ゼロから始める伊賀の米づくり22:父から継いで2年目の収穫
見渡す限りの田園風景の景色。三重県伊賀市の実家の田んぼは、いよいよ収穫の時期となりました。
先述していたように、今年は8月に入って「災害級の豪雨」と報道された長く強い雨が続いていたため、例年に比べると収穫のタイミングが1週間弱遅れることとなりました。
それでも、こうして稲穂🌾をつけてくれているのを見ると、安心します。
(あぁ、よかった)
稲穂を確認してみると、すっかり色が黄緑色から変わってきているのがよくわかります。
あとは、圃場(ほじょう:田んぼのこと)の土の渇き具合・固さの確認と、コンバインや乾燥機といった機械類などの確認ができれば準備完了です。
稲刈りの準備
軽トラには、収穫した籾(もみ)を入れるための網を設置し…
作業場の脇には、玄米と分離され、籾摺り機から飛ばされてくる籾殻を溜めておくためのテントを準備します。
では、いよいよ稲刈り🌾です!
この、コンバイン操作は2年目ですが、田んぼを何周かしているとようやく勘を取り戻してきました。
田んぼの中でコンバインを走らせていると、土も程よく渇いており、コンバインのキャタピラが取られて動けなくなることもなさそうです。
泥ごと稲を地面から引っこ抜いてしまうこともなく、順調順調!
今年の稲刈りから、感じること・学ぶこと
この収穫作業をしていると、様々なことが思い起こされます。
例えば、私は岡山県の「循環コモンズ村」作りという取り組みで、雨水のみで育つ米・陸稲(おかぼ)栽培にチャレンジしたりしています。
このコモンズ村では、そもそも機械を入れて刈るほどの広さはないので、もちろん手に鎌を持って刈ることになるのですが…
コンバインなどというものが無かった頃。背後に広がるこの広さを、面積をかつては手で手で刈っていたことを考えると、本当に気の遠くなるような気持ちになります。
御年89歳になる祖母もよく「兄弟が多かったから駆り出されたわ」と語ってくれます。
それから、ナレッジ共有も大事です。
昨年3月に父が亡くなったとき、実家で続けてきていた兼業の米づくりを継ぐとなった時、何をどうすれば良いのか、ほとんど情報も資料もありませんでした。
家族経営でありがちな、口伝と暗黙知がすべてです。
ただ、自分は父からじっくり経験や知識を受け取る時間が無かったため、近所の先輩方(大体定年を迎えられていたり、中には90歳間近でも現役の方も)に教わることになり、やったことは一から記録していくことに決めました。
このnoteも、はじめは暗黙知の共有知化…ナレッジ化を目指して始めたものでもありました。
ただ、ここ数年(父が病気となる前から)、私の京都や大阪での友人が実家の米づくりに手伝いに来てくれたり、遊びに来てくれることも増えていました。
毎年、入れ替わり立ち替わり興味を持ってくれたり、遊びに来てくれる友人がいるなら、ただ自分の日記のようにしていてももったいない。
そこで、少し趣向を変えて、このような「稲刈り体験のしおり」なるものも作成し、こちらも残していくことにしました。
「田植え体験のしおり」も作成済みですので、これで来年以降、コロナが落ち着けば初めてくる人でも楽しく、わかりやすく参加もできるかもしれません。
籾の乾燥、籾摺り、精米へ
コンバインに乗りながらいろいろ考え事をしているうちに、そろそろ収穫1日目の佳境に入ってきました。
隣の田では、89歳の現役の先輩がコンバインを操ってどんどん刈り入れを行っています。
米は、収穫の時期がある程度決まっているものです。(適切なタイミングでなければ、米が変色したり味が落ちてしまうこともある)
だからこそ、晴れて刈れるタイミングがあれば地域では皆一斉に借り始めるようです。
さぁ、1日目は一段落。コンバインが刈ったばかりのこの米は、まだ籾の状態です。
これを乾燥させ、籾を取れば玄米。さらに精米すれば白米になります。
翌日以降は、この籾摺りと精米のプロセスを行っていきます。
サポート、コメント、リアクションその他様々な形の応援は、次の世代に豊かな生態系とコミュニティを遺す種々の活動に役立てていきたいと思います🌱