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偶発性とアルゴリズム

1,はじめに


現代社会はアルゴリズムや統計の力が人間の上位に存在し、ヒエラルキーの最上層部に存在する。


人々の行動や意思決定は、ますますデータに基づく科学的手法に依存するようになるということは想像に難しくない。

このような状況の中で「偶発性が大切」という意見が一部で聞かれる。

しかし、この意見は単なる反知性主義者の妄言として受け止められることが多い。

それでは実際に偶発性が現代社会においてどのような価値を持つのか、そしてそれがなぜ重要なのか哲学的視点から考察していきたい。

まず偶発性とはどのようなものかと定義することが重要である。

偶発性とは予測や計画の及ばない出来事や状況のことを指す。

それは、新しいアイデアや創造性を生み出す源泉であり、入口である。

また自由意志や偶然性と密接に関連している。

偶然性は因果関係の範疇を超えた事象や状況を意味し、それが私たちの選択肢を広げることで、自由意志が発揮されるとされる。

つまり私たちの人生における自由と創造性に根ざしていると言えるのではないだろうか。

しかし、アルゴリズムや統計の支配によって私たちの人生はより予測可能で制御可能なものになっている。

例を挙げるとするなら、ユーチューブでエチエチ系の動画を見ているなら、エチエチ系、ビジネス系を見ているならビジネス系、アウトドア系を見ているならアウトドア系、それぞれが優先的に表示されないだろうか?

この現象は私たちが効率的で安全な人生を送ることを可能にする一方で、偶発性や自由意志が失われることを意味していると考える。

哲学者たちはこのような状況に懸念を示しており人間の尊厳や個性が失われることへの警鐘を鳴らしている。

彼らは偶発性を重要視することで、人間の創造性や多様性を守ることを大切にしている。

一定のパターンや規則から外れた現象やアイデアが生まれ、社会や文化の多様性が維持されるのである。

ユーチューブの例に戻って申し訳ないが、たまたまでてきた普段見ない底辺ユーチューバーの動画に、時間を溶かした経験はないだろうか?

見終わった後、後悔と自己嫌悪に陥る反面、「こんな世界もあるのか」という謎の満足感も同時に満たされないだろうか?

そしてそれらは時としていつも同じ情報しか与えない媒体よりも、遥かに有益な情報をあなたに提供するかもしれない。

従来の凝り固まってしまっている我々愚かな人間の枠組みを壊し、新たな視点や発想をもたらすことで、人々が互いに違いを認め合い共存することができる土壌を提供するのである。

さらにこの多様性は異なる文化や価値観が交差することで、生じる創造的な摩擦により、さらなる革新や発展を促すのである。

そして、それだけではなく、個人の自由や自己表現の機会を拡大する役割も果たしている。

以上のようなアルゴリズムが予測可能性を最大限に引き上げられた世界では、個人は社会や文化の中で非創造的で反復的な存在になりがちである。

しかしその中でアルゴリズムの外側から意思決定することにより、ルーティンワークのような日常生活下では得ることのできない、新たな事象や未知の発見に出会うことができる。

新奇的な刺激は私たちの視野や可能性を広げ、岩石のように固い思考からの脱皮を実現させる。

また、そんなアルゴリズムだけが機能した世界では一つの所に権力が集中し、不平等や差別が蔓延する可能性がある。

権力構造を打破する新たな価値観や運動が起こることで、社会が均衡を保つことが往々にしてある。

アルゴリズムや統計が支配する世の中だからこそ偶発性が大切である。

それは創造性や多様性、自由や自己表現、そして社会の均衡を保つ役割を果たしているのである。

ここで最も手軽に偶発性を得られるものを私の個人的見解を踏まえ大きく二つに分けた。

一つ目は人との出会い及び感情の共有である。

二つ目が自然である。

2,人との出会い

一つ目の人との出会いについてだが既存の人間関係を越えた新たな人間関係の構築は私たちに異なる価値観や考えを提供する。

文化圏が違えば違うほど自分の知らない知識や感情に触れ今までの視野狭窄がら脱却することができる。

ここで私たちが陥ってしまう罠が潜んでいる。

それは多様性の否定であり、異文化の拒絶である。

自分の価値観や正義、信念を肯定したいがために他者のそれらを否定するのは簡単である。

その短絡的快楽に飛びつかない勇気が必要であると考える。

留学して外国の人たちと交流するのも良い、

福祉施設で高齢者の方のためのボランティア活動をするのも良い、

居酒屋で飲んだくれと喋るのも良い、

ガールズバーで若い女の子と喋るのも良い、

マッチングアプリで気になる異性と会うのも良い、

それら「人」との出会いが大切なのである。


3,自然界の適度なプレッシャー

企業のSDGSが注目され少しずつは環境に対する意識も変容しつつある。

自然は予測不可能である。

天候の変化、木々の揺れ、雨の音、動植物の生命活動、さまざまな変数が複雑に絡み合い成り立っている。

それらの予測不能性は人間に最適な圧力をもたらす。

そもそも私たちの脳はビルや商業施設が立ち並んでいる時代よりも、自然界で狩猟や採集していた時代に適合している。

デジタルな刺激とは相性が良くない。

またデジタルこそ統計やアルゴリズムの土壌であり専門領域である。

現代社会でデジタルを上手く利用することは大切であることは間違いないが。

結論として「人」、「自然」を含めた偶発性が統計やアルゴリズムの範疇にない新しい息吹を吹き込む。

その息吹は根源的な欲求に根付き、私たちを本来あるべき姿へと導いてくれるのかもしれない。

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