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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第8話「アルバイト初日」約3000字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門




「なーなーえーちゃん」

 市来さんに言われて私がコップに水を注いで持っていくと、大樹さんは私をそう呼んだ。大樹さんには名乗った記憶がないのに。きっとこの一週間のどこかで市来さんが教えたのだろう。

「大樹さん」

 気付けば私も名前で呼んでいた。出会った日から頭の中でそう呼んでいたので、口をついて出てしまった。

「今日がアルバイト初日?」

 大樹さんは水を一息で飲み干し私に聞いた。

「はい。タイキさんは買い出しですか?」

「そうだよ」

「そっか。スープカレー号ってタイキさんの車だったんですもんね」

 私が窓の外のトラックを目で指しながら言うと、大樹さんは眉をひそめた。

「スープカレー号? そんな名前じゃないよ。あれは、俺の愛車、カボチャ号だ。カボチャの果肉の色をしてるだろ?」

 大樹さんはにっと歯を見せ親指を立てた。

「カボチャ号、ですか……? あ、そっか。大樹さんの家、カボチャ農家なんですよね」

「そうそう」

「大樹さんは今、そこで働いてるんですか?」

「え? うーん……さぁ、どうだろね」

 大樹さんは斜め上を見ながらあごひげを撫で付けた。

「大樹さん……お仕事してるんですか?」

「見掛けによらず失礼なこと聞くね」

「あ……すいません」

 大樹さんは声を上げて笑った。

「まぁ、でも、たしかに、定職に就いていないようなもんかな。前まではここで働いてたけど。今はクビになっちゃったし。今は実家を手伝ったり手伝わなかったり、ふらふらしてる感じ」

 大樹さんは唇と眉をひん曲げておどけた。

「そんなことより」

 表情をぱっと変え、にゅーっとにんまり顔をこちらに近付けてくる。

「マスターとデートに行ったんだって?」

「な、何で知ってるんですか!?」

 私は思わず大きな声を出してしまった。慌てて周囲を伺う。市来さんもお客さんもいぶかしげにこちらを一瞥した。

「悪友だからね〜聞き出しちゃった」

 大樹さんはくつくつと声を漏らした。

「ていうか、あれは、デートじゃなくて、ただスープカレーを……」

「で? どうだった?」

「どうって……」

 私は声をひそめて答える。

「美味しかったですよ?」

「違う違う。そうじゃなくて、マスターだよ」

「え?」

 私は一瞬意味がわからなかった。が、何度か目をぱちくりするにつれ大樹さんが言わんとすることを理解していき、それと共に頬が熱くなるのを感じた。

「ちょ、ちょっと、大樹さん。どういう意味ですか?」

「菜々恵ちゃん、マスターと、いつ付き合うの?」

「な、何言ってるんですか」

「え。もしかしてもう付き合ってんの?」

「ち、違います!」

 私はまたも声を荒げてしまう。

 その時、お客さんが伝票を持って立ち上がった。

 私が会計する許可は下りていないため、市来さんを呼んだ。

 私はレジの近くに立ち、早くレジも手伝えるようになりたいと思い、市来さんの言動をよく観察した。

 その女性客はやはり常連のようで、帰り際に少し市来さんと言葉を交わした。市来さんもその人のことをしっかり把握しているようで、近況を尋ねていた。

 そして市来さんは最後に片方の腕を前に出し、拳を握り、「頑張って下さいね」と言った。

 お客さんが店を出た後、市来さんはキッチンに向かって歩きながら、大樹さんに声を掛けた。

「大樹、人の店でナンパすんなよ」

「何だよう。お前はナンパした癖に」

 大樹さんが口を尖らせる。

 市来さんはそれを笑ってあしらい、そのままキッチンの方へと消えていった。

 私は不思議に思った。今の感じだと、市来さんが私を誘ったことになっていないだろうか。もしかして、私の方から市来さんを誘ったことまでは大樹さんに伝えていないのだろうか。

