【鬼滅の刃】悲鳴嶼さんと獪岳の絆
承認欲求の塊の獪岳。
以前の記事で、善逸と獪岳について書きましたが、今回は悲鳴嶼さん中心で獪岳について考えました。
途中、妄想爆発してますのでご理解ください。
『山月記』の李徴と獪岳
前回の記事で、響凱は『山月記』の虎になっても詩を諦めなかった李朝のようだと書きました。
李徴が虎になった理由は、
認めてもらいたい気持ちがあるものの、
自分の自尊心(プライド)から、才能がないように思われたくないために、臆病になってわざと周りとの距離をとり、人との関わりを拒絶しました。
この気持ちは、
獪岳にも通じるところがあると思いました!
「俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない」って…
そう言えば、獪岳も鬼の痣が虎の模様に似ています。
さらに、2人の共通点があります。
元下弦の「陸」の響凱、獪岳は新上弦の「陸」で同じでした。
けれど2人の最後は、全然違います。
響凱は「君の血鬼術は凄かった」と炭治郎に褒められたことで、全てが認められたと思い、最後は幸せそうでした。
しかし、獪岳の最後は「畜生、畜生」と、全て師匠のせいにしました。
そもそも、獪岳が鬼になった理由は、雷の呼吸を共同継承した恨みを見返したいという事ではなかったはずです!!
「生きてさえいれば、いつか勝てる、勝ってみせる。そう信じて進んできたんだ」と思っていた。
それが獪岳が鬼になった理由です。
ここでの「いつか勝てる」は、目の前にいる鬼のことを指すのかなと思います。
それが、
短期間でたくさん人を喰って、本格的な鬼になるにつれて、心に抱えていた不満が、怒りや恨みへと変わりました。
そして善逸との対戦で、その恨みが蘇り、爆発したように思います。
もし仮に、対戦相手が悲鳴嶼さんとだったら…?悲鳴嶼さんは何と獪岳に言葉を掛けるのだろう。
悲鳴嶼さんと獪岳
獪岳は悲鳴嶼さんのお寺で孤児として暮らしていました。
みんなと笑い合ってい食事をしています。ただ、悲鳴嶼さんは目が見えないから、本当のところはどうなのか…
↓ここからは、柱稽古で、悲鳴嶼さんが炭治郎に話した場面です。
鬼を招き入れた子どもは、獪岳です。
獪岳は、きっとこの時も遭遇した鬼に頭を下げて、生きるために交渉をしたんです。
けれど、生きることを望んでいる獪岳が、血の滲むような努力をして、死ぬ確率のある鬼殺隊に入るのはなぜ…?
そもそも私は、他の子供たちはどうなの??
って思うのです↓
みんなで1人を責めて、鬼が出るかもしれない夜にわざわざお寺を追い出した??
山の真っ暗な夜に…?危なすぎる。怖すぎる!
それに対して、怒られたくないからと思ったか知りませんが、獪岳は寝ていると嘘をつくなんてどうかと思います!!
「一緒に謝ってあげるから、先生に謝りに行こう」って言う優しい子どもはいなかったの?と思うのです!!
そりゃあ、獪岳が悪いのですが…
獪岳だけが悪いようになっていることがモヤっとします!
盗み、集団いじめ、嘘つき、先生の前で優等生ぶる奴、まるで学校みたいですね。
クラス(寺)では獪岳は、1匹狼だったかもしれません。
特別になりたい!!
「目障りなんだよ 消えろ!!」と、善逸にも言ってるぐらいなので、
悲しいですが、悲鳴嶼さんの子供たちにもそう思っていた可能性は高いです。
「特別になりたい。」って、自分だけ愛されたいという独占欲だけじゃなく、年齢なものもあって、うまいこと厨二病と反抗期がちょうど重なってしまったのかなと考えました!
