文脈やお作法にうるさ過ぎると、お笑いで「どこが面白いかって言うとぉー」と説明しちゃってるのと変わらなくなりますね
現状「“伝統的”現代美術しぐさ」と言って良い、過剰にお作法に煩い系の現代美術作品は、同じくお作法に煩い伝統文化系のものに良く似ています。それらは文脈とか作品の背景とか美学の系譜とか色々あって成り立つ作品が多いわけですが、それが細か過ぎたり、そこに力点が行き過ぎると…
お笑いでネタをかましてから「なんで面白いかっていうとぉ・・」とワザワザ説明しているような、あるいは予めネタの成り立ちを客席に説明しておいてからそのネタをやるみたいな感じになってしまって、その界隈の人たち以外は興醒めしてしまいます
私は普段、このnoteに「日本の伝統文化系こそ、キチンとした理論体系を再構築し、現代における伝統の位置とその文脈を社会に明快に示す努力をすべき」と主張しておりますが、私の言うのは「実態の無い奥義などは否定し、明快さを持ちつつ奥深い、現代でも成長を続ける生きた文化を社会に提供する事。その界隈だけに通用するような、下々から上へ利益を吸い上げるための歪んだシステムを排除し、その権力構造を強化するためのおかしな決まりや伝説や文脈や、道徳は排除する事」という考えに基づいた意見です。ですから、今回話題にしている伝統文化界隈の“お作法”というのは人間社会の文化系の運営の悪い部分についての話です
それは、私が普段主張している “伝統とは、時間を超えたレベルに到達した人為や人工物たちの系譜”という意味のものではありません
話が少しズレました・・・
「“伝統的”現代美術しぐさ」というのは私の造語ですが、全てでは無いにせよ、現状のいわゆる現代美術の多くは、現代の作品という意味ではなく、独自のルール=様式を持つ分野であり、それを修めていないと鑑賞者は理解出来ない、制作者は制作出来ないものとされています…それが数十年続いているのなら、それは既に伝統様式であると私は考えるわけです。実際、その構造はいわゆる伝統文化系のものと酷似してます。ただし、それはまだ“一般社会の常識には程遠い状態”ですが…
伝統様式なのであれば確かに、その分野に参加したいならそれを知ってから参加するべきだという主張は分かります…しかし彼らの殆どは最新の事をやっていると自負していると思います
それと、伝統的現代美術しぐさは時折ルール変更があるようで、だいたいは「今度は〇〇って事にして儲けようぜ」という感じがありますね。それも含めた「しぐさ」ですね
文化が伝統化すると、分野を問わず似た性質を持つようになるのだなあとシミジミと思う次第です
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