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紫がたり 令和源氏物語 第百六十九話 松風(六)

 松風(六)

その宵は実に趣深いものでした。
明石の上は源氏に会えなかった三年近くを不安な気持ちで過ごしておりましたが、この一夜で月日が埋まったように思われます。
二人は明石で共に見たものや詠んだ歌の数々、思い出を語らいながら互いの気持ちが変わらずにあることを確かめあいました。

愛というものは不思議なものです。
源氏の紫の上に対する想いと明石の上に対する想いは同じではありませんが、それぞれが愛の形を成しているのです。
人同士が関わり合うことで生まれる感情は愛ばかりではありません。
時として憎悪や嫉妬などの醜い感情もあるでしょう。
しかしそれを含めてが人であり、それを抱えながら生きていくからこそ人の生き様には心惹かれるものがあるように思われます。
紫の上も明石の上もそれぞれに素晴らしい女人で、源氏はそんな彼女たちに触れるたびに愛さずにはいられないのでしょう。

翌日源氏は直衣を脱いだ寛いだ姿で庭を見やりました。
「少し手を加えれば面白い庭になりそうですね。かといってあなたには早く東院に移ってもらいたいので、あまり居心地良くなられても困るかな」
そう振り返り笑む姿の魅力的なこと。
三年前に明石でお会いした源氏は線が細く背が高くていらしたので女性と見紛うほどの美しさでしたが、今は壮年の貫録がつき男としての魅力が溢れているように思われます。
これほどの殿方はやはりどこを探してもおらぬでしょう。
明石の上はその源氏の姿を眩しく思い、この方に愛される幸せを感じておりましたが、それと共にこの方を愛するということは数多いる女人達との愛憎に身を投じることでもあると人知れず甘く苦しい思いに悩まされるのでした。
そんな明石の上の気持ちも知らず、源氏は楽しそうに庭の遣り水や前栽の指図をしております。
ふと庭の隅に御仏に仕える尼君の持ち物である閼伽(あか=仏前供養)の道具などが目に入り、これはだらしのないところを義母に見られてしまったな、と源氏は身繕いをして尼君のおられる几帳越しに咳払いをしました。
この人も娘と孫娘の為に長年馴染んだ明石を出られたので、軽んじた扱いはできません。
「寛いでしまいまして、みっともない姿をお見せいたしました」
「いいえ。庭を美しく整えていただいてありがたいですわ。松を多く植えてくださったので、懐かしい浦を思いだして慰められます」
「よくぞ決意してここまで来てくださったものですよ。頼もしいかぎりです。尼君が毎日御仏にお仕えしているからこそ、無事に今日と言う日を迎えられたのですね。心より感謝しております。残られた入道にもなんとお礼を申し上げたらよいか」
源氏の神妙な労いに尼君はもったいないほどありがたい言葉だと感じ入りました。
「こうして小さい姫が京に迎えられるのをとても心強くありがたく思いますが、何分母親の身分が賤しいことばかりが気がかりで・・・」

この方はものの道理をわきまえておられる。
王孫でありながら慎ましく思慮深い様子、明石の上はまことこの方に育てられたのであるなぁ、と源氏は感心しました。

造作の為に堰き止められていた遣り水が、再び流れ出すその静かな涼音がまるで昔栄えた皇族の主人を懐かしむ涙のように思われて、尼君は詠みました。

住み馴れし人はかへりてたどれども
       清水ぞ宿のあるじ顔なる
(もう戻ることはないと思っていたこの宿に舞い戻り、私はいまだ混迷に惑うておりますが、この庭の清水は華やかしかった昔となにも変わりません。まるでこの清水こそが主人のようであるかのように)

源氏はその慎ましげな歌に返しました。

いさら井は早くのことも忘れじを
      もとのあるじや面變わりせる
(清水はこの庭と邸の主人としてなんら変わらず昔のことを覚えているであろうが、元の主人であった尼君が僧形で戻ってきたことには驚いているでしょう)

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