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仕事のベクトルが自分から他者に変わるとき

とある日の仕事終わり。
私は大学時代からの親友と、お決まりの温泉&サウナへ行き、露天風呂に浸かりながらお互いのことについて話し合っていた。なんだかこの時間が心地よく、自分の中で癒しの時間となっている。

彼女は私が尊敬する友人の一人であり、私のことを心から信頼しているといつも伝えてくれる。お互いのことを尊敬し合え、高め合える親友とも呼べる存在が近くにいてくれることは、心から幸せなことだと感じる。

そんな彼女がふと私にした質問が、なんだかはっとした気づきになり、言われてみれば初めて言語化した気がするなと思い、今こうしてnoteに記している。


投げかけられた言葉から、自身の心境の変化に気づく

「これまでファッションの仕事がしたいと話していた時は仕事のベクトルが自分に向いていたのに、独立してから(ライターの仕事を始めてから)はそのベクトルが外に向いている。他人のために、社会のためにというように。それはなぜ?」

「確かに」と思った。
言われてみれば、この仕事を始める少し前から「世の中を良くしたい、そのために自分ができることをする」という想いで仕事をしている自分に気がついた。
自然と「世の中に良いものを届けたい」という軸を、出会う人出会う人に話し続けている自分がいることに気付かされたのだ。

この話をする直前、「人の影響を受けることは悪なのか」ということについて話していたのだけれど、それで言うと私は家族の影響を間違いなく受けている。

母親が若い頃にデザイナーとして働いていて、ファッション業界で働く楽しさを小さい頃から私に語りかけてくれていたことを、昨日のことのように覚えている。
子供ができてからは家庭に入った彼女だが、“好きなことを仕事にすることがこんなにも人をワクワクさせるのか”と、子どもながらに思ったのを覚えている。それは今も色褪せない。

豊かな感性を授けてくれたのは間違いなく母であり、仕事をする楽しさを教えてくれた両親と兄の影響もあり、私は自然と“好きなことを仕事にしたい”と思うようになっていた。

だがしかし、この時点ではまだ仕事のベクトルが自分に向いている。
“自分が好きなことを仕事にしたい”のだから、周りへの影響ではなく、自らが楽しみたいということを大切に思っていた。

他者の幸せを喜ぶ姿勢

大人になり、家族や周りの尊敬する人たちは、“周りの環境を含む他者の幸せ”を考え、そこに喜びや幸せを見出していることを知り、気がつけば私もその想いに魅力を感じ、共感するようになっていた。

自分ができる仕事がどこまで影響しているのか。
その幅を広げたい。もっと視野を広げ、いろんなものを見てみたいと思うようになった時、自然と“世の中に良い影響を与えることがしたい”と思った。


その想いが通じているかのように、今では大切な人たちと共に、自分が共感できること、応援したいと思う物事について書かせてもらったり、一緒にプロジェクトを動かすお仕事をさせていただいている。

自分が行動したことが誰かのためになったりと、少しずつその輪が広がっていく感覚に、やりがいを見出している。

想いを少しずつ体現できている今

私が仕事をする上でブレない軸として持っていることは、「世の中にある素晴らしい物事・人・想いを世の中に発信する」ということ。
そのお手伝いがしたいと思った時、私にできることは「言葉を紡ぐこと」「文章で伝えること」だった。

一緒に未来を見たいと思える仲間に出会い、素敵な物事や人、想いに出会い、一緒に一つのことに向かって取り組めること。
その想いを少しずつでも体現できている今、毎日がとても幸せだと感じている。

人は新たな価値観に出会う度、環境が変わる度、意図せず自分の中で変化する何かがあると思っている。
だからこそ、身を置く環境や出会う人、付き合う人の重要性を感じる。

私自身も、大切な人たちと関わり、新たなモノや想いに出会う度、私の仕事のベクトルは外(他者や環境)へと変わっていった。

これからも自分が培ってきた価値観を大切にしながら、大切な人たちと共に未来を描いていきたい。

YUKARI FUJII
@yukaringram

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Yukari Fujii
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