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【映画批評】『侍タイムスリッパー』京都のお米農家が監督した自主制作映画はいかにして社会現象を巻き起こす大ヒット映画になったか。


自主制作映画が異例の大ヒットで社会現象に。

本作は、無名監督による自主映画にも関わらず、全国のシネコンと単館系で上映され、大ヒットを記録するという『カメラを止めるな』に続く社会現象として「第二のカメ止め」と言われた作品である。池袋のシネマロサ一館上映から東宝・松竹系のシネコン全国100館とギャガ配給によるミニシアターで瞬く間に広がり異例のロングランで現在も大ヒットを記録している。

本作は、自主制作映画で高いクオリティの時代劇というのが画期的である。安田監督の脚本に感銘を受けた東映京都撮影所が「自主制作で時代劇をつくるなどと言ったらいつもなら全力で止めるが、これは本(脚本)がおもしろいから、是非やりたい」と応え、全面協力した。東映映画村のセットを活用したばかりではなく、殺陣、照明、床山などのベテランスタッフが本作に参加した。

物語

物語は、会津藩士・高坂新左衛門は家老より直々に長州藩士を討つ密命を受け、同胞とともに京都へ。しかし戦いの最中落雷により現代へタイムスリップしてしまう。目を覚ました場所は京都の時代劇撮影所。撮影所で騒動を起こし、見知らぬ現代の街へ飛び出した高坂は、シャッターに貼ってあるポスターで自分が幕末から140年後の日本に来てしまったことを知る。元の時代に戻る術もわからないまま彷徨い続け、疲れ果てた高坂は寺の住職夫妻に助けられ、寺に居候することとなる。ある日、テレビで放送された時代劇を見、寺で時代劇の撮影に立ち会った高坂は、斬られ役こそ現代において自分に出来る仕事と思いたち、斬られ役のプロ集団「剣心会」への入門を希望する。

「観客が見たいもの」を観せながら意外性のあるストーリーも提供

笑わせる前半、泣かせる後半。どちらも、観客が求めているものを徹底的に追求している。前半は、侍がタイムスリップしてきたらどんな反応をするかという点をリアルに描き笑いを誘う。新左衛門は、おにぎりやケーキを食べて感動し、テレビを観て「絵が動く」とカルチャーショックで驚く。前半は徹底的に観客が見たいものを見せる。

そして後半、江戸幕府が無くなった事を知った幕府側の立場であった高坂新左衛門の苦悩を見せていく。元の時代には戻れないし、起こったことは変えられない、それを受け入れながらどう生きるのか。

タイムスリップすると江戸幕府はなくなっており、会津藩は幕府寄りのため、どうして良いのかわからない。しかし、人生で起こってしまったことをクヨクヨするよりは、それを糧にして、活かして「負けるか」と生きた方が良い。剣の道にしか生きられない新左衛門は、斬られ役として生きる道を選び、目の前のことを精一杯努力し結果を出していく。

今回撮影協力した京都太秦の撮影所もレギュラーのテレビの仕事がなくなり、今は厳しい状況のようだ。現実の厳しさと、映画内の人生への問いが交差する。

クライマックスで冨家ノリマサ演じる因縁のライバルが登場してから物語は転調する。これまで観客の求めるものを見せていた展開から意外性のあるものになる。冒頭で高坂新左衛門が戦っていた長州藩士が、実は高坂よりも前にタイムスリップしており、風見恭一郎という名の日本を代表する俳優になっていたのだ。そして高坂を次の主演映画の相手役に抜擢する。観客が見たいものを見せながらも、途中から意外な展開になるのが良かった。時間差でタイムスリップしているという仕掛けがこの映画を名作に押し上げた。

高坂新左衛門は、斬られ役から時代劇映画の相手役に大抜擢され、映画の撮影をする。二人は、時代劇復活のために一世一代の大勝負に出るのだ。高坂がタイムスリップしてきてから地道に続けていたことが花開くのである。そして撮影中、バーでのシーンで高坂が戊辰戦争によって会津に起きた悲劇を知る。上坂と風見は、お互いに持っていた葛藤やトラウマを克服していく。そしてラストに江戸時代の生き残り二人で真剣で戦うことで、二人が生きた証を残す。

タイムトラベルものの映画が陥りやすい方向を回避することでドラマを徹底的に描く

タイムトラベルを題材にした映画では、「元々いた時代に戻るにはどうするか」が話の争点となる為、人間ドラマを描く尺がそちらに取られてしまい、映画のドラマ性が薄くなることが多い。本作は、主人公が「元々いた時代に戻ろう」としないために、主人公の葛藤やドラマが描きやすいのだ。

安田淳一監督の生き様とこの映画の内容がシンクロする。

本作の監督である安田淳一は、ウェディングのカメラマンとしてキャリアをスタートさせ、自分の会社で映像制作を行う。そして、『拳銃と目玉焼き』や『ごはん』などの意欲作を自主制作映画として制作。そして、最近、家業のお米農家を継ぎながら7年かけて本作を完成させた。本作では、撮影・照明・衣装・編集・C Gなど11の役職を兼任。監督は全てのパートを自分でやりながら完璧主義に全てをコントロールした。監督が撮影は、今流行りの格好良い絵ではなく、観客が見たいものをわかりやすく写す絵で良い意味で、時代に逆らっていてそこが評価できた。

