紫がたり 令和源氏物語 第六話 帚木(二)
帚木(二)
左馬頭はなかなか鋭いことを言うな、と興がのってきて、源氏はまた質問をしました。
「北の方とするとなるとどのような女がよいのかな?」
「そうですねぇ。まぁ、容姿のことは美しければそれにこしたことはないといった程度で、醜くても三日で慣れるといいますから、やはり気立てが重要かと思われます。正妻の地位に慣れ親しんでずうずうしくならず、悋気を起こさなければなお言うことはなし、といったところでしょうか」
「それがなかなか難しい・・・」
と頭中将が呟いたので、一同はどっと笑いました。
頭中将の北の方は右大臣の四の君、あの弘徽殿女御の妹姫です。
気が強くて、嫉妬やきで、中将の忍び歩きを恨んでいるという噂なのです。
「理想ばかり言っていても仕方がない。実際のところはどうなんだね?」
という源氏の問いに、左馬頭は遠い目をして語り始めました。
「ずっと以前のことになりますが、私がまだ下臈でした頃、可愛いと思う女がございました・・・」
その女というのは人並みの容姿ではなかったのですが、とても細やかに気を遣う女人でした。
いつでも夫が引き立つようにと気を配り、醜い容姿は念入りに化粧をして衣装なども見苦しくないよう整える女性らしさの際立つ人だったようです。
この人がかいがいしく世話をしてくれるので居心地がよく、妻の一人くらいに扱うのがよい、と左馬頭は思っていたのですが、この人は実はとても嫉妬深い女だったのです。
まだ若かった時分ですし、一人の女と定めることが出来ずに夜な夜な忍び歩きを続ける夫を女は口やかましく責めました。
これではうるさくてかなわん、と思った左馬頭は日頃何くれと従う女だったので、離婚すると脅せば態度も改まるのではないかと強い口調で言いました。
「お前のその嫉妬がどうにも我慢がならん。おとなしくしておれば、出世した時には正妻に迎えようと思っていたものを」
女はふん、と鼻白み、
「上等です。あなたが出世するのをのんびり待つのも先の長い話でしょうから、浮気に悩まされ続けるならば、いっそのこと今別れてしまいましょう」
ときっぱり言い捨てました。
まさに『売り言葉』に『買い言葉』で、お互いに引っ込みがつかなくなってしまったのです。
左馬頭は思惑とは違ったので内心狼狽しましたが、口から出てくる言葉は憎々しいものばかりです。
激昂した女は左馬頭の指にがぶりと噛みつきました。
「今までこのような目には遭ったことがない。お前とはもう金輪際ごめんだ!」
こうして左馬頭はこの女の元へ通うのをやめてしまいました。文もやらず、他の女の元を日毎渡り歩くような生活を続け、これが思い描いていたものかと思うと、どうにも違う気もします。
それでも意地を張って、女に会いに行こうという気持ちは抑えていました。
それからしばらくして、霜月のある夜のことでした。
賀茂の臨時祭りの打ち合わせなどで御所を退出する時間が遅くなり、気がつくと空から雪がちらほらと舞い降りてきました。
どうりで冷え込むはずだ。こんな晩は宮中の宿直所などで夜を明かすのではなく、どこかの女の家で過ごしたいものだ、などと思っても適当な女が思い浮かびません。
こういう時こそあの指喰い女がうってつけであるのに、と思うと自然足がそちらに向いてしまいます。
終まいには、このような晩に訪れるのだから女も感動して歓待してくれるに違いない、と強引な妄想で逢いたくて仕方がなくなるのは勝手な男心というものでしょうか。
女の家についてみると、夫がいつ来てもよいように夜具などが温められてあったので、それみたことかと左馬頭は得意になりましたが、肝心の女の姿がどこにもありません。
女房に尋ねると、
「奥方さまは御実家に戻られました」
とそっけない答えが返ってくるばかり。
夫の気性を見抜いて、賢しくもすべてを整えて留守にするという、女の方が一枚上手なのでした。
後日女から文が届き、浮気心を改めれば復縁を考えてもよい、という内容のことがしたためられてあったので、癪に障った左馬頭はその手紙を打ち捨てておきました。
そうして女のことを気にしつつも数か月が過ぎたある日、風の便りで女が亡くなったということを知ったのです。
驚いた左馬頭はすぐに女の家に向いましたが、すでに取り返しはつきません。
女は左馬頭が思うよりもずっと深く傷ついて苦しんでいたようです。
そして復縁の話もそのままになっていることに悩み、思い病んでいるうちに亡くなってしまったのでした。
「まったく可哀そうなことをしました。冗談でもあのようなことを言うものではありませんね。何を相談しても適切な助言をしてくれて、裁縫などの家事も得意で申し分なかったのですが、失ってその大切さに気付くというのはよくあることです」
しん、と静まり返る場に決まり悪そうに左馬頭は苦い笑みを浮かべました。
「いや、これはしんみりしてしまいましたね。申し訳ない」
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