
【読書記録】導入編:富国と強兵-地政経済学序説
今回の読書記録は、中野剛志『富国と強兵 地政経済学序説』です。
本文だけで590ページに及ぶこの本を一言で言い表すとしたら、どんな本だと言えるでしょうか。
私の所感で一言にまとめるとすれば、
『ある一国の力(軍事・政治及び経済)の源泉は何か?ある一国が発展や繁栄に向けて歩むために、いかに周辺国や通商国の軍事・政治及び経済的なパワーバランスによって道筋を左右されているか?パワーバランスの歴史的背景やシステムを読み解いた上で、国民の生活に大きく影響を及ぼす国と私たちはいかに向き合っていくか?といった問いに示唆を与えてくれる本』
です。
……うまく、一言にまとまりませんでした。
ただ、本書の扱う内容は、私のこれまでの探求と実践……『ティール組織』や『インテグラル理論』などで触れてきた、人の意識の発達段階と、それが生み出す価値観・社会構造に連なるものであると、確信しています。
本書に出会う直接のきっかけは、以前、私が読書記録にまとめていた書籍。ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン-惨事便乗型資本主義の正体を暴く』でした。
ショック・ドクトリンと、アメリカの覇権国家戦略
以前、私はカナダ生まれのジャーナリストであり、環境問題・気候変動の活動家でもあるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』について読書記録をまとめました。
ショック・ドクトリンとは、政府とグローバル企業が共謀し、戦争、自然災害、政変といった危機につけこみ、あるいは意図的に引き起こすことで、人々が茫然自失となっている間に、権力の集中と富の簒奪を図るための政策を打ち出すことを言います。
この書籍の中で、
ショック・ドクトリンは、アメリカが第二次世界大戦後、ソ連および共産主義との冷戦を戦うための時代的要請から生まれたこと
そのために、自由民主主義および資本主義を拡大する必要があったこと
その手段として、覇権国家としての政治力・軍事力・経済力を駆使して途上国への内政干渉や仮想敵国への経済的制裁・軍事的行動を行い、他国の政治体制や経済システム、法律を自らの都合の良いように書き換えようとしてきたこと
などなどが、ナオミ・クラインの詳細な記述によって著されていました。
つまり、ナオミ・クラインは、経済力と政治力(軍事力)のバランスによって、世界各国の政治体制や経済政策が左右されるメカニズムが、一部の政治家やグローバル企業に恣意的に運用されることを、ショック・ドクトリンあるいは『惨事便乗型資本主義(Disaster Capitalism)』と称して導き出したとも言えるでしょう。
ところで、同じような視点を持ちつつ、経済政策の観点から、経済力(富国)と政治力・軍事力(強兵)の国際的バランスが、私たちの国や社会、ひいては私たちの生活に影響すること(地政経済学)を解き明かそうとした日本人がいました。
それが、中野剛志氏であり、今回の読書記録である『富国と強兵 地政経済学序説』の主たるテーマとなります。
それでは、中野剛志『富国と強兵 地政経済学序説』について以降、見ていきましょう。
現代に蘇る、地政学とは何か?
地政学。この古めかしく、禍々しいニュアンスすら伴った言葉が、東西冷戦の終結から20年以上の時を経て、現代に蘇ってきた。p13
本書はこのような書き出しから始まります。
地政学とは、「国際的な力の追求と地理の政治的あるいは戦略的な関係に関する研究」あるいは「国際関係の空間的な研究と実践」といったように定義されている学問領域です。
この、「国家」、「領土」、「戦争」といったもの分析対象として扱う地政学は、かつて帝国主義の正当性を論じるために用いられたり、ナチス・ドイツの国家政策に大きな影響を与えたことから、戦後、血腥さやいかがわしいイメージの伴う分野として扱われてきました。
その地政学が蘇ってきた、というのなら、何をもってそのように言うことができるのでしょうか?
本書の出版は、2016年12月22日です。そのため、世界情勢は2014年あたりまでのものが最新データとして反映されています。
では、2014年当時、世界では何が起こっていたのでしょうか?
