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映画『虹をつかむ男』のロケ地となった脇町劇場オデオン座。まるで映画のように紡がれた、奇跡的な復活物語とは

「私は田中裕子さん演じる八重子の出身と同じ、“亀有”から来たんですよ」
「吉岡くん演じる亮は柴又出身で、うちは柴又にも近いんです」

と言いたいがために、私はこのオデオン座で開催されるライブのチケットを取ったのかもしれない。

映画『虹をつかむ男』(1996年12月28日公開)を観て、
そのロケ地になった場所が今どうなっているのか、
どう残されているのかがとても気になり、
現地で見たもの・感じたことを記録しておきたいと思った。

当初はただライブを見に行くことが目的だったが、映画を観てから
「映画が生まれたその現場に行く」という気持ちがどんどん高まり
徳島への旅が違う輝きを見せ始めとも言える。

西田敏行演じる活っちゃんと同じ舞台に立つこと
(西田敏行さんは映画館のオーナー役です)、
山田洋次さんが亡き渥美清さんへのオマージュを込めて
作った作品のロケ地に立つこと、
その凄みとはなんぞやと、オデオン座に行く人々にも大声で言いたかった。

勝手にそんな気分を盛り上げ、東京から徳島へ乗り込み、
ニコニコレンタカーで借りたNoteに乗って(12時間3980円)、
徳島市内から車で1時間弱、脇町劇場 オデオン座にたどり着きました。

◆◆◆

まずは簡単に、脇町劇場 オデオン座のこれまでを振り返ります。

1933年(昭和8年)に建てられた脇町劇場オデオン座は、建設当初は芝居小屋として使われていました。回り舞台、奈落なども備え、歌舞伎や浪曲などが上演されていた様子。

戦後は映画館として改築。歌謡ショーが行われたり映画上映などがメインになりました。その後、映画産業の衰え・建物の老朽化もあり、閉館・取り壊しが決定。しかし『虹をつかむ男』のロケ地に決まり、取り壊しは中止に。

(オデオン座の館内に掲示されていた『虹をつかむ男』の資料)

館内に貼られていた撮影当時の記録を振り返ると、ロケ地候補として他にも
いくつか映画館があったようです。

・長野県茅野市 新星劇場★
・長野県佐久郡 川西座
・岐阜県美濃市 太田劇場
・長野県上田市 ニューパール劇場
・愛知県西尾市 西尾劇場
・奈良県天理市 丹波劇場
・岐阜県可児市 旧映画館
・徳島県美馬郡 旧貞光劇場⭐︎

★がついている新星劇場のみ現在も映画館として残っており、
他は全て閉館、建物も存在していません。

⭐︎旧貞光劇場は、オデオン座から10kmほどの場所にある
美馬郡にあり、建物は現在も残されています。
(と知ったのは、後からのこと。あまりの素敵な建物で、
なぜあの時気づかなかったんだ!そこまで行ったら、行きたかった!と
猛烈に後悔)こんな建物です↓

(Google mapからお借りした外観のお写真です。かっこよ!)

話がそれたけれど、解体を免れたオデオン座は、ロケ地として残され、
平成11年(1999年)には町の指定文化財に指定。建設当時の様相に近い
芝居小屋として修復され、一般公開およびイベントなどにも貸出されています。現在も地元のイベントが行われているとか。

(オデオン座の前を流れる大谷川にかかる橋横に設置された看板。指差しイラストがいい)

『虹をつかむ男』

【概要】
渥美清の急逝に伴いシリーズ終了となった「男はつらいよ」に代わって松竹の正月番組をつとめた人情喜劇。映画を愛してやまぬ映画館主をめぐる人間模様を、数々の名画の断片を交えて描いた。監督は「学校II」の山田洋次。脚本は山田と朝間義隆の共同。撮影は「学校II」の長沼六男。「学校II」に続いて西田敏行と吉岡秀隆が主演したほか、「男はつらいよ」のレギュラー陣が顔を揃えている。またCG合成で寅さんにふんした渥美も一場面に登場し、本作も渥美に捧げられた。

【ストーリー】
平山亮(吉岡秀隆)は就職試験に失敗して柴又の家を飛び出し、旅の果てに四国・徳島県の小さな町に辿り着いた。亮は白銀活男(西田敏行)が経営する古ぼけた映画館・オデオン座でアルバイトとして働くことになる。活男はこの町で映画の灯を守り、映写技師の常さん(田中邦衛)や映画好きの町民たちと土曜名画劇場を催していたが、それはメンバーで幼なじみの未亡人・八重子(田中裕子)に捧げるものでもあった。活男は八重子が開く喫茶店“カサブランカ”に毎日顔を出しては映画談議を繰り広げるが、彼女への想いだけは口にすることができないでいた。
(映画.com紹介ページより抜粋)


こちらが建物の外観。

当時とは大きくは変わっていませんでしたが、上部にあるモザイクっぽい
はめこみガラスのようなものは撮影当時はありませんでした。
また『脇町劇場』の看板文字も、撮影時には映っておらず
後から付けられたようです。
『オデオン座』のネオン文字の上にあるバルコニーのような場所の両端には、
当時小さな部屋がありましたが、現在は無くなっているようです。
(劇中では、田中邦衛さん演じる映写技師の常さんが
その窓から顔を出していました)
チケットの受付はほぼ当時のまま、のぞき窓の雰囲気もほぼ同じです。


建物の中こんな感じ。

(2階席からステージの見え方)

映画館っぽい雰囲気はどこにもなく、完全なる芝居小屋です。両サイドに見える2階席は、さらに2段になっていて、後ろの列の人も見やすい構造。1階の左側には花道があります。

