ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第12話「大通公園にて」約1400字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門
一瞬何が起こったのかわからなかったが、目を開けてその事実だけは理解した。しかし、その意味はまったくわからなかった。
大和さんは顔を伏せており、その表情はわからない。しかし、どこか苦しそうな様子に見えた。
彼の手が私の唇や頬に触れている。不快だった訳ではない。しかし、とにかく驚いた。そして、呼吸がしづらい。苦しくなってきてしまって、私は彼の腕を振りほどき、ベンチから立ち上がった。彼の手はあっさりとそれに従った。
「……ど、どうしたんですか?」
彼はベンチに座ったまま、のそりと顔を上げた。視線はまだ地面を見つめていた。
「……ご、ごめんなさい。私、一人で喋り過ぎましたよね」
「いや……」
彼がぽつりと呟く。
「ごめん。僕の方こそ、変なことして。でも……この話は、その、もうちょっと待って欲しいんだ」
彼の言い方は何だか煮え切らない感じだった。
「もうちょっとって……」
思考はまとまっていないのに、勢い付いていた私の口は止まってはくれなかった。
「でも、私、アルバイトが終わっちゃったから……私にはまた今度なんてないんです。だから、あの、今、言わせて下さい!」
「いや、わかった。わかってる。言いたいことはわかってるんだ」
「……私が何を言うかわかった上で、止めたってことですか?」
「ちょっと、菜々恵さん、まず、僕の話を聞いて」
私は再び目をつぶった。
「……どうしてですか? 大和さんはいつも自分が好きなものを堂々と語るじゃないですか。私が勇気を出して自分の趣味を打ち明けようとした時は、『頑張れ』って言ってくれたじゃないですか。何で今は『頑張れ』って言ってくれないんですか? どうして私が一番好きな……」
目を開けると、彼と目が合った。そこに、決して怒りの色はなかったように思う。ただ、困惑と悲しみの色が混ざり合っていた。
私ははっと息を呑んだ。私は頭を振り、自分がいる場所を再認識した。気付けば周囲の視線がすべて自分に向いているかのような感覚がした。まるで世界中に無様な姿をさらしてしまったような恥ずかしさが込み上げてきた。
私は先程頭の中に浮かんでいた思考を思い出した。
少しでも困らせてしまったら、その時は……。
「……ごめんなさい」
私はうしろも振り返らずに駆け出した。どこをどう走ったのかもわからないまま、走って、走って、走った。息が切れて、足が痛くなって、歩いて、立ち止まった時、涙が溢れてきた。私は嗚咽を漏らしながら再び歩き出した。
その日は地下鉄に乗らず、そのまま歩いて家へと帰った。家へ着く頃には空はすっかり暗くなっていた。流れた涙は乾き切っていた。鞄を置いた時、大和さんにもらったストラップをベンチに置き忘れてしまったことに気が付いた。鞄に付けられたオレンジ色のストラップが寂しそうにじっとしていた。私は力の入らない体をベッドに沈めた。顔も洗わずに眠ってしまおうと目をつむったが、眠ることはできなかった。手を伸ばし、ベッドサイドからマンガを一冊手に取る。背表紙に朱色でタイトルが書かれた少女マンガ。開いてみる。が、すぐに閉じる。再びマンガをベッドサイドに置こうとしたが、私のおぼつかない手がぶつかり、一ヶ月掛けて積み上げてきたマンガの塔があっさりとバランスを崩した。そしてそれらはばさばさと音を立てて床に散らばった。
枯れたと思っていた涙が、再び顔を伝った。