国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミードは、アメリカの外交誌『フォーリン・アフェアーズ』(2014年5月・6月号)にお『地政学の復活:修正主義勢力の復讐』というタイトルの論文を発表し、以下のように論じています。
アメリカ合衆国やヨーロッパ連合(EU)の多くの人々は、冷戦の終結を以て、地政学はもはや過去の遺物となったものと信じていた。国際問題における主たる関心は、領土や軍事力を巡る紛争ではなく、たとえば貿易自由化、核兵器の国際管理、人権、法の支配、気候変動といったグローバルな統治に関する課題へと移ったはずだった。
ところが2014年時点の世界が実際に直面している現実とは、どのようなものであるか。それは、ロシアによるクリミアの奪取であり、中国による東シナ海や南シナ海における領土・領海の強引な主張であり、そして中東における陰惨な武力紛争である。
領土と軍事力を巡る衝突が国際問題の中心に戻ってきたのである。冷戦終結後に成立するはずの自由民主的な世界秩序を楽観していた人々は、このむき出しの地政学的衝突を前にして戸惑いを隠せないでいる。p13-14
2014年3月、ロシアは国際的にウクライナの領土とみなされているクリミアを共和国として承認し、同時にクリミアをロシアに併合する条約に調印するという形で領土拡大を図りました。
また、中国政府は2013年に、一方的に東シナ海上空に「防空識別区」を設定し、尖閣諸島空域があたかも「中国の領空」であるかのように表示をしました。
中東においてもごく最近(2021年8月)、アフガニスタンではタリバンが宮殿を掌握し、アメリカはアフガニスタンから米軍を撤退。タリバンは国連総会への出席を希望し、事務総長宛に書簡を送るなど、大きな変化がありました。
特に、中国とロシアの台頭は、その隣国である日本にとって他人事ではありません。
いずれにせよ、国家間の領土を巡る緊張が2021年現在においても高まり、日々刻々と状況が動いていることは、疑いようのないことだと考えられます。
ミードは上記の論文において、どうしてこのような地政学的衝突が表面化してきたかについて、冷戦後(1990年代前半〜)の特異な政治環境とアメリカによる地政戦略に言及しています。
曰く、ソ連崩壊後のアメリカはヨーロッパ、中東、アジアの三方面において地政学的に安定した環境を享受し、グローバルな覇権的地位を獲得することに成功していました。
ヨーロッパに対しては、東西ドイツの統一と東ヨーロッパ諸国の北大西洋条約機構(NATO)やEUへの加盟によって。
中東に対してはサウジアラビア、湾岸諸国、エジプト、トルコとの連携とそれによるイラン、イラクの封じ込めによって。
アジアに対しては、アメリカと日本、韓国、オーストラリア、インドネシアその他の諸国との安全保障上の関係を構築することによって。
しかし、21世紀に入ってからおよそ10年が過ぎたところで、ロシア、イラン、中国という三地域においてほぼ同時多発的に地政学的な不安定化が生じました。
ロシアはかつてのソ連の勢力圏の復活を願い、中国はアジアからアメリカの勢力を追い出そうと考えている。イランは、サウジアラビアを盟主とするスンニ派が多数を占める中東を、イラン率いるシーア派が支配するものへと代えるという野心を持っている。
この国際秩序の現状に挑戦しようとする修正主義(revisionism)の3大勢力によって共通の敵が、アメリカなのである。
以上のようなミードの論は、論争の的になることを逃れ得ず、批判もありましたが、批判を検討した上で、本書中においては概ねミードの見解を採用しています。
ここからは、地政学の開祖とされるハルフォード・マッキンダーの提唱した理論と、その理論から現在の世界をどのように捉えていくことができるのか、を見ていきたいと思います。
地政学の開祖ハルフォード・マッキンダーの理論
歴史上、「地政学」という名から連想される理論家や戦略家としては、フリードリヒ・ラツェル、ルドルフ・チェーレン、アルフレッド・セイヤー・マハン、ハルフォード・マッキンダー、カール・ハウスホーファー、ニコラス・スパイクマンらが挙げられる。より最近では、ヘンリー・キッシンジャーやズビグニュー・ブレジンスキーなどが地政学者として知られている。
その中で最も著名な人物は、十九世紀末から二十世紀前半にかけて活躍したイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーであろう。もっとも「地政学」という名称を与えたのはチェーレンであり、マッキンダー自身は「地政学」という言葉を使うのを好まなかった。しかし、マッキンダーは、その優れた洞察力と影響力ゆえに、後世の研究者たちによって地政学の開祖として位置付けられている。p23-24
上記のように、様々な地政学者の名前が出てきますが、特にハルフォード・マッキンダーとその理論は今後、本書中で何度も出てくる重要事項です。
