紫がたり 令和源氏物語 第百六十一話 絵合(七)
絵合(七)
ここでこの帖のタイトルである『絵合(えあわせ)』についてちょっとお話し致しましょう。
平安時代において、「合わせる」とは「比べる」という意味でした。
ここで同じように「合わせ」で思い浮かばれる言葉といえば『貝合わせ』ではないでしょうか。
これはつまり、どちらが美しい貝かを競うということなのです。
現在とは意味合いが違いますね。
姫君の御輿入れの道具として「貝桶」というものがあります。
二枚貝はその形状から二つとしてぴったりと対になる物はなく、夫婦円満、貞淑の証とされた縁起物です。
一般的には一対の貝に歌の上句と下句を表して、違えずに揃える遊びとしました。
これは『貝覆(かいおおい)』と呼ばれたのが元々の遊びです。
いつしか変遷を経て、現在では二枚貝の貝の片方を探し当てて、合ったその数を競うようにするのを『貝合(かいあわせ)』というようになりました。
つまり、『絵合(えあわせ)』とは、左右方に分かれてテーマにそぐった絵を持ち寄り、優劣を競い合う催しということになります。
二大女御である斎宮の女御(梅壺)が左方、弘徽殿女御が右方となり、絵を競い合う一大イベントが催されることと相成ったわけなりました。
これは穿った筋の人達に言わせるとまるで今後の政治の勢力を占うもののように思われて、梅壺方には源氏、弘徽殿方には権中納言という後ろに控えるお二人の前哨戦のような趣を呈しております。
さて、どちらにつくか、これも上達部たちにとってはこれからの時流に乗る重要な選択枝となるわけです。
源氏と権中納言は絵合に出すための絵を集め始めました。
どちらも意地を張り合う人達ですから、並大抵のものでは満足できません。
権中納言は密かに絵画部屋なるものを邸に造作して近年名だたる絵師を召して密かに新しい作品を描かせているという噂です。
公には新しい物を描かせるよりは、名だたる名品を持ち合わせよう、という盟約があったようですが、何しろ源氏に負けたくない御仁ですので、ともかく帝の御心を動かす素晴らしい名品あって然り、と勝手にルールが曲げられているような・・・。
それでいて、古きよきものもあれば鬼に金棒というところで、方々に声をかけていらっしゃる。
源氏はそんな権中納言のやり口は今更ではないかと意にも返さず、地道に歴史ある名家に協力を求めました。
世間は絵合の噂で持ちきりで、一線を退いた朱雀院とて関心は多いにあります。
ましてや想いを寄せていた斎宮の女御が負けるようなことがあれば癪に障るというもの。
公にはされない御物として奉納された宮中催事記を贈られることとされました。
院の在位の頃が描かれた秘蔵の宮中絵巻です。
斎宮の女御が伊勢に下る場面も描かれておりました。
太極殿にて美しい斎宮に別れの御櫛を挿している場面です。
その斎宮の神輿のすぐそばにひっそりと歌が書かれておりました。
身こそかくしめの外なれ
そのかみの心のうちを忘れしもせず
(今は隠居の身ですが、あの時のあなたを恋しく思った気持ちはまだ忘れられないでいるのです)
これをご覧になった女御はこの期に及んで、と煩わしく思われました。
生来潔癖な姫なので、この院の恨みがましいお言葉に耐えられないのでしょう。
しかしご返歌をさしあげないのも失礼にあたるので、かつての別れの御櫛を折り、薄青(はなだ)色の唐紙に包んで歌を添えられました。
しめのうちは昔にあらぬ心地して
神代のことも今ぞ恋しき
(内裏のうちは御身がいらした時とは様変わりしたようでございます。私が神にお仕えしていたのも懐かしい昔となってしまいました)
この決別ともとれるような歌をご覧になった院は物寂しく感じられ、斎宮を冷泉帝に差し上げた源氏を恨めしく思われますが、これはもう仕方のないこと、源氏を追放した報いかと諦めざるを得なく深い溜息をつかれたのでした。
次のお話はこちら・・・