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元気でいろとは言わないが、日常は案外面白い

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作家による日記風エッセイ
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#note

潮騒と青と幸せと自由を忘れていた一人

波打ち際に残した足跡は消えてしまうけれど 絶望的な運動不足により数時間の移動で筋肉痛が起きた。階段上り下り、スーツケースを何度も持ち上げ右腕が死んだ。同時に、自分に対し死ぬほど引いた。 嘘でしょ?君、このレベルの移動で筋肉痛になるの?笑えないよ?人生まだ続くらしいよ?今からこれってやばいよ?冗談止めようぜ……? 東京の片隅、用が無いと外出せずただ何にもならない文章を書き綴る日々。足元から腐っていく感覚がした。茶色く濁った水のように心は色を変え、折れた花のように身体は崩れ

この街は、オアシスのような砂漠で、砂漠のようなオアシスで

東京を離れる。 それを決めたのはここ数ヶ月の話。2年住んだマンションの更新通知が来る前、転職してフルリモートになり、インターネットさえあればどこでも仕事が出来るようになった。何となく、ここにいる必要はないなと思った。 ここに住み始めたのは前に勤めていた会社から近かったから。ただそれだけの話なのだが、東京という街へ来て何となく、どんなもんかと考えていた節があった。 東京という街はとにかく利便性がよく、電車に乗ればどこへでも行ける。休みの日に話題のスポットへ足を運ぶのも簡単

馬鹿みたいな時間に意味を見出すのが人生だと不意に思った

ずっとやりたかったことを、やりなさいと貴方は言った 自分にはこれしかないとしがみつき、報われない努力を重ね疲弊し全部終わらせたかった時間がある。迷走。人生で一番悲しかった事かと問われれば否と言うだろう。そもそも、一番悲しかった出来事なんて甲乙つけがたい。レベル的にはどれも同じような物である。 けれどこの二年は何十回も自分をゴミ屑だと嘆き、書き出した最初の一文を破り捨てるような日々だった。こうなりたい、こんな未来に辿り着きたい。最初に抱いた希望が何光年も前に死んだ星のように

爆発しても、散った残骸は美しいと信じている

爆弾みたいだなと思ったんだ 空に上がる火や色鮮やかな花、点滅するサーチライト、爆弾みたいなものの寄せ集め。百日紅の花が爆弾みたいだと語る人を知る前の話、散る花を爆弾みたいだと思った。 理由は分からない。ただ、爆発して散った物の名残が地面に落ちていると思った。実際花は爆発しないし、本当の意味で爆発しているのは空に上がった火花や何光年も先で既に死んだ星くらいなもので。けれど地面に散ったそれを、咲き誇り花盛りを迎えているそれより好きだったのは、どれだけ汚れても物の本質は変わらな

空の青さを知っている。他の誰でもない、自分の中にある色彩を

声にした。ペンを走らせるのではなく、唇を開いた。 人生が不条理の連続であると気づいたのは随分昔の事だ。願ったとて叶えられず、努力しても手に入らないものがある。初期ステータスは自分で決められるものではない。ただ、キャラクリ画面に自分が出てきたら、間違いなくステータスは振り間違えている。 15歳になるまでの長いようで短い年月は、私の人格形成を大いに狂わせたと振り返って冷静に考えても思う。このしょうもない15年間は私に、私である事を後悔させるような時間だった。 生きてるだけで

なんて、しょうもない日々に告げる。

泣いたふりをした 最後に泣き真似をしたのはいつだろう。多分子供の頃だと思う。遡る事20年前くらいだろうか、嘘泣きで人の関心を得られる時間はそう長く続かなかった。 どれだけ泣き真似をしても構ってはもらえない事に気づくのは随分と速かった。それが良いか悪いかは未だに分からない。ただ泣き真似をしようがしなかろうが、変わらないと気づいたのだろう。 平々凡々な人生、愛は平等に与えられず、嘘をついて関心を得ても欲しかった物は手に入らない。人間なんぞそんなものである。 それなりに大き

私の一番幸運な所は、

まだ遠くへ 数年前の事だったと思う。実家のベッドで目が覚めた。妙にすっきりしたような、納得がいったような気分だった。 見覚えのない氷山だった。入口には何故か鳥居。雲で隠れた頂上は見えない。ただ装備もまばらの人間たちが一心不乱に登っている。途中で足を止めた人、落ちる人、引き返す人。私は鳥居の前でそれを見ていた。 隣には母がいて、入口に立っていた住職らしき人が声をかけてくる。これを見てから登るか決めたらどうかと言われ史料館のような所に通される。私はそこを眺めてから一人で鳥居

