適応障害の私 その8
ご縁があり、私と繋がってくださった方からコメントをいただき、そのことを投稿したいと思います。
コメントをくださった方に、とても感謝しております。
ありがとうございます。
とても恥ずかしい話を、今からします。
私は総務課長になれなかった失望感、虚無感を埋めれずにいます。
過去の私と今の私を比べて、過去のキラキラした私に戻りたいと切望して止みません。
でも、3年間、自分を責め続けて苦しんで、自分を惨めだと感じている私は、もう過去と同じ私にはなれないと思っています。
今の私が現実であり、事実なのですから。
コメントでおっしゃる通り、私も役職に囚われない生き方をしないといけないと感じています。
いっとき、解釈を変えて過去の出来事は私にこんなことを教えてくれているんだ、これが気づきなんだと思い込ませても、根底にこれほど強烈な出世欲がある限り、他人を羨み、嫉妬する私から逃れられないと思います。
なぜこうも役職がついていることが素晴らしくて、偉くて、人生を幸せにしてくれると信じ込んでいるのか、役職に拘りのない方には共感できないことだと思います。
バカじゃない!って思うでしょう。
議員だった家族の影響や幼少期の教育、「○○でなければならない」という刷り込みなどが考えられますが、リーダーでありたい、慕われたいと常に願望してきました。
だから総務課長となって、みんなの信頼を得たい、課長と呼ばれて相談されたいと、ずっと考えてきました。
そして、その道が開けていたはずでした。(上司に打診されていたから)
でも、あっさりと道は閉ざされました。 私のやってきたこと、人格すべてを否定されたと思ったのです。(降格した理由さえも教えてもらえなかったから)
なぜだろう?
私のなにが悪かったのか?
こうして私は、いつも躓く、、、
そして、病気になった。
グルグル考えても答えはみつからない、私がコントロールできる範疇ではないから。
ここ最近になって、、、
たとえ人事権のある数人に私のすべてを否定されたとしても、私が病気になって、眠れなくなって、消えたいって思うほどのことなのかって。
奴らから、私が精神や健康を害される理由があるのか。
なんで奴らのために、ミジメだと私が思わなきゃいけなのか。
この職場で総務課長にならなければ、私は生きていけないのだろうか。
私にとって総務課長は、それほど大切なものなのか。
、、、と強気で書いても、総務課長になることばかり妄想してきたので、正直、辛いくて苦しいです。 (弱いですね)
私が理想だと思ってきた総務課長になった人が羨ましくて、妬ましいのです。
でも、総務課長にならなくても、人から慕われる、頼られることって探せばあるんじゃないかって。
私が思いついたのは
① 蔓を使ったカゴ編み
② 子ども食堂の開催
①は、今月から習い始めます。
②は、毎月1回の開催を目指してきましたがコロナ禍のため、オープンできたのは12月だけでした。
私なりに前進したくていますが、気持ちの波があり、行ったり来たり、ウロウロ徘徊して、後退して、絶望を繰り返しています。
noteのみなさん、どう進んでいけばいいのか、ヒントをお教えください。
こんな私にコメントをいただけると、とても、ありがたいです。
どうか、よろしくお願いします。
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