空の作家と雲の職人【創作】

今日の霧雲は、あの日彼がくれたものによく似ていた。星の光を編み込んだような、しんとした塊に。

気持ちの良い朝だ。窓を開けると、晴れ上がった蒼色が窓の向こうに続いている。
おかしいな、昨日は、朝方雨が降ると天気予報で言っていたのに。

目が覚めてしまったし、散歩に行こう。


家のすぐ近くの小高い丘。1人の先客がいた。20代半ばと思われる青年だった。なんとなく話がしたくなり、声をかけた。

「おはようございます。お早いですね。」

青年はこちらを見てひと呼吸置いてからにこりと笑い、挨拶を返した。

「おはようございます。」

「お散歩ですか?」と尋ねると、「いえ、仕事なんですよ。相棒の気まぐれのせいで、業務延長です。」と答えた。

こんなまだ5時になったばかりという朝も早くから、こんなところで。不思議に思い、職業を聞いてみると、青年は少し考えて

「まあ、いっか。」と1人で頷いて、不思議な話を始めた。

「ぼく、雲を作ってるんです。」

「くも??」

「そう。スパイダーじゃなくて、あの、空に浮かんでるやつ。」

「…実はわたがし専門のパティシエでした〜、みたいなオチ…?」

「あはは、そー思いますよねぇ。」

青年は笑って、空にとびとびに浮かぶ雲を指さして言う。

「ご存知ですか。雲って10種類しかないんです。でも、そんなふうに思わないくらい、毎日雲の形とか色ってちがうでしょう。そこがぼくらの仕事。ぼくらの腕次第。

ベースになる水蒸気はみんないっしょなんです。支給されるものをそのまま使います。

そこへ、相棒の空の色に映えるようにいろんなものを入れます。それぞれ気に入りの材料があって、ぼくがよく使うのは…そうだなぁ。

天青石の粉とか、ヒメボタルの光とか、早朝のシロツメクサに実った朝露とか、そういうのをよく使うかな。


希少だけど、バクの喰った夢なんか入れると、幻想的な紫色になるんですよ。ぼくはあの色が好きでねえ…。」

自分が信じたのかどうか、今でもわからない。わからない、が、彼の輝いた瞳は本当だと思った。彼は雲が、心底好きなのだろう。

「ほぉ…。その、相棒というのは?」

「あ、そうですよね。あまり知られていない仕事ですから。

ぼくらは2人1組で仕事をするんです。空の色をつくるのがぼくの相棒で、毎日の空の色を、いろんな色を和えてつくってます。ぼくはその空に浮かべる雲をつくるんです。

日ごとに担当バディが決まっていて、今日はぼくらの番。

ぼくらを知る人は、空のつくり手のことを「作家」、雲のつくり手のことを「職人」と呼んでます。」

「空の作家と、雲の職人か…。」

「まだまだ修行中なんですけどね。ぼくら、2人とも今年で5年めの若手です。  
 
一日の天気は、作家の出来次第で決まります。出来っていうのは、つくった蒼の量です。

作家のつくった色で空を染めて、足りない部分を雲で補うんです。できた色が多ければ多いほど綺麗に晴れるし、少なければ雲の割合が多くなります。
 
あ、でも、定期的にぼくメインで雲を作ります。雲には、雨を降らせるっていう大切な仕事がありますから。

作物の実る前の時期や夏の前の時期なんかはずうっとぼくが主役。
 
腕によりをかけてあま雲をつくりますよ。
ふつうの雲と雨を降らす雲はまたつくり方がちがって、あま雲がつくれたら一人前って言われます。ベテランは、降る雨の量も考えながら美しい雲をつくりますよ。
 
たまに、にわか雨が降るでしょう。あれは、新米職人があま雲づくりの練習をしてるからなんです。
 
突然雨を降らせてしまって、申し訳ないなあと思うんですが。」

「いや、素敵なお仕事だ。ところで、君の相棒君は今どこに。」

「さっきまでその辺にいたんですけど…、すーぐどっか行っちゃうんだ、あいつ。」

「あはは、そんなに奔放な人と組むのは大変だろう。」

「自分の好きな色を自由自在に表現するのが作家。作家の要望に応えて丁寧な仕事をする中で、自分の色を出していくのが、職人なんです。
だから作家には芸術家肌のやつが多くて。
 
 
今日だって、全然良い色が出来ないって言うからたくさん雲をつくったのに、明け方になって突然「最高の色ができた!今日はこれでピクニックに行くぞ!!」って。おかげでぼくは、もう空に放してしまった雲たちの回収作業でこんな時間です。
 
 
昨日はせっかくできた色を、やっぱりこんなのだめだってんで全部捨ててしまうし。

捨てるのはいいんだけれどね、ぼくはそこからつくらなきゃならないんですよ。
 
 
もう、振り回されるこっちの身にもなってほしい。今日の雲だって力作だったのに!」

ひと息に言い切ってから、彼は大きく息を吸って吐いた。彼の言葉は、その勢いとは裏腹に、どこかあたたかな雰囲気を纏っていた。

「それでも君は、その相棒くんと組むんだね。」

「…ぼく、あいつのつくる蒼が、どんな色より綺麗だと思ってるんです。そうでなきゃ、バディなんて組まない。」

「それに、ときたま言うんです。「今日は好きなように雲をつくってくれ、俺がそれに和う空を描いてやる!」って。なかなかいないんですよ、雨の必要なとき以外で職人にぜんぶ任せてくれる作家って。ぼく、それがいつもうれしくて。」

そのとき、風がふわりと吹いた。
彼はハッとしたような顔をした。

「そろそろ行かなくちゃ。ありがとう、この話、こんなに聞いてくれたのあなたが初めてだ。みんな、「おもしろいお話だね。」って言うから。」

「いやこちらこそ、朝から素敵なことを教えてもらったよ。明日から空の見方が変わりそうだ。きみの話、また別の誰かに話してあげよう。きっと、信じてくれる人もいるだろう。」

「だといいな。じゃ!」

彼はそう言って駆け出したかと思うと、30メートルほど進んでからまたくるりと駆け戻ってきた。

「これ、よかったら。」

手渡されたのは大きめのジャム瓶くらいの透明なケース。

「これ、今日の朝の空に放すはずだった雲です。あいつ、最近調子悪くて曇りの日が多かったから、申し訳ないなあと思ってて。

少しでも楽しんでもらえたら、って、流れ星の緒を入れてあるんです。

星が流れた道に、飛行機雲みたいに残る光を集めたものです。

夜、星が流れるのを待って取りに行ってきました。」

たしかに、よく見ると、薄い紫色にいろづいたもやの中に、ちいさな光が編み込まれているように見える。

「気持ちの落ち込んだときに、ほんの少しだけ取り出して、手のひらの上に載せてみてください。きっと、大丈夫ですから。」

「そんな珍しいものを、もらってもいいのかい。」

「いいんです。これも何かのご縁です。それに、あいつもスランプ抜けたみたいだし、しばらくは綺麗な空をお届けできますから。」

彼は愛おしそうに空を見上げて言う。

「ありがとう。相棒くんにもよろしく。君たちの空と雲、これからも楽しみにしてるよ。」

彼は嬉しそうに笑って、今度こそ走り去っていった。

あのときの瓶は、まだ手元にある。
眺めていると、中の雲がきらりと光るときがある。

もしかしたら、空に浮かんでいる雲に共鳴しているのかもしれない。そんな日の空は、きっと彼と彼の相棒がつくったものなのだと、そう思うことにしている。

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