(2階席の様子)

2階席には両端に階段があり、1階へと降りられます。映画の中でも映写室の前に階段があったので、ひょっとしたら今ある小部屋はもとは広かったものを作り直したのかもしれません。

(2階席後方の様子)

引き戸がついている小部屋が、劇中で映写室として使われていた場所。撮影時には、フィルムを映す小窓しかなかったのですが、改装時に今のような形になったようです。右奥には、さらに小上がり席があり、こちらには『男はつらいよ』の歴代ポスターが掲示されていました。

(『男はつらいよ』のポスター。ヒロインはもちろん、ゲストも三船敏郎、
長渕剛など豪華すぎる面々)
(2階にある神棚)

2階席の左側前方にある神棚。この神棚は撮影時にもありましたが、もっと簡素な形でした。

(2階席前方から後方全体)

会場内は、入り口で靴を脱いで座布団に座るスタイル。後方には、映画『虹をつかむ男』ができるまでのプロダクションノートが写真とともに紹介しています。
紅白のちょうちんが、どことなくお祭り感あります。

(オデオン座の後ろ側)

建物の裏側はこんな感じ。映画の中で、吉岡秀隆さん演じる亮が泊まった部屋がここに位置しており、幽霊が出た、と除霊をしてもらったのもこの場所。ギリギリの場所に戸建が立っているため、これ以上近づくことはできませんでした。映画の中とほぼ同じ様相が残っていました。(窓の作りなどは、多少は変わっているようでした)

(オデオン座の左側)
(オデオン座の隣、脇道沿いの家)

オデオン座の右側には、映画の撮影時にあった古い平屋の通りが今も残っていました。実はこの場所、田中邦衛さん演じる映写技師の常さんが住む場所です。劇中では、この並びにある古い平屋から出て来て、近所の人と挨拶するシーンもありました。こんな古い家(当時はもっと古い印象でした)で、1200万円も貯めた常さん…(涙)と胸が熱くなりました。

(オデオン座の隣、脇道沿いの家)

今は誰も住んでいないかもしれないと思いましたが、一番奥の家には、
高齢者用のカートがあり、まだ住んでいる方がいるようでした。

(オデオン座の前を流れる大谷川)

オデオン座の前にある川、大谷川。現在は水が一切流れておらず、土手の階段を使って下に降りられるようになっていました。映画の劇中では、水がしっかりと流れていました。スタッフの方に聞くと「最近は流れていない」とのこと。水害対策用なのでしょうか。

(会場入り口のエントラスに飾ってある『虹をつかむ男』の山田組のサイン)

個人的に一番気になっていた場所が、オデオン座入ってすぐのエントランス部分。劇中では、土曜名画劇場の仲間たちが次に上映する映画をどうするか、話し合っているのが印象的でした。残念ながら、風情あるエントランスは残っておらず、下足箱や事務所になっていました。思い出の写真、山田組の直筆メッセージなどが掲示されていました。

脇町劇場オデオン座のスタッフの方も丁寧に対応してくださり、たくさん話を聞かせてくれました。
「ここができて今年で90年なんです。ぜひ、また8月にもイベントをやるので
遊びに来てください」と、8月の地元ものまねタレントが出演するイベントを紹介してくれました。(味わいのあるタレントさんでした)

◆◆◆

1933年から続く糸は、幾度となく切れかかりながらここまで伸びてきた。
映画のロケ地にならなければ、今のように残されることもなかったとすると
奇跡的でもあるし、ラッキーでもあるし、幸せなことでもある。
日本中には、こうやって消えていった映画館が山ほどあるんだと振り返った時に、
私たちができることって何だろうと思う。

それは「行ける時にはすぐに映画館に行く」。
映画って、1週目の興行収入で、全てが決まると言います。
次の週の上映回数、話題になれば別の映画館が上映を始まるなど、
全てが成績次第とも言えます。

2時間って、すごく長いんですよね。
料金大人1800円も決して安くない。
時間も止まらないし、映像を止めるボタンもない。
時間がかかるし、お金もかかるし、自由も効かない。

不自由の極みみたいな感じもありますが、ある意味
そんな環境を作れる場所なんて、大人にとっては映画館しかないのかもと思う。
それくらい強固な構造を持つ、特殊な場所でもある。

最近改めて思うのは、大切なこと大事なこと、
重要なことほどアクセスしにくい。
人って、楽な方楽な方に流れていくから、そういうものからどんどん
遠ざかっていく。そうすると本質を見失ってしまうし、
偽物にまみれてしまうこともある。
ああ、なんて悲しいし恐ろしいのだろう。

全く関係ないけれど、脇町劇場・オデオン座で見たのが、
折坂悠太さんのライブだった。
折坂さんの曲で一番最初にはまったのが、『道』という曲で
その曲をオデオン座でも歌ってくれた。

「寂しいところ なんにもないところ
ゆけどゆけども なんにもないところ」

その曲が生まれた背景について、
「寅さんが旅の途中をさすらっている時のイメージ」
とおっしゃっていたことが衝撃的だった。

https://youtu.be/2BFXzBNrHoc


その曲を、寅さんのお膝元・柴又の河川敷で自転車に乗りながら
聴くのがとても好きだったから。あの河川敷で聴く、この曲が、
なぜこんなにぴったりと合うのか、心地よかったのか。
その答え合わせを、柴又から遠く離れた徳島県のオデオン座で
するとは思わなかった。予想外のサプライズで、旅の思い出が、
また一つ重ねられたようにも思った。



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