ハルフォード・マッキンダーの用いた用語の中で特に押さえておきたい用語は、ランドパワーとシーパワー、回転軸(pivot)、ハートランドの4つです。
ランドパワーとは、ある国の持つ内陸部を支配する力。
シーパワーとは、ある国の持つ海洋を支配する力。
回転軸(pivot)とは、ある時点の国際関係において、軍事・政治・経済的に重要な意味を持つ地域。※その時々の世界各国の勢力関係において移り変わりうるもの。
ハートランドとは、マッキンダーの主著『民主的理想と現実』において、回転軸から言い換えられた表現。
マッキンダーが活躍した当時(西暦1900年代初頭)、イギリスの世界戦略はシーパワーを最も重視し、海軍力に重点を置くものであり、その圧倒的なシーパワーによって七つの海を支配する大英帝国を築き上げていました。
しかし、この通説にマッキンダーは挑戦します。これからは、海洋ではなく内陸部を支配するランドパワーが世界の覇権を握る時代となる。そして、ユーラシア大陸の内陸部が、世界を動かす「歴史の回転軸(pivot)」となる、というものです。
このパラダイムチェンジは輸送インフラの大きな変化に求めることができます。事実、陸上輸送を馬やラクダに依存していた時代では船舶による輸送が優位であり、シーパワーが優勢でした。しかし、ユーラシア大陸を横断する鉄道輸送が登場したことにより、その優劣が逆転する可能性が出てきたのです。
例えば、この時点でシベリア鉄道を建設し始めていたロシアが台頭してきた場合、ランドパワー(鉄道輸送)とシーパワー(太平洋に面して港を持つ)の両方を有することとなり、国際関係上、戦略的な優位に立つことができる、というわけです。(現実は、そのようには進まず、日露戦争は日本が勝利しました)
また、第二次世界大戦前。マッキンダーがランドパワーの脅威と見なしていたのはドイツでした。ドイツとロシアが手を結び、間にある東ヨーロッパを支配した時、ユーラシア大陸における影響力が大きくなる。(しかし、これも理論通りに進まず、1941年に突如ドイツはロシアに侵攻し始め、東と西の両方に囲まれるという不利な形で戦わざるを得なくなってしまいました。その後の顛末は言わずもがなです)
さらに、1943年、第二次世界大戦の終盤にマッキンダーは「球形の世界と平和の勝利」という論考を発表します。この中で示された戦後のランドパワー封じ込め戦略は、北大西洋条約機構(NATO)の先駆となる構想であると言われています。
このように見てみると、二つの世界大戦と冷戦という二十世紀の国際情勢は、まさにマッキンダーの示したような、ユーラシア大陸を「回転軸」として展開されるランドパワーとシーパワーの闘争の歴史に他ならないように思われます。
ここからは、日本にも関わりの深い、冷戦以降のアメリカと中国の地政学的戦略を見ていきたいと思います。
地政戦略で見る、冷戦以降のアメリカと中国の政策
冷戦終結により、リベラルな世界秩序への楽観が広まり、グローバリゼーションが喧伝されるようになりました。
また、ソ連崩壊によって新たな地政学的状況が現出しました。それは、アメリカが西側からはNATO、南側からは中東諸国との同盟、東側からは日米同盟という三方面からユーラシア大陸を取り囲んだということです。これは地政学的に見て、次のような重大な意味を持ちます。
第一に、一国家が単独でグローバルな覇権国家となった。
第二に、ユーラシア大陸にない国家が、グローバルな超大国になった。
第三に、ユーラシア大陸がユーラシア大陸にない国家によって支配された。
このような状況下でアメリカはどのような道を進むべきか?近年の地政学者として知られるズビグニュー・ブレジンスキーは、以下のように述べています。
「冷戦終結後に鍵となるユーラシアの地政学的回転軸(既存の地政学的状態を変革しようとする国家が戦略的に動く場合、重要な地帯に位置する国家)を特定し、それを保護することこそが、アメリカのグローバルな地政戦略における重要な側面である。」
この全体像に基づき、ブレジンスキーは次のように論じています。
ユーラシア大陸の西側においては、EUとNATOを東方へ拡大し、ウクライナを「拡大西洋」に帰属させることでさらにロシアを西洋化させることを狙い、無害化する。
ユーラシア大陸の東側、東アジアにおける戦略の中心については、中国と日本をどう扱うかにある。
戦後、日本はアメリカの安全保障の傘の下に服することで経済大国へと成長した。しかし、それが故に安全保障上の自律性を有していない。また、日本は独特の文化を有し、アジアであるにもかかわらず孤立しており、他のアジア諸国と協調するリーダーたり得ない。したがって、アメリカの「保護領」である日本に対しては、アジアよりも国際社会全体へと目を向けさせるようにし、アメリカのグローバル覇権の維持に貢献させるのが良い。そのためには、日本がアメリカとの特別な関係に満足できるようにすることが必要であり、その手段として、日米の自由貿易協定を検討すべきである。
