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期待する生き物

「私は/スーパーマーケットに/美味しい/バナナが/売っている/ことを/期待する。」などのように、日々私は(私たちは)何かしらの期待を抱えて生活している。

「期待に胸躍る」という言葉を使うことがあるけれど、その期待を裏切られたとき(そもそも期待したのは自分自身であるので裏切られる/られないもないと思うのだが)、時として切なくなることがある。

そういうことがあるのは至極当たり前のことなのだろう。けれども、実際目の当たりにすると、やり切れない気持ちに沈んでしまう。私にとって今週末はそんな週末だった。期待の先は、自分自身だった。だから誰を責めるわけでもなく、もろに自分に返ってきた。
今に始まった事ではないのだけれど、「ぼちぼちいこか」と唱えていないと、自分自身に何かしらを課してしまう癖が発動する。そして、それは誤った目算で、体調によって全然期待値に達しなかったり、思うように事が運ばない事が常なのだ。

そんなこと、もう、既知中の既知であるにもかかわらず、だ。だから改めて、期待する生き物だから、しょうがない。課したものと結果を照らし合わせて擦り合わせる時間と何も考えない時間の両方を確保しよう、と思い直した。

そんな夜、焚き火の動画をつけて照明を消して猫の匂いを嗅ぎながらごろごろしている。今夜はもう、これだけで良い。そんな夜があってもいい。

おやすみなさい。
とい。