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弱がりであること

強がりの反対として、弱がりという言葉を初めて見た。

これを読んで、あっ私きっと弱がりだったと、なんとなく思ってしまった。
今抜け出そうとしてはいるものの、長い間ずっと弱がりでいたからこそ、できなかったことがたくさんあったし、今もそういうことは往々にしてあるのだと思う。

ただ、強がりと弱がりは自分でも見分けがつきにくいくらいで、私自身もこれだけ弱がりにしっくりきてなお、それでもこの点は強がりだったと感じることだってある。
そしてこれは、誰かからあなたは弱がりだよねなんて言われたら、それこそ立ち直れなくなってしまう気がする。

強がっている時、強がるくらいのものを持っている状態であれば、"あなたはそのままで大丈夫だ"というメッセージに偽りはない。
でも弱がっている時、弱がりな人はそのままで大丈夫だと思えるだけのものをそもそも持っていない。
持っていないからこそ、余計苦しい。

苦しいことを苦しくなくするためには苦しむしかないと、休職している時恋人に散々言われてきた。
今の私は元気だし、大分生きることがわかってきたからそれが受け入れられているけれど、それを言われていた頃は毎日何時間も泣いていた頃で、どうしてこんなに苦しいのに他に何をどう苦しめば許されるのかと苛立ちと絶望で破壊衝動に駆られていた。
ただ苦しいというだけでは意味がなくて、苦しいことを苦しくなくするために行動しなくてはならないのは正しいけれど、弱がりなまま落ち込み過ぎている時にそれはやっぱりできなくて、一旦安定できる状態にする必要がある。

弱がりは、難しい。
この人は弱がりなのかなぁと思っても、あなたは弱がりだよねなんて言ったら相手を責めているような形になってしまう。
強がりな人に向けたメッセージは温かいから広まりやすいけれど、弱がりな人はそれをふむふむと思いながらも、どこかしっくりこないところがあるのだと思う。

弱がりな人が弱がりじゃなくなるためには、自分が弱がりなことを認識しなければならない。
それでも外から指摘されるのは酷で、かといつて自分で気が付けるかというと微妙なところがある。

抱えた苦しさに太刀打ちできなくなった時、考えや見方を変えないと生きていけないような出来事があった時、そんな時になってやっと気付くのは辛いから、もっと前の段階で優しく前向きな改善を進められる視点に切り替えるきっかけはなんだろう。


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みみ
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