 キッチンを覗くと、市来さんは大樹さんが持ってきた荷物を整理しているようだった。

 私はお客さんが来ないことを確認してから、再び大樹さんが座っているところへ駆け寄った。

「マスターって……優しい人ですよね」

「そう? あいつ、結構頑固だよ。面倒なことからはすぐ逃げようとするし」

「……」

 私はうまく答えられずに黙ったまま、レジの方を振り返った。大樹さんはそんな私を見て、あぁ、と口にした。

「店員がお客さんに優しくするのは当たり前じゃない?」

「……お客さん、ですか」

 市来さんは先程のお客さんに優しく声を掛けていた。では、私は、お客さんだろうか? 一週間前この店を訪れた時は、お客さんだった。だから優しくしてくれた? 今は店長とアルバイトだ。店長がアルバイトに優しくするのもまた、当たり前のことだろうか。

 私は考えた末、眼鏡をくいっと持ち上げ、もう一歩大樹さんに近付いた。

「あの……もう少しお話してもいいですか」

「いんじゃない? お客さんいなくなっちゃったし。どした?」

 大樹さんは水差しでコップに水を足しながら言った。

「えっと……」

 大樹さんが水を飲んでいる間、私は考えた。自分から話したいと言ったものの、まずは何から聞けばいいのか迷ってしまった。

 気になることはいくつもある。例えば、大樹さんは「クビになった」と言っているが、それは何故なのか。しかしそれを聞くのはさすがに失礼だと思った。

 悩んだ末に私は「じゃあ……」と話を切り出した。

「大樹さんは、どんな人がタイプですか……?」

「もしかして、ナンパ?」

 大樹さんは目を輝かせた。

「違います違います! 参考までに、聞いてみたくて……」

 私が目を伏せて黙り込むと、大樹さんは笑うのをやめてうーむと唸った。

「そうだなぁ。かわいい人。だな。こう、甘い口調で、何でも許してくれちゃいそうな……」

 乾いた笑いしか出てこなかった。私は口をぱくぱくさせて言葉を探した。

「……そうですか。今は、お付き合いしている人はいないんですか?」

「やっぱりナンパだ」

「違いますって!」

 大樹さんは顔をくちゃくちゃにした。憎めない笑顔だ。

「今はいないよ。三月くらい前にフラれた」

「え……どうしてですか?」

 大樹さんはひげを触った。彼の思考のスイッチはどうやらあそこにあるらしい。

「付き合ってる間は俺がふらふらしていようが『全然大丈夫だよ』『そのままでいいんだよ』って言ってくれてたのに、ある日突然ぶちギレられた」

 私はいよいよ声も出せなくなって、ただただ苦笑いすることしかできなかった。

「参考になった?」

「……次の質問です」

 私は構わず進めた。

「市来さん……マスターは今、お付き合いしている人はいますか」

 大樹さんは今までで一番のにんまり顔を見せる、かと思いきやそんなことはなかった。体をカウンターへ向けた上で、顔だけで私の方を振り向き、柔らかな表情を見せた。

「お付き合いしてる人がいるのに、別の女の子と二人で出掛けたりするような奴じゃないよ」

 それはつまり、いない、ということか。

「でも、マスターと付き合うのはやめといたら?」
 
「え……何でですか?」

 大樹さんはテーブルに肘を付いた。

「何でって……うーん、年齢も離れてるしさぁ。ワンオペ飲食店の店長と大学生なんて、基本予定が合わないでしょ。生活リズムが丁度食い違っちゃってる。菜々恵ちゃん、まだ若いんだからもっと好きなことしたらいんでない?」

 もっと冗談めかして言ってくれれば、余計な説得力を感じなくて済んだのに。頭の片隅でそう思いながら、私は頷きもせずに聞き入っていた。

「それにさぁ……」

 そこで彼は言葉を止めた。

「それに、何ですか?」

 その時、入り口のドアが開き、数人のお客さんが入ってきた。

「あ……いらっしゃいませ!」

 大樹さんの言葉が気になったが、それよりも私の初仕事だ。えっと、どうすればいんだっけ。

 急いで入り口へ向かいながら一度だけ大樹さんをちらりと見た。彼はいつものにんまりとした笑顔に戻り、私に手を振っていた。









 


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