紫がたり 令和源氏物語 第百六十三話 絵合(九)
絵合(九)
辺りが薄闇に包まれた頃、とうとう残すところ一巻のみということになりました。
まさかここまで互角の勝負を繰り広げ、最後の一巻にまでもつれ込むとは予想だにしないものでしたが、ここで左方は一巻の墨絵を広げました。
さらさらと開かれていくその絵はまるで箱庭のようにそこに海が広がっていくように見えました。
「なんと・・・」
帥の宮は息を呑みました。
今にも動き出しそうな海人の姿、風の音が聞こえてきそうな浦の様子がのびのびと描かれているのでした。
源氏は最後の巻として須磨で描いた一巻を用意しておいたのです。
右方の権中納言は、これはしてやられた、と狼狽しました。
どのような絵師よりも優れた源氏の手によるものです。
その人の心の叫びがにじみでたものに他の絵が勝てようはずもありません。
女院もそのわびしい浦の様子に大きく心を揺り動かされ、源氏の辛い日々を思い遣ると胸が詰まるように思召されました。
「これが出てしまってはこちらはもう絵をお出しすることはできません」
権中納言は潔く引き下がり、源氏に勝ちを譲りました。
一同も納得の梅壺方の勝利となりましたが、弘徽殿方の潔さも褒め称え、絵合は和やかに終了しました。
この催しは近年稀に見る風雅な催しとして後世にも語り継がれるほどの、冷泉帝の華々しい御世の象徴となるものでした。
後の宴が開かれて、明け方近くになると悔しがっていた権中納言も心地よく酔っておりました。
「まったく源氏は何をやらせても秀でておられるのが、癪にさわるなぁ」
などと源氏の盃を満たします。
帥の宮もほろ酔いで、
「ほんにあの一巻には参りました。兄上、何だか父院が在世だった頃を思い出しますなぁ」
帥の宮は泣き上戸なので、目に涙を浮かべております。
「みなさま、もったいない春のあけぼのですぞ。楽でも致しましょう」
どこからともなく上がった声に、それぞれの楽に名人が指名されます。
和琴(六弦)には権中納言、帥の宮は筝の琴、源氏の大臣には七弦琴が割り振られ、琵琶は少将の命婦という女官が務めることとなりました。
明けてゆく空に響く楽の音が雅やかで、目覚めた小鳥たちも合わせるようにさえずります。
ライバル同士が業を尽くして奏であう音色が溶け合って、世にも妙なる響きが霞のかかった春の暁を言祝ぐようでした。
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