安田監督は、映画の現場の叩き上げでもなければ、自主映画を若い時からやってきたわけでもない。しかし、目の前の映像の仕事をしながら映画監督という自分の進む道とそれに必要な技能を徹底的に身につけ、シナリオを書き続け、蓄積していったものを花開かせた安田監督の根性は、凄まじいものだ。自分ならば、家業を継ぐ時点で監督になるのを諦めるだろう。

安田監督の起きたこと、自分の置かれた状況に腐らず目の前のことをしっかりとやる、その執念は、本作の高坂新左衛門の生き様に通じるものだ。

映画は大ヒットだが、安田監督のお米の方は、今年は豊作とはいかなかったらしい。安田淳一監督には是非、ビッグバジェットの大作映画を監督する職業監督になってほしい。

キャストとスタッフワークによって増幅した映画のエネルギー

本作を成功に導いたのは、監督の手腕だけではない。主演の山口馬木也とそのライバルを演じた冨家ノリマサの存在が大きい。

山口馬木也は剣客商売や水戸黄門などの時代劇や数々のサスペンスドラマ、映画などに出演する実力派で、京都の仕事も多いことから、殺陣の実力も高い。冨家ノリマサも数々の時代劇やサスペンスドラマに出演する実力派だ。

山口も冨家も安田監督から送られてきた本作の脚本と過去の監督作のDVDを観て、「この映画は自分がやらなければ」とオファーを即決したそうだ。

冨家は、主演の山口の存在に惚れ込み、「自分が一生懸命やることで主役の存在をたてよう」と決意「二人で共に階段をのぼりっこ」する感覚で芝居を高め合おうと思い、芝居に臨んだ。山口も撮影中その想いを感じ、「自分のためにやってくれているんだな」と感謝の思いでいっぱいだったという。

しかし、安田組の撮影は過酷で、山口は、かつらを外すことなく炎天下で10時間以上撮影、監督の完璧主義な撮影で、撮影は連日遅くまでかかった。

山口や冨家らキャストは、監督と徹底的にディスカッションした。安田監督は自分で脚本も書いているため、その人物がどういう動作をするのかは綿密に頭に入っているそうだが、俳優陣は「この役はこう反応するのではないか」ということを提案し、監督と徹底的に話し合った。監督は、1時間数万円で借りている撮影スタジオ費がかさむなと心では思いながら、そのディスカッションで徹底的に俳優陣と役を膨らませていった。

毎晩、山口の運転で車で二人でホテルまで帰る冨家と山口は、会話をしながら、「監督コノヤロー」との思いを胸にしながらも、ホテルに帰り、一息つくと、LINEで監督からその日のラッシュが送られてきて、観ると面白いので、「監督についていくしかない」と思い、次の日の撮影に臨むそうだ。そうして脚本を徹底的に読みこみ、役を理解した二人は、次の日も監督とディスカッションし、撮影は遅くなる。そんな毎日の繰り返しだったそうだ。

それは、東映京都のスタッフのプロフェッショナルとも同じだったそうだ。太秦の職人のプライドが決して手を抜かずに、時代劇のリアリティを出した。

映画撮影においては、人と人のぶつかり合いから映画らしさが膨らみ、それが映画的なエッセンスとなる。撮影が計画通り順調にいったら良い作品になるとは限らない。『エイリアン2』や『地獄の黙示録』など、半分事故かと思うぐらいのハプニングや人と人とのぶつかり合い、それらが監督の映画的のビジョンを増幅させるきっかけとして映画的なエッセンスを生み出し、それを監督が拾うことで良い映画になっていく。黒澤明も、「自分の思う通りに撮影が進むとがっくりいく、それを超えるような何かが起きて僕の想像を倍にならないとダメだ」と言っていた。本作も、熟練のスタッフと実力はキャストのぶつかり合いにより、名作になった。

『カメラを止めるな』との関係性

上田慎一郎監督による『カメラを止めるな』が公開され社会現象を巻き起こしたのは6年前、公開されて間もなくして安田監督は映画館に観に行き、「自主映画でも観客が見たいもの作るとお客は観に来る」と感じ「自分の目指している方向性は間違っていなかった」と思ったという。観客の見たいもの、笑える要素を入れながら意外性のあるストーリーにというのは、『カメラを止めるな』から安田監督が参考にした部分だと言う。

私は、『カメラを止めるな』公開時、その社会現象に圧倒されながらも、どこか一発芸のような印象を拭えなかった。もっと、一人の作家が蓄積してきたものをしっかりドラマとして見せてもらえる作品はないかと期待していた。そして今年、本作に出会えた。

この映画の問題点

そんな本作であるが、あえて、評価点を100点にしない理由があるとすれば、もっとドラマに毒があっても良かったのではないかと感じた。毒というのは、人間洞察への深みのようなものである。それと、真剣で戦う部分が少し安っぽく感じた。真剣で戦う設定は良かったが、リアリティの厚みとしてもう少しなんとかならなかったものか。

総括

本作は、安田淳一監督の高度な脚本・演出・撮影の能力と東映京都撮影所全面協力、そして実力派キャストのぶつかり合いによってインディーズ映画の枠を超えたエンタメ作品になった。しかし、本作の一番優れた点は、映画単体としてではなく、一つの現象として誰も作れない大きなムーブとして評価できることだ。安田淳一監督という一人の男の執念と生き様を見せられた。大手映画会社が一億かけてもこの映画は作れないだろう。

演出☆☆☆☆
映像☆☆☆☆
物語☆☆☆☆☆
テーマ ☆☆☆☆☆
97点

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