僕らは金木犀の奴隷なのかもしれない

金木犀が増えるのは魅了された人間が堕ちていくからだ 隣町にかかりつけの歯医者がある。歩いて向かうのは電車代を浮かせたいからという理由ではなく、純粋に運動不足解消のためだ。信じられないくらい運動をしていないので、人間は程々に歩いた方が良い。そのうち一歩踏み出すだけで悲鳴を上げる身体になるかもしれないから。 道中金木犀の生垣がある。良く晴れた、秋晴れの空だった。淡い青が空高く、雲は薄っすらキャンバスの上に広がった絵筆のように伸びている。顔を上げれば木漏れ日の隙間から覗く青に、

結び目を解けば、いつも同じ場所に辿り着く

人は触れてきたもので出来ている 先週歩いた道に咲いていた彼岸花が枯れていた。ただ枯れているのではなく、鮮やかな赤が抜けるように白くなっていた。花弁の先に僅かな薄桃が残っている。茎は茶褐色、水分を失っていた。 彼岸花ってこう枯れるんだ。思わず足を止めた。咲き誇る姿しか知らなかったから、こんな風に色彩を失って枯れるなんて思わなくて、美しいと感じた。 だって真っ白になっていた。色水を吸わせて虹色に変わったカーネーションが、ただの水につけたら元の色に戻っていくのと同じように。繊

人生が一冊の本だとしたら、君の本の、たった一文に存在したい

君の人生が一冊の本になるとして ここ数年ずっと考えている事がある。人生が一冊の本だったとして。 よく一本の映画だったとしてと言われているのを目にした事がある。長くて3時間半、走馬灯にすれば一瞬。人生が一つの映画だったとしたら、自分の映画にはどのくらいの価値がつくだろう。 幼少期に気づいてしまった事がある。それは、この先どれだけ頑張ろうと自分の人生はスポットライトの下を歩く人々のような物にはならない事だ。ほとんどの人間がスポットライトを浴びぬまま死んでいく。けれど自分の人

セブンティーンアイスを見かけた今日この頃

青が住んでいた 梅雨になり馬鹿みたいな太陽と蒸し暑さが行き来する中、ふと、駅にセブンティーンアイスを見つけた。 セブンティーンアイスは100円台の種類豊富な棒アイスが魅力で、自動販売機で売っていることもあり非常に親しみが深いアイスである。 学生の頃、この自動販売機がグラウンド前の壁沿いに置かれていた事を思い出した。 コンビニに行ってアイスを買うのは現実的ではなかった。すぐ近くにあるけれど、休み時間に外へ出るのはあまり褒められたものじゃなかったからだ。 それでも暑くな

セブンティーンアゲインを見た今日この頃

戻りたい一瞬はあるか。 つい数年前まで、どうしても戻りたい一瞬があった。言ってしまった一言、踏み出さなかった一歩は確実にそれからの人生を変えた。 私の人生を振り返る度、産まれた瞬間が15歳の時だと思ってしまうのだ。それまでの時間は正直思い出したくもないような、長く苦痛の時間だった。 二度目の生を受けたのは18歳の時。 全てが変わったと気づいたのは大学生活が始まって数ヶ月が経ってからだ。キラキラ輝く記憶は思い出となり、その全てがここにないと悟った。輝きを与えてくれた人を

声をあげないと未来は変わらないと変わる途中で世界が嘆く

世界はこうやって変わっていくんだろうな 25年生きている。そのうち憶えている時間はどのくらいだろうか。半分にも満たないかもしれない。記憶は更新されていくから、いらないものから消えていく。けれどその一瞬一瞬に感じた全ては確かに生き続けている。 人類が産まれてどのくらい経ったのだろう。正確には、人類が今の人型を保ってから。言葉を交わし集落を作り生活を始めてから。紀元前から生き続ける人間の歴史は語られない物語を含めると、それはそれは膨大な量となるだろう。 考えるのが好きだ。知

伝えたい事は少ないと思った。でもずっと同じだった

届けていられたら 現実というのは不条理の連続で出来ていると思う。世の中の不安や悩みの9割がお金で解決できるのと同じように、結局豊かな生活の前で努力は塵に等しいと歩いてきて気づいた。 初期ステータスとは言いたくなかったけれど、この世界にはどうしたって初期ステータスが存在する。それも、各々違う。生まれてくる家も育つ環境も選べない。そこに文句を言う気もないけれど、親ガチャという言葉は秀逸である。 ちなみにこの親ガチャ、母と話してた時に子ガチャ失敗したって言われたらどうすんねん