中国に対しては、日米同盟によってその領土的な野心を牽制しつつ、東アジアを安定化させる地域大国として位置付ける。中国が、アメリカのグローバル覇権に挑戦するほどの力はないが、東アジアの秩序を安定化させる地域大国になり得る。
しかし、その地政戦略の帰結は、冒頭に述べたようなロシア、中国の台頭、また、中東の不安定化という三方面同時の不安定化でした。
これは、マッキンダーの論じた戦略がいかに脅威の台頭を阻止するかという防衛的な地政学であったのに対し、ブレジンスキーが論じたのはいかにアメリカが派遣大国になるかという攻撃的な地政戦略であったという違いに現れると、著者は述べます。
焦点を、中国に向けていきましょう。
1990年代のアメリカは、中国に対し、グローバル経済への統合を支援するという戦略を進めていました。中国を経済的な相互依存関係の中に搦めとり、グローバルなルールや制度のもとに服させることで、アメリカ主導のアジア太平洋の秩序を認めさせようとしていたのです。
こうしてアメリカの協力によってグローバル経済に統合された中国は、2000年代、年平均でおよそ10%の高度成長を遂げ、同時に軍事費を年率二桁台という急速なペースで増大させました。この中国の富国強兵によって、アジアの軍事バランスは大きく揺らぐことになりました。
この頃、中国の戦略家たちは、孫子や毛沢東に加えて、マハンやマッキンダーといった地政学者を参照しつつ、地政学的な軍事戦略を熱心に論じていたと著者は言います。中国はマハンの重要視するシーパワー拡大を狙い、海軍力の強化と西太平洋への出口を確保するために、東シナ海、南シナ海において、日本、フィリピン、ヴェトナム、そしてアメリカと頻繁に紛争を引き起こすようになりました。同時期、アメリカは中東との「テロとの戦い」という泥沼に陥っていたため、中国の台頭を看過してしまったのです。
2009年に発足したバラク・オバマ政権は、発足当初から、泥沼化した中東から手を引き、市場としての成長が期待できるアジアを重視する方針で臨みました。
しかし、2011年、ヒラリー・クリントン国務長官が『フォーリン・ポリシー』誌において発表した論文に、「回転軸(pivot)」という用語を用いたことで、冷戦期のソ連封じ込めを、中国に対して印象付けてしまいました。
そして、それに対抗するかのように、中国は「一帯一路」なる富国強兵構想を打ち出してきたのです。
「一帯一路」:中国による富国強兵構想
2013年に習近平国家主席によって打ち出された「一帯一路」構想は、アジアからヨーロッパ、アフリカにまたがる地域の開発を、陸路と海路の双方から進めるという壮大な計画でした。
陸路(一帯)とは中国内陸部から中央アジア、ロシア、中東、西ヨーロッパを結ぶ「陸のシルクロード」を指し、海路(一路)とは、中国沿岸部から東南アジア、南アジア、アフリカ、中ごう、地中海を通る「海のシルクロード」を指しています。
さらに同年、習国家主席は、アジアのインフラ整備のための資金供給を目的とした「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」の設立を提唱しました。このAIIBは、「一帯一路」構想の一環として位置付けられました。
中国は「一帯一路」構想を提唱する前から、ユーラシア大陸の輸送インフラへの投資を大規模に推進してきましたが、これをさらに強化しようという試みです。ユーラシア大陸に鉄道などのインフラを整備し、大陸の資源を確保する。さらに、高速道路や石油・ガスパイプラインといったマッキンダーの時代にはなかった輸送インフラの整備も計画されています。
AIIBは、この「一帯一路」構想の中核的金融機関として設立されました。AIIBはユーラシア大陸のインフラ整備に対する融資はもちろんのこと、人民元建て融資を行うことで、人民元の中国国内外での流通を量的に拡大するという狙いもあると言われています。AIIBを通じて人民元をアジア地域内における国際通貨にしようというのです。
AIIBの構想が打ち出された当初、アメリカをはじめとする先進諸国は消極的な姿勢を示しましたが、2015年以降、イギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパ主要国の参加表明を皮切りに、アジア、オセアニア、中東、ヨーロッパ、南アメリカの各地域から計57か国が参加することとなりました。さらに2016年6月に開かれた年次総会では、新たに加盟を希望する24か国の代表が参加。同年8月には、北米で初めて、カナダが加盟申請を行い、G7のうち、不参加なのは日本とアメリカのみという状況となりました。
上記のような構想のもと、中国が推進しようとしているインフラ整備の最終的な目的は、単なる需要創出や経済発展の基盤整備ではありません。「大陸の資源に加えて海の正面に立つこと」です。内陸部のインフラ・プロジェクトを通じて、ロシアやイランなどユーラシア大陸の主要な修正主義勢力と連携し、さらにはヨーロッパ諸国をも引き入れることができれば、アメリカによるユーラシア支配を終わらせることができます。
