ある春の日のタイムスリップについて
ものにはたくさんの思い出がまとわりついていて、ふと手に取っただけで私たちの感情を揺さぶってくることがある。
ちょっと長くなるけれど、今回は旅先で出会ったYとの思い出話に付き合ってほしい。舞台は12年前のバンコク、カオサン通りの激安ゲストハウスだ。
2012年夏、バンコク・カオサン通りの激安ゲストハウス
Yとは2012年7月、バンコクの安宿街・カオサン通りにあるゲストハウス「N」で出会った。
Nの宿泊料金は数百円。かろうじて個室ではあるものの独房と揶揄されるような部屋で、もちろんシャワーは共用、そのシャワーでさえビーサンなしでは足を踏み入れたくないクオリティだ。地球の歩き方に載っているからか、宿泊客はほぼ全員が日本人である。
忘れもしない。Nにはじめてチェックインしたのは2012年4月13日で、私は当時21歳。大学を休学し、世界一周するつもりで日本を出てきていた。記念すべき1カ国めがタイだ。
初日は別の宿に泊まったものの、いきなりさみしくなった私は、ツイッターで日本人バックパッカーに「どこに泊まってますか?」と聞いてNに移ったのだった。
Nで同じような境遇の旅人たちと仲良くなり、一緒にタイ国内をまわったり、2カ月ほどかけてヨーロッパ各国を渡り歩いたりした。
その後はスペインから船でモロッコに渡り、アフリカをまわって南米に飛ぶはずだったが、バルセロナで運悪く盗難に遭う。アフリカと南米はあきらめて勝手知ったる街を拠点にしようと、バンコクに戻ってきたのが7月だった。
やっぱりここが落ち着く。そう思いながらNのロビーでだらだらする日々で、よく顔を合わせたのがYだ。
Yは激安ゲストハウスで完全に浮いていた。いつ見ても美しい姿勢・美しい服装でぴかぴかのMacに向かっているのだ。
あとで本人から聞いて納得したのは、どうやら“いいとこの子”らしく、都心の高級マンションでひとり暮らしをし、親御さんから月々20万円(家賃別)の仕送りをもらっているということ。私と同い年で、大学の夏休みを使って旅しているのだという。
Yと私は完全に違う世界の住人だったが、そこはバックパッカーというはみ出し者どうし、気があうに決まっている。ロビーで顔をあわせるうちに自然と言葉を交わすようになっていた。
貧乏であれ豊かであれ、暇な大学生がカオサンの安宿ですることといえばただひとつ。“沈没”(観光などに出かけることなく、ひとつの街でだらだらと過ごすこと)である。
外出といえば、屋台のパッタイや当時貧乏旅行者の胃袋を支えていた「10バーツラーメン」を食べに行くくらい。日がな一日、ロビーでスタッフや他の宿泊客とおしゃべりをして、非生産的な時間を過ごしていた。
とはいえ、ノリで行動するのが旅人の習性だ。Yと私の堕落した日々は突然終わりを迎える。
Yはあるバックパッカーと意気投合し、マレーシアに、聞いたこともない名前のカブトムシを探しに行くことになったという。私も同じく、宿で仲良くなった日本人とのミャンマー行きを決めた。
ミャンマーからバンコクに帰ると、Yはひと足先にマレーシアから戻っていたようで、カブトムシの写真を見せてくれた。
でもその後、私はすぐ別の国に出かけてしまい、Yとはそれきり会わずじまいだった。夏休みが終わって帰国したのだろう。
Yは東京住まい、私は大阪住まい。旅先での出会いは一期一会だと心得ているし、「中間地点の名古屋で集まろうよ」「夜行バスで会いに行くね」と言いあうほどの仲でもない。SNSのタイムラインで近況を知るくらいだった。
2014年春、渋谷の居酒屋/豊島区千川のアパート
Yと再会したのは、私が就職し上京した2014年春のこと。同時期にNに滞在していた人たちで集まることになったのだ。
同い年とはいえ、休学していた私とは違い、Yは既に社会人2年目。だれもが知る大手企業で働いているという。
