竹林はるか遠く/Yoko Kawashima Watkins#22
「竹林(たけばやし)はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」は、日系米国人作家のヨーコ・カワシマ・ワトキンズこと川島擁子が11歳の折、第二次世界大戦の終戦時に体験した羅南から京城(現在のソウル)、釜山を経て日本へ帰国するまでの体験記である。
朝鮮半島を縦断する決死の体験や、引揚げ後の壮絶な姿が描かれている。
1986年にアメリカで出版され、優良図書に選ばれたのち中学校用の教材として多くの学校で使用されている。
日本語では2013年に出版されたが、韓国人・韓国系アメリカ人による反発が以前から多く、教材使用禁止運動も行われているようだった。
川島一家は父・母・淑世(兄)・好(姉)・擁子の五人家族である。川島擁子の父は満州鉄道で勤務しており、満州引揚げの際は遠方へ行っていたためこの本の中ではほとんど出て来ない。
兄である淑世(ひでよ)は弾薬工場で働いており、突如として現れた共産軍に銃撃され、一命をとりとめたが逃げ遅れる。
そのため物語は母姉妹の3人と、淑世のそれぞれの境遇を交互に描いている。母姉妹の3人は陸軍病院で知り合った松田伍長のアドバイスにより、ソ連軍が攻めて来る前に京城へと向かうが、そこにはいくつもの困難が待ち構えている。
また、この松田伍長が日本へ引揚げたあとに川島姉妹にとって重要な人物となる。
もともと重傷患者として陸軍病院へ入院していた松田のもとを、日本舞踊などをしていた川島親子が慰問で訪れ励ました縁であった。
その松田がいち早くこの一家のために逃げるよう警告するのだが、のちにこの松田と姉妹とが再会する。淑世は途中までは弾薬工場で勤務していた友人と逃げるが、家族の向かった京城を目指し一人で向かうことになる。
母姉妹3人の場合も同様であるが、生きていく知恵を働かせ、生き延びていくためには嘘や罪(盗み)を重ねばならないことを痛感する。
そして著者自身も述べているが、これは「反韓」の物語ではなく「反戦」の物語であり、朝鮮人の中にも善良な人がいること、日本人の中にも悪人がいることが記されている。
日本へ引揚げたあとは、母が子どもたちには一刻も早く教養を身につけさせねばならないとの想いで実家の青森には連れて行かず京都の女学校へ入学させる。
襤褸を着ている擁子は学校へ行きたくないと訴えるが、「勉強して教養のある人になるために学校へ行くの、だから自分を飾る必要などないでしょ」と戒める。
母の子への教育に対しての姿勢がよく見られる場面である。
母はひとりで実家の青森へ行くが、既に祖父母は亡くなっており土地も何もかもなくなっていることを知る。足取り重く京都へ帰って来たが、そのまま擁子に見守られ好の帰りを待つが息を引き取る。
姉妹は悲しみに暮れ、帰国後駅で寝食をしている様子を見て心配した夫婦が、好意により倉庫を貸してくれることになりそこでの姉妹の生活が始まる。学校ではいじめられながらも勉学に励み、母が遺したお金には手をつけず靴磨きや売り歩きをしながら兄・淑世の帰りを待つ。
はじめは泣き言ばかりだった擁子も母が亡くなり懸命に働く姉を見て、姉に楽をさせたいと成長していく様子が感じられる。
全体を通して難しい言葉や歴史の問題にも深く触れていないので、集中すれば2時間ほどで読み終えるものである。
少々ショッキングな描写も含まれているが、中学生には丁度良い量と内容に感じた。
続編も出版されているようなのでその後この姉妹、兄、父がどのような時代を生き抜いていったのかを見届けたいと思う。