自分が「何にお金を使うか」の基準を持つことを大切にしているお話。
お金ってなんでしょうか。たまにふと考えるんですよね。
なんでこんな紙切れで、買い物ができるのかなあとか。本当にこれって価値があるものなのかなあとか。日本では価値のあるお札でも、海外に行けば、ただの紙切れとなり、全く価値のなくなるお金。
不思議です。
私も現在働いていて、対価として「お金」をいただています。自分が働いて得た「お金」で、自分の欲しいものや買いたいもの、得たい機会を手に入れています。
そして、使ったお金は、また働いている誰かに渡っていきます。
そういう意味では、お金というのは働いている人への感謝とリスペクトの対価であるとも言えます。
自分ができないことをやってくれている誰かへ、リスペクトを込めて支払っているお金。
あとは、誰かへの感謝やお祝いという意味合いもあります。
ご祝儀とか、入学祝いとか、おめでたい時にもお金って渡しますよね。
それは、お金を通じて、相手の選択肢の可能性を広げている行為なのかもしれません。
結婚だったら、素敵な結婚式の機会になったり。
入学祝いだったら、ランドセルを買ったり。
就職祝いだったら、ちょっと良い時計を買ったり。
お祝いを通じて、その人がより良い機会を得ることや得たいものを手に入れることに繋がる。
幸福感と支出の関係性について面白い研究があります。アメリカ人を対象にして向社会的行動におけるお金の支出(向社会的支出)と幸福感の関係性について検討をした研究では、寄付行動や他人へのプレゼントのような向社会的支出は、自分へのプレゼントや経費支出のような個人的支出よりも幸福感の上昇をもたらすことを明らかにしています。(小野,2019)
どのくらい支出するかより、どのように支出するかが幸福感にとって重要であることが示された(Dunn, Aknin & Norton, 2008)ともいえます。
そう考えると、お金の使い方って、人生そのものな気がします。
自分は何に価値があると感じて、何にお金を使うのか。
20代後半から、「何にお金を使うか」について考える機会が増えた気がします。正直20代までは、食品も日用品もできる限り安いもので、と思っていたところはあります。もちろん安くても品質の良いもの、想いのこもっているものもあるので、安いものが悪いとは全く思っていません。
ですが、大量生産大量消費という言葉があるように、とにかくたくさん売ることが目的になっていて、その後ろにあるさまざまな背景に全く配慮していない商品があることも事実です。
自分がそう感じるものはできる限り買わない、と決めています。
でもそれは、ただ高級なもの、良いものを買うという意味でもありません。価値というのは不思議で、ある人には価値があると思っても、ある人には全く価値がないものです。ただただ高級、高値である=価値があるものではないと思っています。
大事なのは、自分は何に価値を感じてお金を支払いたいと感じるのか、という基準を持っておくことだと思います。
ちなみに私の基準はこんな感じです。全て当てはまらなくても、いくつか当てはまったら、お金を支払っていることが多いです。
あと、お金を稼ぐ基準でいうと、私は自分のポリシーがあって。
それは、友人・知人が結婚したり出産した際のご祝儀を喜んで支払えることと、大切な仲間が経済的に大変になった時や、何かにチャレンジしたいとなった時に、惜しみなく協力できること。
この2つが難なくできる状況が、私の稼ぐ基準になっています。
お金の話ってしにくい、とかしちゃいけないもの、のイメージがまだまだ強い気がするのですが、私はとっても大事な気がしています。
これからも、自分なりにお金と仲良くなっていきたいです◎