宇治の恋華 Ver.薫 『狂執』【シロクマ文芸部】
みなさん、こんにちは。
今週のシロクマ文芸部のお題は「霧の朝」から始まる創作です。
私の中で「霧」=「宇治」です。
それは源氏物語の薫のお話を想起させるからです。
桐壺八の宮が隠棲した宇治の山荘は、宇治川の川霧がその地を京から、ひいては俗世から隔てたような幽谷。
そこで繰り広げられる恋の物語は、時に純粋で、それゆえに憎悪が混じりあい、果てには悲しい結末を生むのです。
薫、浮舟、匂宮、それぞれの視点から描いたショート作です。
小牧部長、よろしくおねがいいたします。
『狂執』
霧の朝はこの異界にては、常のこと。
霧に塞がれた視界は俗世と遮断されたようで、宇治川の水音さえ掻き消されてしまう。
まるでこの邸の主人然としている私を如何に思し召すか、大君よ・・・。
薫はいつでも己を責めて苛むのだ。
そして今朝はことさらに罪悪感にまみれている。
亡き大君と瓜二つの浮舟君を娶った朝なのだった。
彼女は静かに寝息をたてている。
見飽きぬほどの美しさ。
磨き上げればさらに麗しく大君のような貴婦人へと生まれ変わるだろう。
もちろん彼女が大君ではないことは理解している。
彼女の為人を知り始めた今、薫は少し混乱していた。
人一人の一生を背負うのだから、けして軽い気持ちで姫君を引き受けたわけではない。
大君の代わりではなく、といいつつも、あの頃の胸のときめきを思い返すのは彼女にとって申し訳なく思う。
そうでありながら、自分を運命に翻弄されて漂う小舟だと言った彼女に惹かれ始めている気持ちを疚しく感じるのは大君への裏切りのように捉えているからか。
そして私を信頼しきっている女二の宮のほがらかな顔を思い浮べるとまた胸が痛むのだ。
なんと愚かなのであろう。
浮舟を娶ったことを後悔することはないが、物想いが尽きるどころか増しているのが、因果というものだろうか。
父と母のようにはならぬと決めていたのに、誰より愛に飢えていたのは薫自身であることに気付かされ、衝撃を受けているのであった。
「薫さま・・・?」
目を覚ました浮舟が心配そうに顔を覗き込む。
大君ならばこのような仕草は見せないであろう。
「いや、なに。川霧が煩わしくて。晴れた朝は宇治川に朝日がきらきらと、それは美しい景色なのだよ」
「まぁ」
「新婚の朝なのだから、その景色をあなたに見せてあげたかったのだ」
「いずれ見ることもできましょう。楽しみにしておりますわ」
浮舟はそっと縋りつくように身を寄せる。
「一人ではないということがこれほど温かいものだとは知りませんでした」
「うむ。二人だけの隔絶された世界というのも悪くないものだね」
素直な浮舟にますます心惹かれずにはいられない。
私だけの恋人をこの宇治に閉じ込めてしまおう。
<了>
薫が宇治の山荘へ浮舟を連れてきて結婚した翌朝の創作でした。
その出生から己を呪いながら生きてきた薫がようやく大君への想いを結実させたとする場面ですが、そこに新たな懊悩が待ち受けていようとは。
人の心は身勝手で、愛というのは狂気ですね。
『令和源氏物語 宇治の恋華』浮舟を伴い宇治へ赴くこの場面はこちらです・・・
明日は「浮舟バージョン」「匂宮バージョン」を掲載させていただきます。