もしかすると、獪岳がお寺のお金を盗んだのは、居心地が悪くて、思春期特有の家出をするために必要だったからかもしれません。
クラスの奴らに責められ、夜に山に追い出されて、真っ暗の中さまよい歩いて、人がいたと思って安心したら、人喰い鬼が襲ってきて、「あっちに人がたくさんいますよ」とチクりました。
「生きてさえいればなんとかなる!死ぬまでは負けじゃない!!」
獪岳の心の中にはこの言葉があります。
もしかしたら、その言葉は、目の見えない悲鳴嶼先生の教えだったのかもしれません。
また、子供たちは孤児だったので「生きてさえいればなんとかなる!」という話を生徒にしていたのかもしれません。
獪岳が悲鳴嶼先生のところを卒業して、鬼殺隊に入学(入隊)しようと思った理由は、作中にもファンブックにも明かされていません。
ただ、卒業した沙代も鬼殺隊に入学(入隊)しています。
獪岳の中学卒業後〜就職まで
獪岳は中学卒業後、鬼殺隊に入ろうと桑島先生のところに行きました。
過去の過ちを認め、公正したいと思ったのかもしれません。
受験勉強中は、善逸という男の子と一緒にされるのは嫌でしたが、真面目に努力をしてきました。
無事、試験に合格し、高校生になりました。
しかし、高校(鬼殺隊)のクラスに、またまた恵まれませんでした。
そんなこんなで、真面目に学年(階級)が上がっていき、高校卒業間近で、
なんと、指定暴力団のトップ(黒死牟)と遭遇し目をつけられました。
(あの鬼殺隊の柱ですら、上弦の鬼とは滅多に遭遇することないのに…。)
殺さないで下さいと土下座して、命乞いをします。
「生きてさえいればなんとかなる!死ぬまでは負けじゃない!!」
その言葉を言い訳に、殺されない代わりに大学へと進学せず、会長(無惨)との盃を交わして、極道(鬼道)への道に進みました。
しかし、指定暴力団の内部が混乱状態だったこともあり、ひよっこの下っ端だった獪岳がすぐに上へと昇格できました。
そして、1番会いたくない昔の自分のことを知る堅気の善逸と会って対戦することになり、今まで蓄積された心の内が雷の光のごとく大爆発の大暴言。
だいたいこんな感じの流れでしょうか。学生に例えると、しっくりきました。
途中から隊服が学ランにみえてきました(笑)
これ見逃しに本領発揮の獪岳
獪岳は、これ見逃しに全ての技の型を出します。
承認欲求の塊のドヤ顔で。
鬼になっても、使える技が同じやん!?って思いますが、鬼になったことで、「食らった斬撃がお前の体でひび割れ続ける」
これが鬼になって間もない獪岳の血鬼術です。
しかし、カスだと思っていた善逸のオリジナル「火雷神」で敗れました。
この時の善逸の踏み込みの速さは、縁壱さんと同じレベルぐらいには達していたかもしれません。(しかも痣無しで凄っ!)
↑
「私たちは望まぬ邂逅を果たした」がまさに善逸と獪岳の対戦ようです。
悲鳴嶼さんとオオカミがいる武蔵御嶽神社
悲鳴嶼さんは、東京都青梅市の「日の出山」の出身です。
日の出山周辺に「御岳山」があります。
獪岳の「岳」はそこからきているかもしれません。「獪」は狡獪で、ずる賢いという意味があります。
御岳山の頂上(929m)に武蔵御嶽神社があります。
武蔵御岳神社は「おいぬ様信仰」があり、その『おいぬ様』は犬ではなく、ニホンオオカミのことです。
以前の記事で、『古事記』のヤマトタケルについて書きました。武蔵御岳神社では、『日本書紀』で書かれているヤマトタケルの伝説がおいぬ様信仰の由来とされています。
一匹狼の獪岳みたいです。さらに目が月(月=鬼)
ご本尊は「蔵王権現」です。
インド、中国には存在しない日本で誕生した仏であり、自然の霊威を体現しているとされ、日本各地の霊山に祀られています。
天平8年(西暦736年)行基がこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったとされます。それから、修験者たちの聖地となり、平安鎌倉期には多くの武将達の篤い信仰を集めました。
悲鳴嶼行冥の「行」は行基さんからきてるのかもしれません。「冥」は目に見えない神仏のはたらきという意味があります。
獪岳の先生である2人の名前、「慈悟郎」と「行冥」
2人とも名前の意味が似ているように感じます。
また、苗字の漢字に、獪岳、悲鳴嶼、桑島の3人とも「山」が入ってますね。山脈のようです。
「行基さん」は、奈良在中の人は親しみがありますよね。東大寺の設立に関わった方ですから♪
悲鳴嶼さんの額の傷は、お寺を襲来した鬼に攻撃された傷です。
この時の額の傷は、イエスキリストの「いばらの冠」に見えますよね。
キリスト教は絶対に自殺はタブーです。
悲鳴嶼さんは、獪岳のことを十字架を背負う思いを持ちつつ、鬼殺隊最強の柱として自分の責務を最後まで貫いたのかもしれません。
煉獄さんの「俺は俺の責務を全うする!」です。
なので、ワニ先生は、仏教徒の悲鳴嶼さんにイエス様みたいな傷をあえて描いたのだと考えました。
悲鳴嶼さんは戦っている最中は涙を流しません!!
ご一読いただきありがとうございます!
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