AIIBのもつ戦略的な意味を理解するためには、経済学と地政学の両方の視点から捉えなければなりません。
現在の国際情勢を捉えるフレームワーク『地政経済学』
以上の冷戦後のアメリカや中国の地政戦略をめぐる議論から、本書が取り組もうとしている主たるテーマが浮き彫りになってきます。
それは、地政戦略と経済の間の相互依存関係です。
日本の隣国である中国が台頭してきた背景には、地政学的戦略があり、ユーラシア大陸における影響力を発揮するためにロシア、中東その他の国とインフラ・プロジェクトを立ち上げて技術開発投資や経済発展に努める一方、軍事力の強化を行ってきました。
最近では、2021年9月。中国はアメリカが脱退した「包括的および先進的な環太平洋経済連携協定(CPTPP)」(前身はTPP。日本も参加している)への参加を申請するなど、世界2位の経済力を持つ同国が、アジア太平洋地域での関係強化に乗り出しています。
(余談ですが、2021年9月、台湾もまたCPTPPへの参加を正式申請しました)
他方、最近では中国の不動産複合企業「恒大集団」が資金の行き詰まりによる債務不履行(デフォルト)の可能性を指摘され、中国版リーマン・ショックのリスクが専門家から指摘されるなど、不安視もされています。
いずれにしても我々は、地政学が復活したアジアを生き抜くうえで、単に地政学を復活させるだけでは足りないのである。経済が地政学的環境にどのような影響を与えるのか、そして地政学的環境が経済をどのように変化させるのかについても、考察を及ぼさなければならない。そうしなければ、国際政治経済のダイナミズムを理解できず、戦略を立案することもできないのである。
そこで、地政学と経済学を総合した「地政経済学(geopolitical economy)」とでも呼ぶべき思考様式が必要となる。p44-45
以上のような東アジアにおける、特に当事者である日本にとって大きな影響を持つ背景から、「地政経済学(geopolitical economy)」という思考様式が必要とされるわけですが、このような試みはまったく新しいものではありません。
「経済は所与の政治的秩序の上に成り立っているものであり、政治から切り離しては、有意義な研究をすることができない」E・H・カー
「経済力と政治力を切り離すことができるのは、最も原始的な社会に限られる・近代−国民国家の勃興、ヨーロッパ文明の世界的な拡大、産業革命、そして軍事技術の着実な進歩−においては、一方に商業上、金融上、産業上の強さがあり、他方に政治上及び軍事上の強さがあり、我々はその両者の相互関係に常に直面してきたのである。この相互関係は、治国策における最も重要かつ興味の尽きない問題の一つである」エドワード・ミード・アール
「経済というものは、ある形式の経済活動を許容し、既定する社会的そして政治的枠組みの中に存在するものである。経済は、少なくとも短期的には、社会のより大きな社会的そして政治的目標に従属する。経済は、経済の法則のみによって支配された自律的な領域の中にあるのではない」ロバート・ギルピン
ところが、戦後の国際関係論や地政戦略において、経済的な要素が総合的に考慮されることは、極めて稀でした。
経済学、特に主流派経済学においては、地政学以上に狭隘な専門主義が進行しており、地政学はおろか、歴史学、政治学、社会学への接近すら拒否しているような状況だと言います。
「率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題ばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ」トマ・ピケティ
ピケティが嘆く主流派経済学の性向もさることながら、主流派経済学は経済自体についてすらも理解していなかったというのは、筆舌に尽くし難い惨憺たる有様と言えるでしょう。
そのことが明らかになったのは、2008年の世界金融危機によってでした。この金融危機を予想することができた主流派の経済学者はほとんどいませんでした。というのも、主流派経済学の理論モデルでは、世界金融危機のような状況は起きえないと想定されていたためです。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン、IMFのチーフエコノミストであったサイモン・ジョンソン、ニューヨーク大学教授のポール・ローマーといったアメリカの主導的な経済学者ですら、主流派経済学を批判し、その破綻を認めざるを得ない状況に陥っています。
そこで、「地政経済学(geopolitical economy)」を探求する私たち自身も、既存の主流派経済学の理論モデルに依拠せずに、経済をその現実に即して正確に理解し、その上で地政学との接合を図らなければなりません。
次章以降は、その経済において最も基本的な制度、「貨幣」の探求を進めていきたいと思います。
いいなと思ったら応援しよう!
