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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第2話「お決まりですか?」約3000字/全17話/創作大賞恋愛小説部門
ドアを開けると一層濃厚なカレーの香りが、全身を包み込むような感覚がした。
店内は橙色の柔らかな光が満ちていて、何となく私がここに入ることを許してもらえた気がした。もちろんどの店だって大抵はお客さんを歓迎してくれるはずだが、ファストフード店やおしゃれなカフェ、あるいはにぎやかな居酒屋なんかよりも、私がいてもいい場所なんだと、そう感じた。
店内にはお客さんが一人だけ。私の一回りくらい上だろうか、男性がカウンターの椅子に座っていたが、私が店内に入る気配を感じ取りこちらを振り向いた。
「マスター」
その人が厨房の方へと声を掛けると、すぐにもう一人男性が出てきた。
「いらっしゃいませ。一名様ですか」
奥から出てきた男性は「おかえりなさい」とでも言いそうな優しい笑顔をこちらに向けた。
この店のマスター、店長なのだろう。カウンターにいた男性と同年代に見える。赤いバンダナを頭に巻いており、長めの髪を後ろで結っているようだが、ポニーテール……馬の尻尾という程ではない。束ねられた髪は正面から見るとほとんどわからないくらいで、まるで子犬の尻尾のようにちょこんと垂れていた。
「あ……はい、一名……一人なんですけど。あの、もしかしてもう閉店ですか?」
「いえ、大丈夫ですよ。こちらの席へどうぞ」
私は指示に従い、上着を椅子の背に掛けて、壁際のテーブル席に座った。一人なんだからカウンターに座るべきだったのかなと考えてしまったが、きっと閉店間際で空いているからテーブルを使わせてくれたのだろう。
「お決まりになりましたらお声掛け下さい」
マスターはコップと水差しをテーブルに置くと、また店の奥へと入っていった。
とりあえずコップのお水を一口飲む。が、私は驚いた。水だと思っていたのに水ではない。いや、水なんだけど、味がちょっと変だ。
一体これは何の味だろうと思い、水差しの中をよく見てみると、薄切りにされたレモンが浮いていた。
そうだ、これはレモンの味だ。
確かめるためにもう一口飲んでみる。一口目は何だかわからずびっくりしてしまったが、わかった上で飲むとほんのりとレモンの味がして爽やかに感じられた。
コップをテーブルの端に置き、メニュー表を広げてみる。何だか色々書いてある。
「注文の仕方 ①カレーを選ぶ ②辛さを選ぶ ③ライスの量を選ぶ ④お好みでトッピングを選ぶ」
注文の仕方が複雑そうだ。私は先日同期の女の子に連れられていったカフェで、その子が呪文のような言葉を唱えて注文していたことを思い出した。
とりあえず最初にカレーを選べばいいのかな。
そう思ってメニュー表を眺めてみるが、これまた入っている具材が箇条書きにされていたりして情報量が多い。「定番やわらかチキンレッグのスープカレー」「体にやさしい十種の野菜のスープカレー」「やみつき間違いなし 納豆キーマのスープカレー」……。
やっぱりこんなお店、場違いだったかな。
私が焦っていると、カウンター席の男性が振り向いてこっちを見てきた。私は顔をメニュー表に向けたまま、目だけ使ってこっそり男性の様子をうかがおうとしたが、完全に目が合ってしまった。
「全部美味しそうで悩んじゃうよねぇ。……もしかして、スープカレー、初めて?」
男性は髭が生えたあごを人差し指でさすってにんまりと笑った。
悪く言えば馴れ馴れしいのだが、男性自身があまりにも自然体だから、例えこちらが自然体をさらけ出しても受け入れてくれそうな、よく言えば大らかな雰囲気を感じた。
「あ……はい」
「マスター」
男性は再び厨房へ声を掛ける。するとすぐさまマスターが出てきた。