ひさびさの再会だし、薄汚れたバックパッカーだった私を知っている人からすれば“OLのコスプレ”にしか見えないだろうという妙なおかしみと気恥ずかしさもあるしで、すこし緊張した。
そんな緊張を知ってか知らずか、Yは顔をあわせるなり小さな包みを差し出した。「これ、就職祝い。たいしたものじゃないよ」
リボンをほどいてみると、ピンク色のきらきらしたバスボムがあらわれた。お風呂の中でしゅわっと溶けるらしい。
いつもクールなYが私のためにわざわざ買いに行ってくれたんだ。しかもピンクのきらきらって……私のイメージって実はそんな感じ?なんだかくすぐったくもうれしかった。
だが、そのバスボムが使われることはなかった。
あまりにうれしかったからだと言いたいところだが、事実は違う。いわゆるブラック企業の新入社員だった私は、家にいる時間が極端に短く、湯船につかるという発想さえなかったのだ。
バスボムはそのまま引き出しの奥底にしまわれ、翌年には引っ越しのダンボールに詰め込まれたあと、洗面台下の収納スペースに転がされた。
2015年〜2024年、東京のマンション
大掃除のたびにバスボムと“再会”し、懐かしく手に取っては、Yとつかず離れずで過ごしたバンコクの夏を思い出す。時間を持て余し、飽きることもなく屋台のパッタイと10バーツラーメンばかり食べていた、うだるように暑いあの夏のことを。
バスボムなんて、その気になればすぐに使える。浴槽にぽんと放り込むだけで、一瞬で消えてしまうのだろう。
でも、私はそうしなかった。あの頃の思い出までしゅわっとお湯に溶けていき、もう絶対に後戻りできなくなってしまうような気がしていたのかもしれない。
手にとってはまた棚に戻し、気楽な学生時代のことも記憶の奥底に押し込んで、りっぱでまともな大人みたいな顔をしてせわしない日常に戻っていく。そして次に大掃除をする日まで、存在をすっかり忘れている。
何年も何年も、それを繰り返した。
2024年春、東京のマンション
上京してちょうど10年になる今春、ひさびさにバンコクを訪れた。実をいえば、昨日帰国したばかりだ。
といっても、たった1泊2日の滞在で、沈没なんてとんでもない。宿泊したのはゲストハウスではなく話題のおしゃれホテルだし、屋台ごはんは一度も口にしていない。
旅暮らしをしていたのはもはや遠い昔のこと。33歳の私にとって、いつの間にか旅は非日常のものになっていた。
昨日。バンコクへのショートトリップを終えて日常に戻ってきた私は、お風呂につかって旅の疲れを癒やしたかった。
旅行から帰ったら、どんなに疲れていてもまず荷ほどきを完了させるのがマイルールだ。浴槽にお湯を溜めている間、バックパックから旅行用のスキンケアセットを取り出して、洗面台下の収納スペースにしまおうとした。
扉を開けた瞬間、奥からあのバスボムがのぞいていることに気づく。
長い年月を経てすこし形が崩れてしまったそれを手に取った。そのとたん、12年前のカオサンでの日々が自動再生のように思い出され、しばしのタイムスリップを味わう。
若かった私、若かったY。いろんな無茶をしたな。ちょっと危険な瞬間もあったよね。あのとき珍しく焦ってたYの顔、いまでも覚えてるよ。
33歳になったYは遠い国に住んでいるらしい。SNSで写真を見かけてメッセージを送ったら、「遊びに来てよ、遠いけど笑」とYらしい飄々とした返事をくれた。私が結婚したことは報告したっけ?もうずいぶん前のことやけどな。
「あのころはよかった」と思い返す日もある。でも、いまが一番幸せだ。りっぱでまともな大人をやるのって最高に楽しいから。
そう思った瞬間、突き動かされるように浴室のドアを開け、握りしめていたバスボムを浴槽にぽちゃんと落とした。
浴室中にいい香りが広がり、お湯がピンク色に染まっていく。引っ越しを共にし、何年も何年も家の片隅にあったのが信じられないくらい、Yからの贈りものはあっけなく溶けていった。