見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第百七十三話 薄雲(一)

 薄雲(一)

待ちわびた源氏との再会はほんのひととき、君の身分重きゆえにまた間遠になり、再び源氏が大井の山荘に訪れる頃には秋も暮れ、冬になっておりました。
会いたいと切望していたものの、会ってしまうと次が待ち遠しくなって寂しさが増す明石の上です。
そうして再びの源氏の訪れを嬉しく思いましたが、君はとうとう恐れていたその言葉を口にしたのでした。
「このままでは小さい姫のためにもよろしくありません。東院に移っていただきたいのだが・・・。あなたが決心できないのであれば姫だけでも引き取りたい。そして三歳の袴着の儀を盛大に執り行うことで正式に私の娘として世に公表しようと思うのだ」

空は灰色でどんよりと雲が厚くじわじわと冷え込んでいるのは、そろそろ雪が降る兆しでしょう。
まるで明石の上の心情をそのまま映したような空色です。
いつかはこの話がでることは予測していました。
身分賤しい身では、小さい姫の将来も望めないからです。
それでも少しでも先延ばしになればよいと願わずにいられないのは、母心としては致し方なきことでしょう。
「お引き取りなすっても、賤しき腹の出ということはいずれ世の方々に知られることでしょう」
明石の上はそう顔を両手で覆い、耐えられずに伏せてしまいました。
無理もありません。お腹を痛めて産み、片時も離れずに慈しんできた我が子を会ったこともない女人に委ねろというのですから。
「紫の上という人はね、とても世話好きで気立てのよい人なんですよ。しかしあいにく子が無いもので、わたしが親代わりになって入内された斎宮の女御は同じほどの歳だというのに母親よろしく世話をしようとするんです。小さい姫のように幼い方ならばそれはそれは大事にお世話することでしょう」
明石の上は取り繕うにも、こと子供に関しては心が乱れてしまうので、源氏の滞在にも伏し目がちで侍ることが多く、まんじりともしない逢瀬でありました。

明石の上の母である尼君はやはり思慮分別のある方なので、娘に説いてきかせます。
「それは辛いことでしょう。わたくしとて小さい姫のお顔を拝めなくなるのは悲しいのです。しかし姫のことを考えるのが一番ですよ。母方の身分が低いということがどれだけ不利になるものか。源氏の君があのように優れていらっしゃるのに更衣腹ということで臣下に下られたのですから。もしも尊い御腹に姫でも誕生されたならば取り返しがつきませんよ。今決断するしかありません」
母の言うことはすでに心得ておりますが、理性と感情は別々のものなのです。
「ちい姫や、こちらにいらっしゃい」
明石の上が呼ぶと小さい姫は可愛らしい手を伸ばして甘えてきます。
その愛らしい笑みを見ると、どうしてこの子を手放せようかとまた悲しみが込み上げてくるのでした。
しかし優れた人相見に尋ねても、名高い陰陽師に占わせても、みな一様に京に移られた方が姫の運勢が各段に上がるという見立てです。
噂によると紫の上という女人は思いやりのある優れた御方で、あれほど多くの浮名を流した源氏の君が上と結婚されたことですっかり身を慎むようになったということです。
なるほど明石の浦にあった時、源氏がふと心に想っていたのはかの人であった、と強い絆で結ばれたお二人を羨ましく思われます。
母の言うとおり、他の身分尊い方に姫ができたならばこの小さい姫はものの数にも入らぬでしょう。
あの住吉詣でで垣間見た源氏の愛息・夕霧の立派な様子を思い返しても、源氏の姫として公になり、紫の上に養育したもらった方がよいのです。
明石の上は日々自分に言い聞かせ、姫を紫の上に委ねることを承諾しました。

次のお話はこちら・・・


いいなと思ったら応援しよう!