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bedroom籠城

私の家の寝室には太陽の光が射しこまない。
朝が来たことを告げるアラームは「鳥の鳴き声」という名前のついた、けたたましい鳥の声とすることで、毎朝を迎えている。
爽やかな朝、というよりは、ジャングルの朝のような暑苦しさを感じさせるタイプのアラーム音だ。
鳴りっぱなしにさせていると、気に触るとでも言わんばかりに猫に睨まれる。

そういう訳で、朝寝過ごすことは殆どない。

ただ、ベッドと身体が一体化したようにめり込み、立ち上がれないことがママある。
けたたましい鳥もお手上げである。

私の朝のルーティーンは、単身赴任中の旦那へのモーニングコールから始まる。調子がいい時も悪い時も、これは欠かせない。
その日の体調や天気、連絡事項を伝え合う。

ベッドにめり込んでいる朝は、寝起きの旦那さんからのカウンセリングを受けるのが常である。カウンセリングといっても何かの資格を持っている訳ではないが、私の性格と行動パターンを熟知している人に話を聞いてもらえるのは、大層安心する。
物事を解決する訳でも、ベッドから引き剥がす訳でもないのだが、アドバイスはいつだって的確だ。


それでも、自分自身の殻から出られない日には、もう籠城するしかない@薄暗い寝室。
今日も布団から出られなかったとか、突発休なんて周りに迷惑のかかるやり方だとか、いろいろな思考がとてもとても長い間錯綜する。
それらをシャットアウトする為には、睡眠という選択肢が手っ取り早いのだけれども、夢の中にまで思考が付いてきたりもする。

うなされて、目を開けて、仄暗い天井を見上げ、そして、傍で眠る猫をさわさわと撫で、ひしと抱いて眠る、その繰り返し。

生理現象に耐えきれず洗面所へ向かえば、扉の前で猫が待っていたりする。うちの猫は空気読みが過ぎる。


いろんな感情や思考に押しつぶされそうな日々をこれまで沢山越えてきた。だから、あの日々に戻るまいと、守りの態勢に入るのだけれど、一方で、傍で励まし続けてくれた旦那と猫との日々が愛しくて有難くて、そしてまだ籠城しているという現実への申し訳なさを噛み締めている。

こんなbedroom籠城の日々がいつか120%の愛しさで溢れることを願って。