私には何もない、と思ったときのための読み物。
入浴剤を切らせて、少しばかりの物足りなさを感じながらお風呂に入っていたこの数日間。ある日ふと、無印良品の入浴剤を棚に見つけた。毎日のように開け閉めしているその空間に、あった。位置的に視界には入っていたはずだけど「ない」前提で見ていたから、「ないもの」として処理されていたのだと思う。
お風呂掃除用の小さなスポンジも欲しいなと、スマホの買い物リストにぱぱっと追加。そうしたら、収納ケースに隠れているのを見つけた。他の掃除道具たちに場所を取られて、存在感を奪われていたようだ。(私の収納力の低さが原因w)
ないと思っているものが、意外と傍にあるということ。意外と多いのかもしれない。モノも、感情も、人も。
「ある」前提で、見つけようと頭の中をめぐらせる時間を持つことが大事なのだと、日常のささやかすぎる体験の中で改めて感じた。
私が開発に携わっている手帳『pure life diary』は、1日のふりかえりで「今日のよかったこと」「今日感謝したこと」を一言でさくっと書けるようにしている。あえて書くことを決めているのは、『よかったことや感謝の気持ちがわいたことは「ある」』という意識を自然と染み込ませたいからだ。
特にまじめながんばり屋さんは、「今日はどんな1日だった?」という問いかけだと、よくなかったこと・できなかったことが先に浮かびがち。もしかしたら「特に何もない」と感じるかもしない。だけど、「今日のよかったことは何?」と問いを放ってみると、頭の中のセンサーが自動的にONになって、よかったことを探すモードになる。そうすると「そういえば、コンビニの店員さんの応対がよかったな」とか「コーヒーがおいしかったな」とか、ぽんっと見つかる。「ない」と思い込んでいただけで、実は「ある」ことに自分で気づけるのだ。
大層なものじゃなければ"よかったこと認定"できないと、勝手にハードルを上げているケースも往々にしてある。だから、ささやかな「うれしい」「楽しい」「ほっこり」を日々感じるだけでこんなにも感じ方が変わるのかと、拍子抜けするかもしれない。
そんなんでいい。それがいい。
歯を食いしばらなくても、眉間にシワを寄せなくても、気づいたら見える世界に色が増えて、「好き」「やってみようかな」という気持ちがわいてくる。頬や手が少しあたたかくなる感覚。
それは、自分が「在る」を感じる、小さいようで大きくて大事な一歩だ。
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