あらすじだけじゃダメなんだ
以前、『ジャイロキネシス®︎』は難しいといわれることがあるという記事を書きました。
ダンスのような流れがあるから難しいんだけども。あとは体内にスペースやハリが必要って、そんな状況は日々ないから難しく感じるのかもしれないけど。
「もう少しかんたんなジャイロキネシス®︎のクラスをやっていただけませんか」
数か月前、そんなご依頼をいただきました。
そのうえオンラインで30分。
むむー。むむー。
正直、とても悩みました。
果たしてこの条件で、わたしはジャイロキネシス®︎を伝えられるのかな、と。
エクササイズはできるかもしれない。
でも、それが少しでもジャイロキネシス®︎の本質をシェアできることにつながるのか。
悩んで悩んで。
やってみました。
やってダメなら仕方ないけど、やらないで決めてしまうのはどうかと思ったので。
そしてやったらわかった。
そうか、そういうことか。
2時間半とかあるジャイロキネシス®︎を短くすると長編映画のあらすじを伝えるような感じになってしまうんだなってこと。
予告編ならいい。
「さーて、来週のサザエさんはー」みたいな感じで、来週に向けてワクワクをあおってくれるならまだしも、それができない。
だって、来週もあらすじだけなんだもの。
あらすじが悪いとは思わない。
ただ、あらすじは最小限の流れや事実を伝えるだけ。場の情景や人の感情、美しいとか悲しいとか、形容詞はガッツリ省かないといけなくて。
でも、ジャイロキネシス®︎ってアート。
だから、形容詞がいっぱい感じられるクラスじゃないと全然、面白くないだって。
美しいとか楽しいとか。
形容詞なんてなくても生きていける。
ジャイロキネシス®︎だって、やらなくても生きていける。
でも、やるならやっぱり中途半端はナシ。
壮大な長編映画を余すところなく観るような、からだの叡智に触れてもらう。
そこは絶対ハズせない。
少なくともわたしはそういうクラスがしたい。
それがわかってよかった。
わたしは形容詞が溢れる、色鮮やかで深い感覚のジャイロキネシス®︎が好きだー。