ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第7話「再びKIBAへ」約2000字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門
今日は真っ黄色のトラックは停まっていないのか。
私はお店の前で、眼鏡の位置を直し、前髪を撫で付けた。それからもう一度持ち物や服装を確認する。メモ帳もペンも持った。大丈夫。
時刻は十四時五十分。お店は十四時半ラストオーダー、十五時から中休み。もしかしたらまだお客さんがいるかもしれない。
ゆっくりとドアを開けてみる。一週間しか経っていないのに、店内の様子が懐かしく感じた。どうやらもう、お客さんはいないようだ。
私は何となく忍び足でドアをくぐった。市来さんはどうやら奥にいるらしい。いつまでもこそこそしている訳にもいかない。私は意を決して「こんにちは」と言った。
「いらっしゃいませ……あぁ、福島さん。こんにちは」
キッチンの方から市来さんが出てきた。初めて会った時と同じように赤いバンダナを付け、うしろで髪を結び、初めて会った時と同じように、優しい笑顔で迎えてくれた。
まずは改めて契約の話を済ませた。
週三回くらい働かせてあげられたらよかったんだけど、と市来さんは言った。平日はアルバイトに手伝ってもらうようなことはほとんどないとのことだった。市来さんは苦笑いしていたけど、仕方がない。お店としては無駄に給料を払うことはできないだろうし、私としても受け取れない。土日は混むからサポートが欲しいらしい。休日を潰してしまってごめんねと言われたが、私は特に予定がある訳でもないのでまったく問題がなかった。平日は大学に集中できるし、土日に退屈することもない。初めてのアルバイトで不安だったから、少ない回数から始められることはありがたかった。
「うーん……さすがにちょっと大きいかな。大樹が使ってた奴なんだけど」
渡されたTシャツに着替えてみると、ぶかぶかだった。
「あの、大丈夫です。私、これがいいです」
黒のTシャツは胸元にお店の名前が入っていた。Tシャツといえど仕事の制服だ。市来さんとお揃いのそれを着ると、飲食店で働く実感が沸いて嬉しかった。
私が「店員として、みっともなくなければ、ですけど」と言うと、市来さんは笑って「大丈夫だよ」と言った。
エプロンを付け、仕事の説明を聞く。私の担当は、お客さんを席に案内すること、注文を聞くこと、食事を運ぶこと、会計をすること、そして食器を片付けること。マニュアルがあるようなお店ではないので、挨拶の仕方、声の掛け方など、一つ一つ市来さんが教えてくれた。高校を卒業したばかりの私は敬語に自信がなかったが、細かな言葉遣いについてのアドバイスもくれた。よくある質問への答え方も指導してくれた。レジスターの使い方も教えてくれたが、初日は見学だけにしようと提案された。
「あの、市来さん」と私が声を掛けると、彼は人差し指を立てた。
「福島さん、お店では僕のこと、マスターって呼んで下さい。大樹が勝手に言い始めた呼び名なんだけど、気に入ってるんだよね、結構」
市来さんはふふっと笑った。
私は試しに「マスター」と呼んでみた。市来さんが「何ですか?」と聞くので、私は「よろしくお願いします」と答えた。
十七時になると開店と同時に女性が一人やってきた。
最初なので私は市来さんが接客するところをうしろから見ていた。常連客らしく、すぐに注文が終わった。
市来さんが料理を用意する間、私はお客さんから声を掛けられた時のためにホールに立っていたが、特に出番はなかった。メモ帳を開き、書いたことを見直す。が、すぐに確認し終えてしまった。
眼鏡を正し、前髪を整える。しばらく考えた後、私はキッチンへ入った。料理をしている市来さんに近寄り、「何かすることはありませんか」と小声で話し掛けた。
「大丈夫。まだ特に手伝ってもらうことはないし……初日なんだから、まずはこの場に慣れることからだよ」
「すいません……やることがないと、そわそわしちゃって……」
「もうすぐ嫌でも混んでくるよ」
市来さんはそう言って笑った。
料理が出来上がったので「私が持っていきます」と手を上げたが、やはり最初だから見ているように言われた。
市来さんが配膳を済ませた時、エンジン音が近付いてくるのが聞こえた。
私が「お客さん、来たみたいですね」と言うと、市来さんはニヤリと笑って「いや」と否定した。
「スープカレー号のお帰りだ」
市来さんの言葉を聞いて、私は窓から駐車場を見た。そこには先程はなかったはずの真っ黄色のトラックが停まっていた。
そして間もなく入口から、大きな荷物を抱えた大樹さんが入ってきた。