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さりげない嫌味VS躱し上手の鳥頭。
ぶぶ漬けでもお上がりよ、と言われることはさすがにない。
が、京都の人に言わせると、「ご飯食べていく?」は同じ意味なのだそうだ。
京都の人はいけず、というけれど、私はそれで嫌な思いをしたことは一度もない。
でも、それは私が言葉を額面通り受け取る素直なヤツだから、気づいてないだけかもしれない説が突如浮上。
いっしょに働いている人が京都生まれの人で、お客さんの言動を横で聞いて、さっきのは嫌味だよ、と教えてくれるのだ。
これがまた高度で(当社比)、年末年始のお休みを伝えたときの「長いお休み楽しんでねー。」とか、「忙しそうやねえ。」とか。あと、お釣りをうっかり多く渡してしまったときの「お小遣いもろたんかと思ったわー。」とか。
まっっっっったくわからねえ。
え、ほんとにそれ悪気があって言ってるの??
ちょっと勘ぐりすぎじゃない?
って言いたくなる。
前2つは普通に労りだと思って受け取ったし、3つ目なんて申し訳ないと思いながら、「ユーモアある人だなあ。」ってほっこりしたのに。
他にもいろいろあるのだけれど、言い方も全然やな感じじゃないだけに本当にわからない。
私がバカなだけだろうか。
私が単純で子どもなだけなのだろうか。
でも、そういうの別に京都に限らんし、やんわり言うのも優しさの一種だと私は思うので、嫌味だとわかったところで何も変わりはせんのだけども。
いやそれにほら、気づかないしね(重要)。
相手は言いたいこと言って満足、私は気づかないから必要以上に傷つくこともない。
誰も嫌な思いしないなら、それはそれでいーんじゃねえかなー
平和的解決か、と思われたが。
「でもその嫌味、相手が分かってないとイラッとするんよね。」
なんだそれ。言うて満足ちゃうんかい。
気づかせたいなら気づくように言いなさいよ。
イライラさせているかもしれないが、本当に気づけないくらい巧妙なのだからしょうがない。
わかるように言ってくれればちゃんと凹むよ。
と、うまいこと躱して生きているのかもしれない。
もう一度言うけど、確かに京都はそーいうの上手な人が多いのかもしれないけど、どこ出身だってそういう人はいるもんである。
先輩も好意で教えてくれているのだと思うけれど、どっちにしたって次に同じ人が来たときにはキレイさっぱり忘れている酉年の鳥頭なので、やっぱり何にも問題はないのである。
うまいことできているのかもしれない。