<閑話休題>スープを飲む?食べる?
(表題の画像は、ルーマニア・ブカレストの店で食べた、ルーマニア名物「チョルベ」というスープ。またこの画像は「トスカーナ風」という名前が付いており、数種類の豆が沢山入っていた。付け合わせのライ麦パンが良く合い、中世ヨーロッパの人々の素朴な食事が想像できた。)
昔予備校の英語教師が、「soup(スープ)という単語は、綴りと発音が一致しない不思議な英語だ」と言っていた。しかし、きちんと調べてみれば、「soupe」はフランス語であり(「スプ」と発音)、これがそのまま英語に入ったものだから、英語式の綴りと発音が一致しないのは当然だった。
それから、スープを食する際、英語ではeat(イート)、フランス語ではmanger(マンジュ)、つまりいずれも「食べる」という動詞を使うのに対して、日本語ではスープ=汁物というイメージから「飲む」という動詞を使う。これに対して、「欧米人はスープを、音を立てずに飲むから」とか「一品料理として供されるから」などど、まことしやかな理由が喧伝されている。
ところが、フランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリエル物語』の翻訳者である、フランス及び中世ヨーロッパ文化の碩学である渡辺一夫の詳細な訳注(全5巻の訳注を読むだけで、フランス及び中世ヨーロッパ文化を学べる!)を参考にすれば、「『スゥープ』は、本来麺麭(パン)に肉汁をかけたもの。」という箇所が、「第三之書第15章」の注14にある。さらに、「兎狩犬に与えるようなパンを入れぬ軽い肉汁」という表現もそこにあることから、本来「スープ」とは汁ではなく、パンが主役の食べ物であったことがわかる。そうであれば、誰が何といっても「スープ(パン)」は「食べる」ものにしかならない。
なお、ここで言う麺麭(パン)は、日本の食パンのようなものではなく、山型のどっしりとしたものや、インドではチャパティ、アラブ圏ではホンムス、そして古代ローマではパンと称されていた、ピザ生地をそのまま使ったものである。そして、古代ローマでそうであったように、現代のヨルダンではこのパン=ホンムスは価格統制されていて、いつでも安価で市民に提供されている。
以上のことから、「スープ」とは、人に供されるものは「パンに肉汁をかけた食べ物」が語源であるのだから、必然的に「食べる」ものになる。ここまで説明されれば、さすがに「パン(スープ)」を飲むという人はいないだろう。また、「パンを入れないスープ」は、犬などにやるものであり、人に供されるものではなかったことがわかる。つまり、「スープ」とは「パンに肉汁をかけたもの」であり、「パンがないスープは、人が食べるものではなかった」ということになる。
従って、現在一般的にある「パンを入れていないスープ(なお、きちんとした店ならスープにパンを必ず添えるが、スープの中には入れない。)」は、本来のスープではなく、もともとは犬などにやるような(高級なパンは別として)安っぽい食べ物であったと言える。
ところで日本では、人が「飲む」みそ汁に冷めたご飯を混ぜたものを、昔は飼い犬や飼い猫にやっていた。これを「犬飯」、「猫飯」と称して、犬や猫は「食べて」いたが、今は、みそ汁をかけたご飯は、人様のちゃんとした食事として(少なくとも庶民は)「食べて」いる。そう考えると、将来日本語でも、スープを「食べる」というように変わっていくのかも知れない。(なお、ご飯⦅定食⦆にはみそ汁をつける習慣となっているが、みそ汁にご飯をつける習慣は特になく、みそ汁単独というのはあるので、これが続く間はやはり「飲む」ことになりそうだ。)
(私が、海外の都市の印象や文化・食事等についていろいろと書いた本です。宜しくお願いします。)