ゼロから始める伊賀の米づくり番外編:3年目。米づくりから、森づくりへ
最近、森づくりに心惹かれています。
どうして、兼業米農家が森づくりなのでしょうか。
私が稲を育てる田んぼの近くの神社は、鎮守の森に守られています。鎮守の森には、その地の本来の植生を尊重した森、太古の森の姿が保存されていると言います。それら高く伸びる木、中くらいの木、根元に繁茂する草木という自然の階層、多様性が、長い長い時間と共に循環する森づくりです。
そのような森づくりを行っていきたいと、最近、考えるようになりました。
先日、父の三回忌を終えましたが、その前後で家の仏壇や物置を整理する機会がありました。
物を整理してみると、中には明治・大正時代の高祖父たちの写真が収められたアルバム等もありました。初めて目にする先祖たちや、彼らの生きている時代の村落の姿でした。
時代が降り、現在は近所の公民館の巨木は伐られ、神社の社殿も建て替えられ、道路はアスファルトで舗装され、初夏の時期の蛍は少なくなりました。
そのような変化の中にあっても、鎮守の森は村落の人々の営みを見守り、そこに佇んできました。
そんなことに思いを馳せた時、自分もまたその森の営みに参加していきたいなという願いが浮かんできました。
変化の大きな日々の中で、それでも何世代も超えて遺していきたいものは何かを問い続け、そして遺していくための努力をする。
願わくば、自然も人も多くのいのちも、時代を経る毎に豊かになり、賑わうような形で、遺していきたいものを遺していく。といったものです。
そんな思索の中で『そうだ、森づくりをしよう』というアイデアが浮かんできました。
米の美味しさは、その土地の水の良さと不可欠なものです。
また、その土地本来の植生の森は、自然の淘汰を潜り抜ける強さを備え、生物多様性を養い、人間にとっては土地の涵養、防災・防風林といった形で助けになってくれるものです。
これまで培ってきた場づくりの経験、米づくりと村づくりが、森づくりと結びつき、どのような形で現されていくかはわからないですが、いのちの続く限り細々とでも、一歩一歩踏みしめるように取り組んでいければなと思います。
まずは、ここに生きている荒樫(アラカシ)や樟(クスノキ)の落とす果実、種子を拾い、苗を育てることから。
ただ、あいにく芽生えたばかりのアイデアのため、どう進めていこうか、まだまだわからないことばかりです。何かこの投稿から感じられるものなどあれば、コメント等をいただけると嬉しいです🌱