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しあわせのレシピは呪文だらけ

月に2回ほど、家族で図書館に行き、本を借りる。

5月。
夫が借りる本の中に「おうちカレー」とか「スパイスで作るカレー」的タイトルが混ざるようになった。
夫はあまり料理をしない。
そんな夫が、週末にカレーを作るというのだ。しかも、スパイスから。
大丈夫か、奥深いカレーの世界に手を出してもうて。
(一抹の不安を抱き、唐突にエセ関西弁になる心の声)

しかし、休日の夕食作りを買って出てもらうだけでも嬉しい。
誰かに食事をこしらえてもらう有難み。南無南無である。

とはいえ、夫がこれまでに作ったことがあるのは、
にんじん多め(イチョウ切りとヒョウシ切りがなぜか混在)な焼きそばか、ホットプレートで作る府中焼き。
府中焼きとは広島風お好み焼き風の、広島県府中市のソウルフード。豚バラではなくミンチを使う独自の文化をもつ。

・・・話は逸れたが、本題は、夫のカレー。
借りてきた本を開いてしばらくうなっていたかと思うと、
「クミンパウダー・・・ローリエ・・・コリアンダー・・・」
と、ぶつぶつ言いながらスーパーのスパイスコーナーで吟味したものを武器に、調理に取りかかった。

それにしても。
見慣れないレシピは夫にとって呪文のような言葉にあふれているようだった。
「ユデコボスって何?」「ヒトツマミってどのくらい?」「ヒタヒタの水って?」
戸惑い、うろたえ、そのたびに私に確認する夫。
そうこうしながら、『豚バラと春キャベツのカレー』が完成した。
はじめてとは思えないほど、美味しかった。

家族の大絶賛を受け、翌週には『まるごと新玉と牛ブロックのカレー・オニオンフライのせ』が食卓に並んだ。これまた非常に美味しかった。
スパイスから出来上がるカレーの深み。香り。
それを夫が作り出していく。私はただただ驚くばかりだった。
それに、続けて週末の夕食作りを任せることができ、ますます合掌。

さらに次の週。
ついに「玉ねぎを制する者が、カレーを制する」とのたまった夫。
これでもかと強火で炒め続け、粗くみじん切りにされた玉ねぎがこっくりとした飴色になる頃、フライパンの方が耐えきれなかった。
そう、ゴリゴリに焦げつき力尽きたのだ。
「強火じゃないとダメだったの・・・!」レシピに忠実すぎる。
食材の声、道具の声にもぜひ耳を傾けてほしかった。
【レシピ、妄信、恐ろしい】夫にはこの呪文を唱えておいてほしい。

そんな苦労の末、出来上がったのが『トマトたっぷりドライカレー』。
最後に投入した砂糖によって、ひと口目がほんのり甘くほどよい辛みが後から追いかけてくる。
まるでインディアンカレー(大阪時代によく行った大好きなカレー屋さん)を彷彿とさせる仕上がり。
安物だったからとはいえ、フライパンが天に召されたのは痛かったが、それ以上にまことに美味であった。

翌週、夫は慣れた手つきで『牛肉すじトロトロカレー』に取りかかった。
がしかし、ここで思わぬ事件が起きた。
製作過程でローリエの香りを嗅ぎ過ぎた夫の心はぽきりと折れた。
私は美味しくいただいたが、夫は言葉少なにスプーンを置いた。
この日を境に夫はカレーを作らなくなってしまった。
のちに夫が放った言葉「いまだに鼻ににおいがくっついている。ローリエはもうたくさんだ」が事の重大さを物語っている。
これが我が家の歴史的分岐点・・・『ローリエ事変』である。

時は経ち、7月。
夫が借りる本の中に「とっておきスイーツ」「大好きクレープ」的タイトルが混ざるようになった。
ひと月眠っていた夫の創作意欲は、思い切り『甘い方向』へと舵を切ったらしかった。
フィナンシェのレシピは難解過ぎたようで、照準はクレープに定められた。
しかし、いざレシピに目を通し、愕然とした表情で「生地をヒトバンネカセル・・・だと?」と呟いた。

デジャブ?

いや違う。ふりだしに戻ったようで、着実に時は経っている。
眺めるレシピはカレーからクレープになったし、季節は春から夏になった。
なかなか消えないダマと格闘しながら、きめ細かい生地作りに勤しむ夫。
離乳食用の小さな漉し器で生地を漉すという技法にも辿りつく成長ぶり。

誰かに休日のスイーツを作ってもらえることのしあわせ。
我が家は今週末も平和だった。
それは呪文だらけのレシピのおかげ。

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