![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155131197/rectangle_large_type_2_dffb955538a1cbb4ac8fb278f9d5e574.jpg?width=1200)
超短編 レモングラスとエルダーフラワー
僕はいつも、ひとりで食事を摂る
朝も昼も夜も
この一年 誰かと食事をしたのは 数えるほどしかない
「はい、あげる」
たまに会う友人の*さんが、チーズケーキを半分分けてくれた
「いいの?この店のチーズケーキ、君のお気に入りじゃないか」
「いいの。あなたといると、なんだか半分分けたくなっちゃうの」
僕らは数ヶ月に一回、喫茶店で会っている
僕の唯一の、誰かと食事をする時間だ
「そういうことなら、遠慮せずいただくよ。ありがとう」
普段あまり経験することのない気持ちになって、自分が頼んだモンブランを、半分彼女に渡す
「分けてくれるの?どうもありがとう」
皿に載る、きれいな断面が見えるチーズケーキとモンブラン
「なんだかこのお皿の様子、とっても素敵ね。2種類のケーキが、断面を見せて並んでいる。一人じゃこんな姿、あまり見られないじゃない?」
「そうだね。それに僕にとっては、こんな素敵な店でケーキとお茶を味わうことも、あり得ないことだ」
「ここでブラームスの間奏曲を聴くことも、一生なかったかもね」
彼女がレモングラスとジンジャーのハーブティーを飲む
頭上を繊細に流れる、ブラームスop.117-2
「なんだか、誰かとこうやって食べ物を分け合うって、すごく特別なことだと思うの。
世の中の〇〇のためって大抵、自分のためでしょ?ほんとうは自分のためなのに、あなたのためっていう仮面を被っているの。
そうじゃなきゃいけないことも、たくさんあるんでしょうけど」
彼女はハーブティーの水色を眺める
「でも、誰かと食べ物を分かち合う瞬間だけは、そうじゃないって思うの。わたしはひとりでチーズケーキを食べることよりも、半分あなたに与えることを望んだ。そこに見返りや期待はかけらもない」
彼女が自分のチーズケーキをひとくち、口に入れる
「君が僕にチーズケーキを分けてくれたとき、すごくあたたかい気持ちになったよ」
彼女がうれしそうに笑う
耳元のイヤリングが、気持ちよさそうに揺れる
「わたし、もしかしたら、そういうあたたかな気持ちになりたくて、あなたに分けたのかもしれない。ああ、結局自分のためになっちゃったわね」
笑ったと思ったら、急に難しそうな顔をして、フォークを眺めはじめた
「でも、僕のためになっているよ。じゅうぶん」
僕は最後のひとくちを食べ終える
「そうかしら。わたしのわがままになっていないといいんだけれど」
今度は哀しそうな顔
「大丈夫だよ。君と会う時間がなかったら、こんなあたたかい気持ちを味わうこともなかった」
ケーキを再び食べ始める
少し安心したような顔
「君は感情が素直に表情に出るね。見ていて飽きないよ」
「あなたはもうちょっと感情を出した方がいいと思うわ。素直に出さないと、むずかしい病気になっちゃうわよ」
僕は自分が頼んだラプサンを、カップに注ぐ
「そうかなあ」
「わたしにはわかるの。
それに、こういう感情を経験することが、わたしにもあなたにも必要だって。これから互いが、この世界で生きていくために」
僕は癖の強いラプサンを飲む
「それは少し、わかる気がするな」
カップを置く
外でスズメが数匹、何かを探し求めるかのように、飛び回っている
「こういう気持ちがたくさん積もったら、それは愛になり得るのだろうか」
「どうかしら。少なくとも今はそれになり得ないと思うわ
母親のいない子猫は、どんな大人になるのかわからない」
「先はわからないってことかな」
「そう。わからないままがいいの」
彼女が外を眺めている
これはおそらく、グールドが弾くブラームスだ
僕が擦り切れるほど聴いたアルバム
そして彼女も
ポットに浮かぶハーブの葉が、陽に照らされ美しく揺らいでいる
反対側に佇む、真珠のように儚い三日月
彼女との時間は、もうすぐ終わる