです。
しかし、仮にもやり手ババアからスカウトをされていたとしても、梅ちゃんはずっとお兄ちゃんの側から離れたくないので拒んでいそうです。
最下位の羅生門河岸でボロボロの部屋でボロな着物で客引きをし、お兄ちゃんが取り立てる…
それが子どもの梅ちゃんが妓夫太郎と一緒に居られる唯一の生きる道なんだと思いました。
実際、吉原に来ても、高級な妓楼は張見世を見物するだけで、実際に遊ぶのは格安な切見世でいたしていたという男が多かったそうです。
目玉を突かれた侍もその一人でした。
お兄ちゃんは、梅ちゃんが侍の目玉を突いた理由は「奪われる前に奪え 取り立てろ」と教えたからだと思っています。
まさか自分のことを悪く言われたのが原因だったという真実は知りません。
お兄ちゃんは、堕姫(梅)のことを「染まりやすい素直な性格」と言ってます。
まるで「妹は悪くない。利用されただけだ」と。性悪な性格の妹を決して悪く言いません。
最後は、お前は明るい方へ行け、こっちに来るなと言われても、ずっと一緒にいたいとしがみつく梅ちゃんに本当に泣けました。
今まで映画やテレビを観て泣いたことない息子が「泣いた」と言ってました。
二人は、キメツ学園でも二人で一つでバイクに乗っています。
謝花兄弟です!
もし、娑婆な兄弟であるとすれば、
娑婆は、仏教用語で、煩悩 や苦しみの多いこの世という意味です。
吉原などの遊郭では、金さえ出せば身分に関係なく、自由に心ゆくまで遊べるということから、遊郭を「浄土」に見立て、郭の外の世界を「娑婆」と呼びました。
刑務所を出ることを「娑婆に出る」と言います。
謝花兄弟として、ようやく色と欲が渦巻く暗い世界から外に出ることができました。
上弦の鬼が集結!
無限城が壮大すぎて迫力が凄かったです!
海の底の竜宮城みたいなとこから天上までのような…近未来的な…圧巻でした!
とにかく「鳴女ちゃんは仕事しすぎだよ!」と心の中でツッコミました。笑
そうなると、無限城戦で輝利哉様たちが間取り図を定規と筆を使って描くのですが、相当大変なことになる予感です。笑
113年ぶりに上弦の月が欠け、ご立腹な無惨様のもとに上弦の鬼が呼ばれました。
その113年間前は、どんな柱たちが上弦の鬼を倒したのかどこにも描かれてません。
113年前はおそらく約1800年の江戸時代の後期になります。
おそらく、当時の上弦の弍が殺されたのではないかと思っています。
上弦集結では「入れ替わりの血戦」が行われていることが分かります。
まるで戦国時代の下剋上のようです。
童磨は妓夫太郎らに出会う前は上弦の陸でした。凄い速さで出世しました。
これはあくまで私の予想ですが…序列は下記のような順番かと思いました。
壱 1黒死牟
弐 2不明(113年前、江戸時代後期の柱たちが勝利!童磨が陸から飛び級)
参 3猗窩座
肆 4半天狗 (のちに鳴女)
伍 5玉壺
陸 6童磨(後任が妓夫太郎→獪岳)
ファンブックによると、入れ替わりの血戦を申し込み、敗れた鬼は勝った鬼に喰われ吸収さます。
ただ無惨様の許可があれば勝った鬼が敗れた鬼を喰わない事があります。
なので、猗窩座は無惨様に特別扱いされていたたことが分かります。
猗窩座だけでなく、累くんも特別視されて偽物家族に自分の血を分け与えていることを容認されていました。
無惨様に特別視される鬼たち
無惨様が猗窩座を特別扱いした理由は、
真面目に強さを求めて鍛錬するとこや忠実なとこです。
それ以外に、猗窩座は累くんと同じく無惨様の人間時代のコンプレックスである、「病気の人の心の痛み」がよく分かっているからだとも思いました。
珠世さんも特別視していたのは、珠世さんも子どもの看病をしていました。
堕姫が足手まといと分かっていても承諾していたのは、病気の梅毒の辛さが分かるのと、「まだ子ども」なのに柱を倒した実績があるからだと思います。
基本的に無惨様に好かれるためには、外形が良いのはもちろんのこと、シンプルに、柱を倒す実績と才能があるという事だと思います。
もしくは、遠隔や探知能力が高い能力は、重宝されます。
映画では、半天狗の「割り切れぬ数字...不吉な吉」ではなく「半」になっていました。
私は、わざと認知症のこぶじいさんだという設定だと思ったのですが(笑)
以前、その「不吉な丁」について考察しました。あまり伸びていない記事ですがよかったら一読ください。
玉壺は刀鍛冶の里がどうして分かったのか。
無惨様に「情報を掴みました!」と言っていた玉壺。
その情報は、日輪刀を作る刀鍛冶の里の情報だと思います。
なぜ厳重に隠されている里が鬼にバレたのか…
玉壺の血鬼術は、壺から壺へ移動ができます。
そして玉壺は壺作りが趣味です。
以前、私の考察で下弦の鬼たちも壺作りをしていると書きました。
日輪刀などの刀に必要な、タタラ製鉄の玉鋼の鉄を用いた鉄釉で、独自の金属発色の陶器を作り出した場所があります。
玉鋼曜天目という技術なのですが、鳥取県にある大山焼という焼き物がその手法を用いてます。
玉壺は、壺から壺に移動しながら窯元を求めて、刀鍛冶の里を見つけだしたのだと思いました!
玉壺は魚類の鬼だから壺といっても水が入ってる水瓶に入ると思います。
刀鍛冶の里にも水瓶を発見しました↓
先々週、奈良の民俗博物館に行ったときに、職員さんに↑事情を説明し、この原作を見てもらって、家の外に壺を置く理由をチラッと伺いました。
「山の中や里は大正時代でもまだ水は通ってないので、お料理や食器洗いのために水瓶を台所に置いてありました。
おそらくこれも水瓶で、3回建ての家なので民宿でしょう。
なら、外に水瓶があるのは、お客さんが手洗いに使ったり玄関外の水撒きに使用するものだと思います。
刀鍛冶さんたちの作業部屋は火を使うから平屋の古屋でされますよ」
という丁寧な回答をお話しくださいました。
実際に、今回の映画でも庭に壺(水瓶)が置かれていたのを確認しました(^^)
↑このように、いわゆる芸術家や陶芸家たちに自分の作品を見てもらうため壺から壺へ各地を回っていたのかなと思いました 笑
↓ 玉壺の壺は綺麗に花の絵付けされているので、下の絵付けのない壺は、玉壺の壺ではないと思われます。
↑刀鍛冶の里にあった壺に、玉壺のサイコパスな美的センスによって花を生けるように、手のひらと足指でお花が咲いてるように見立てて、まるで日輪刀は枝のようです。
童磨に「あれは首を生けるものではない…」
「だかそれもまたいい…」と言っていました。
壺には死体や首を入れたことなかったけれど、童磨に感化されて刀鍛冶の里で「鍛人の断末魔」という作品を作ったのかもしれません。
最後に…残念ながら、
蜜璃ちゃんの新政府軍の『宮さん 宮さん』映画ではカットされてました…
刀鍛冶編は4月からですね!
玉壺のあのセンスのある台詞が楽しみです
(^^)
ご一読ありがとうございました★