自分に対する接し方
本かなにかでこのようなことが書いてあった気がする。
ある日用事があって電車に乗っていたとき、これをふと思い出した。そしてこの時心の底から、「自分を大切にしよう」と思った。
これがどこに書いてあったのかは思い出せない。もしかしたらこんなことはどこにも書いて無くて、僕が勝手に作り上げた記憶かも知れない(だとしたら、なかなか僕は良いことを思いついたものだ)。
これまでの人生を振り返って見ると、自分を大切にしてきたとは言いがたい。むしろ自分を蔑ろにしてきた、雑に扱ってきたと言わざるを得ない。例えば、食事にあまり気を遣ってこなかったり。健康的な身体を維持したいと思いつつも、面倒くさくて、それよりもお腹が膨れることを優先してきた。他にも、他人に迷惑がかからないし、自分ならいいやと思ってきたり。
「自分を大切に」と思わなかったわけではない。しかし、「自分を大切にしよう」ではなくて、「自分を大切にしなきゃ」と義務のようなものを感じていた。「しなきゃ」と思いつつも、心の底から、本気で自分を大切にしようと思っていなかった。だから、「まぁいいや」となおざりにしていた。上手く言えないけれど、この「しなきゃ」と本気で思っていないことの間には、つながりがある。
でもどうやって?そのヒントになりそうな本が、服部みれいさんの『自分をたいせつにする本』だ。
この本には、服部さん自身の経験をもとにした、自分を大切にするためのヒントが書いてある。
服部さんは、「自分風」という言葉を使っている。服部さんによると、「ある部分では、『自分』だけれど、(中略)まずは親をはじめとする家族の価値観とか地域の信念といった衣服を身にまとった自分」のことだ。つまり、外からの価値観を幾十にも重ねて身につけている自分っぽいもの、と言える。決して本来の自分ではない。
そして本来の自分に戻るとは、この何重にも着ている価値観という服を一枚ずつ脱いでいくことだ。ただ、その過程は一筋縄ではいかない。服部さん自身は、30代後半になって向き合うことが出来たそうだ。そこから長い時間を掛けて、ゆっくりと脱いでいく。途中また着そうになったり、脱いだりをくり返して今にいたる。
自分を大切にするために、いろんなことを試してきたと服部さんは言う。半身浴をしたり、白湯を飲んだり、マッサージに通ったり。そうした、服部さんがオススメする方法は、ワークとしてこの本にまとめてある。
参考までに、僕がこの本を読んでから実践していることを紹介したい。僕は白湯とストレッチを始めることにした。白湯は寝る約2時間前から飲むようにしている。僕は紅茶が大好きで、本当は紅茶を飲みたいのだけれど、寝る前は身体を休める準備ということで、白湯にしている。その分日中に紅茶を飲んでいる。
ストレッチは、起床後とお風呂から上がった後、動画を見ながら行っている。
まだ続けて数日しか経っていないけれど、心なしか身体がリラックス出来ているように感じる。
それからこの本を読む前から続けていることが、ノートに書くということだ。専用のノートがあって、僕はこれを「なんでもノート」と呼んでいる。ようは自由帳のことだ。おそらく、あなたも小学生の頃、教科書と共に持って行ったのではないだろうか。
「なんでもノート」という名の通り、何を書いても良い。買い物のメモ、課題のための資料メモ、その時の自分の感情、考えやアイディア、本や映画の感想。計算ノートとして使うこともある。ただ僕は、後から見返して不快になることは書かないと決めている。とはいえ、僕も人間だから、イライラしたりすることはある。その時は、捨てて良い紙に書くようにしている。こうした制約以外は、何を書いても良い。
すると、これが僕には合っていることに気がついた。書くことで頭が整理され、新しい視点が持てるからだ。何気なく始めた「なんでもノート」だが、早くも2冊目に突入した。アイディアも貯まり、実はこの記事は、「なんでもノート」に書いたことが元になっている。
僕なりのこだわりもあって、無地のノートを使用している。僕の場合、罫線があると、どうしてもその線に沿ってしまい、全く自由に書けないということに気がついた。縦横無尽に自由に書きたいので無地を使っている。
冒頭にも書いたように、「自分なら」と蔑ろにしている人は多いのではないだろうか。ここまで読んでくれたあなたはどうだろうか?もしよければ、一度立ち止まって、じっくりと考えてみて欲しい。
他人も人間であるのと同じように、自分も一人の人間だ。それは変わらない。自分を大切に出来ないと、自分はボロボロのままになってしまう。すると、他人のことを大切にするのは難しくなってしまう。
他人と同じように、あるいはそれ以上に、まずは自分を大切にする、自分をケアすることから始めてみよう。
今回の記事が、そのきっかけになれば、僕も嬉しい。