男性がアイコンタクトするとマスターはすぐに察し、私の方へ来てくれた。
「お決まりですか?」
「まだなんだけどさ」
男性客が私の代わりに答える。すると再びマスターは状況を読み取ったようだった。
「ああ、ごめんなさい。メニュー表、わかりづらいですよね」
マスターは眉をハの字にさせた。
「いえ、あの、どれにしようか、迷っちゃって」
私は目を合わせていられなくてメニュー表に顔を向けた。
「すいません、時間がないのに」
「いえいえ、時間は大丈夫です。そうですねー……」
マスターはテーブルの横に立ち、私と一緒になってメニュー表を覗き込んだ。
「俺のお気に入りは納豆キーマ」
真っ先にメニュー名を提案したのは何故か男性客だった。
「おい」
マスターが男性客を睨み付ける。
「すみません、この人のことは気にしないで下さい」
マスターが私にそう言うと、男性客は「なんだよう、俺だって店員みたいなもんだろう?」と口をすぼめる。
「……まぁ、キーマカレーももちろんおすすめですけどね」
マスターはこちらに向き直って苦笑した。
「一番人気なのは定番のチキンですね。女性の方には野菜カレーも人気です。失礼ですが、観光でいらっしゃったんですか?」
「あ、いえ。あ、でも、最近札幌に引っ越してきて」
「そうでしたか。元々北海道なんですか?」
「あ、はい、帯広です」
「帯広。でしたら、こちらはいかがですか」
マスターはにこりと微笑み、メニューの一つを手の平で示した。
見るとそこには「店長こだわり 十勝産豚のぶこつな角煮のスープカレー」と書かれている。
「こちらの角煮のカレーは十勝産の豚を使っているんです」
十勝。私はその響きに懐かしさを覚えた。私の故郷である帯広がある地域の名前だ。生活の中でいつも目にし、耳にしていた言葉だったが、何だか久し振りに出会った気がした。
「あ……じゃあこれで、お願いします」
「かしこまりました」
その後、マスターに相談しながら辛さやライスの量を決め、私はどうにか注文を終えることができた。
メニュー表を片付け、私は静かに息を吐いた。肩の力がふっと抜けた。私はコップの水にもう一度口をつけながら、改めて店内を見渡してみた。
お店はそれ程広くない。カウンターが数席とテーブルが数席だけ。店内の床もテーブルも椅子も木目調で、温かみが感じられる。壁は白く、清潔感がある。入り口近くの本棚には雑誌がいくつか置かれており、カウンターの横の棚には小さな観葉植物が飾られている。カウンターの壁は一部がくり抜かれており、奥のキッチンの様子が少しだけ見える。耳をすますと控えめな音量でかわいらしい音楽が流れているのが聞こえる。家のダイニングにいるような、そんな落ち着きが感じられた。
カウンターの男性客は帰る様子がない。カレーを食べている訳ではなく、食べ終わった後の空のお皿がある訳でもない。テーブルには水の入ったコップが置かれているだけだった。
さっき「俺だって店員みたいなもんだ」って言ってたっけ。どういうことなんだろう。
男性は熱心にスマートフォンをいじっていたが、私の視線に気が付き顔を上げると、目を細めて笑った。
「引っ越してきたって言ってたよね。大学に入ったばっかりって感じ?」
「あ……はぁ、まぁ」
初対面の男性にどこまで自分のことを話していいものだろうか。料理を待っているこの状況で逃げ出す訳にもいかず、私は曖昧に返事をした。
「あ、じゃあ初めての一人暮らし?」
「え……」
当たってはいるのだが、答えに詰まる。女性の一人暮らし。これは話してはいけない気がする。話さないと言うことはすなわち肯定になってしまうだろうけど。
「まだまだ札幌に慣れてないんじゃない?」
男性は構わずに話を続ける。
「あ、もしよかったら今度俺が札幌を案内してあげようか?」
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