「褒めないレッスン」その結果は?
こんにちは、辰巳です。
今日は「褒めないレッスン」と「主体性」の関係についてのお話です。
最近の記事で、
コンプリメント(出来た事を認める言葉がけ)や、内発的達成動機の育成において、「褒める」のはあまり良くないとお話しましたね。
理由は、
ピアノが上手く弾けた生徒さんに対して毎回「褒め」てしまうと、褒められる事が「目的」になってしまい、本来の目的であるピアノは褒められるための「手段」になる可能性がある、
という事や、
毎回先生から褒め言葉をかけられると、評価の基準が先生になってしまい、自分で良し悪しの判断が出来なくなってしまう、
という事などでした。
でも、
「褒めないレッスン」って難しいですよね(^_^;)
頑張って弾けた生徒さんを心から褒めてあげたい!と思うシーンは多いものです。
このジレンマを回避するテクニックがあります。
それは、
「事実を言う」
という方法です。例を見てみましょう。
次の2つの言葉、似ているようで違うんです。
「上手だったね!」
「出来たね!」
いかがでしょうか。
前者は「評価」つまり褒め言葉、後者は出来たという「事実」を述べているだけです。
このように、同じ出来事を「評価」ではなく「事実」として伝えてあげるのです。
こんな小さな違いに意味があるの??
と感じられるかもしれませんが、
意味、大アリです。
評価は「先生軸」、事実は「生徒軸」です。
少し抽象的な言い方になるかもしれませんが、
生徒のレッスンは生徒軸で進めるべきです。
これが生徒の主体性に繋がるからです。
もちろん、場合によっては褒め言葉を使う事もあると思います。でも、根本的なところで、生徒軸で進んでいるレッスンであれば、時々表面的な褒め言葉があっても問題ありません。
例えば、私は生徒さんが弾いている時に、横から合いの手のように「今のいいよっ!」「今の上手!」みたいな褒め言葉を短く挟み込む事があります。
しかし、弾き終わった時には、褒めたい気持ちをグッと我慢してこう言います。
「今のどうだった?」
すると、生徒さんは自分で自分を評価する答えを話してくれます。
演奏中の「合いの手褒め言葉」は潤滑油のような物です。
最終的に評価しているのは先生ではなく生徒さん自身です。
評価したい時も褒めたい時も、
「言う」のではなく「言わせる」のです♪
このようにする事で、生徒さんは「評価待ち人間」ではなく「自分で自分を褒めたり叱ったり出来る主体性」のある子に育ちます。
先生は褒めるのをグッと我慢する、
そして、
生徒さんが「自分で褒める」ためにどう接するのかを考える、
このプロセスが大切です♪
ちょっと抽象的な話になりましたので、「先生軸」と「生徒軸」のレッスンの例を具体的シーンをあげてみますね♪
「先生軸」のレッスン
先「今日のレッスンはここから弾いてみよっか」
生「はーい」(演奏する)
先「はい、上手に弾けましたね(評価)。ここがまだ出来ていないから、この部分の練習を宿題にするね」
生「はーい」
「生徒軸」のレッスン
先「さて、今日はどこからやる?」
生「うーん、、ここが自信ないからここからやりたいです」
先「自信ない所が良く分かってるのね(コンプリメント)。オッケーじゃあそこからレッスンしよっか」
生「はーい」(演奏する)
先「はい、頑張ったね(事実を伝える)。うまく弾けた?」
生「うーん、ちょっとまだ、ここだけ遅くなっちゃうかも(生徒が自分で評価する)」
先「気付いてた?そうなのよ(コンプリメント)。何で遅くなるのかなぁ」
生「うーん、、わかんない」
先「ここはね、指が伸びてるから遅くなると思うよ(生徒が分からない時はアドバイスする)」
生「そっかぁ」
先「今日の宿題はどうしよっか?」
生「ここで指を伸ばさないように注意してきます(主体性のある宿題)」
先「オッケーそうしよう。頑張ってね!」
、、、
いかがでしょうか。ずいぶん違いますね(^^)
前者は「受け身」な生徒、後者は「主体的な生徒」です。そうさせているのが先生の関わり方によるものだと分かりますね。
後者が「褒めないレッスン」です。
褒めないレッスンは主体性を育むのです。
上の例でもお分かりかもしれませんが、褒めないレッスンには質問がセットなんですよね♪
「質問」については、また別の記事でゆっくりとお話したいと思います。
繰り返しますが、たまに出ちゃう表面的な褒め言葉はあまり気にせずに。大切なのは、根本的に生徒軸で、生徒が主体性を持って練習出来ているかという事です♪
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「褒める」に関して、もう一つお話があります。
今度は「褒める」ためのお話です。
前回の記事で「前操作期の子供には褒め言葉も必要」とお話しましたね。
この「褒め言葉」なのですが、、、
私、大学の教え子から時々言われる事があります。
例えば、3歳の生徒さんが、初めてのレッスンで、1の指で「ド」を弾けたとします。
ただ、「ド」と弾いただけです。
それだけでも私は「すごいね!出来たね!」と満面の笑顔で言います。
そんな時、ある学生はこう言います。
「そんな簡単な事、たぶん誰でも出来ますよね。それだけの事で「すごい!」とか褒めるのって、わざとらしいと言うか、白けてしまう気がするんです、褒めてあげた方が良いシーンなのは分かるんですけど、自分には違和感があります」
学生の言いたい事はよく分かります。私も昔は同じ事を感じていましたから。
でも、今はこう思います。
褒めているのは「ド」という演奏に対してじゃないんです。
確かに学生のいう通り「ド」を弾く事は褒められるほど難しい事ではありません。
でも、3歳のその生徒さん。今まで生きてきて、親以外の大人と接する事にも慣れていないんです。まだ家では半分赤ちゃんみたいな生活をしているわけです。
そんな子が、レッスンに来て先生という「知らない大人」に「生まれて初めてやる事」をさせられるわけです。
その状況で、言われた事がちゃんと1人で出来るって、ホントにすごい事だと思うんです。
赤ちゃんが初めて歩き始める時に、
一歩歩けただけで「すごいね!」って心から思いますよね。それと同じ気持ちです。
頑張って歩こうとしている姿をみて、
「人間なんだから歩けるのは当たり前、どうして一歩歩けただけで褒めるの?わざとらしくない?」
とは、なかなか思いませんよね( *´艸`)
こう説明すると、学生は、
あぁ〜、そっかぁ!確かにめちゃ褒めたい!
と言ってくれます。
3歳児が家でどんな生活をしているのかをちょっと想像するだけで、褒め言葉はいくらでも出てくると思いますから、
小さい子を褒める事に抵抗があって困っておられる先生は、是非ご参考になさってみてくださいね。
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褒めないレッスンの結果は、
生徒の主体性が育まれる!
鍵は「質問」を含む関わり方!
というところでしょうか(^^)
お読みくださってありがとうございました♪