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逃げても、いいの。探せば、いいの。

こんばんは、といです。

昨日、こんな記事を挙げました。
体調が悪い時に何をしても上手くいかないことってないですか?という記事です。

その後、さらに狼狽える出来事に遭遇しました。
一日中、月経痛に悩まされ起き上がる事のできなかった私は、仕事から帰ってきた旦那さんに頼んで外へと連れ出してもらいました。

車で向かったのは、近くのドラッグストアです。
近々で絶対に必要なものを買いに行った訳ではなく、
外の空気を肌で感じたかったから。

ただそれだけでした。

買い物リストにあるものをさっさと買い終え、
車の中で小休止。

本当は散歩に行きたかったけれど、
体調が追いつかないので車中で休むことにしました。

そんな時、隣にビュンと車が停車しました。
運転者は私たちが先程出てきたドラッグストアへ。





それほど気にも留めていなかったので、
(隣の車内には子どもが乗ってるなぁ)くらいの認識しかありませんでした。



しかし、しばらくすると隣の車中の「幼稚園児に煽られている」ことに気付きました。
幼稚園児が助手席の窓から半ば身を乗り出し、
こちらに向かってはっきりと悪言を言ってきているのです。

よもや、幼稚園児に挑発されるとは。
驚き⇨聴き⇨知らぬふりをし⇨(保護者に)怒り。

最終的に哀しくなりました。

大人から浴びせられる罵詈雑言よりも、哀しいのです。



(この子たちは、他人に躊躇なく悪言を吐いている。)

(社会への不満などではなく、家庭や環境への不安からでなければ、そんな事が平気で出来るはずないのではないか。)

私たちは、未だ、子なし夫婦ですが、
「親の顔が見てみたい」、「危険」、「落ちそう」と語る一方で、「何故こうなってしまったのだろうか」と話し合いました。

エンジンも切らず、窓を半分以上開けた状態で、こちらを罵る幼稚園児にとって、私たちのとる〝無関心を装う〟という行動は彼らに絶望を与えてしまったかもしれません。

しかし、彼らが車から転落したら危ないので、私たちは機を見計らって車ごと移動することにしました。



私は、この本を読んだ時からずっと、
(大人に向けた本だ)と思いながら涙してきました。

大好きなヨシタケシンスケさんの絵本
「にげて さがして」

同時に、もしも子どもに恵まれて、狭い社会で暫くの間生きることを強いられるまだ見ぬ我が子に、読み聞かせてあげたいと思って購入したのです。

いい本はずっといい本だから。
残しておきたい、繰り返し読みたいと思ったのです。



近くのラーメン屋で麺を啜りながら、先程の隣に停車する他人に悪言を吐く子らに、想いを馳せました。
夫婦で黙食。

(彼らにも逃げ場があれば。)
(あるんだよ、と誰かが教えてあげれれば)、と。



お会計を済ませ、「ご馳走様でした」と
ふと店内を見やると、なんと、彼らがいました。
彼らにはスマホの画面を見やる母がついていました。
彼らは母に話しかけていますが、母の顔は子らに向けられてはいませんでした。


我らはただ顔を見合わせ、その場を後にします。


にげて さがして(抜粋)

いま、きみがうごきまわれるのは
すごくせまいはんいかもしれない。
でも、もうすこししたら、
きみは どこにだっていけるんだ。
うちゅうにだって いけるかもしれない。
…(中略)
どうか いつか きみに すてきな なにかが、
すてきな だれかが、
みつかりますように。


子どもから大人まで、
「逃げる癖」という言葉が使われず、
個人と個人が向き合える、
そんな余白のある世の中になるといいな。


布団の中からあなたへ。
こんな大人もいるよ。


とい。

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