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伝えたい事は少ないと思った。でもずっと同じだった
届けていられたら
現実というのは不条理の連続で出来ていると思う。世の中の不安や悩みの9割がお金で解決できるのと同じように、結局豊かな生活の前で努力は塵に等しいと歩いてきて気づいた。
初期ステータスとは言いたくなかったけれど、この世界にはどうしたって初期ステータスが存在する。それも、各々違う。生まれてくる家も育つ環境も選べない。そこに文句を言う気もないけれど、親ガチャという言葉は秀逸である。
ちなみにこの親ガチャ、母と話してた時に子ガチャ失敗したって言われたらどうすんねんと言う結末に至った。結局の所、子供はいつまでも親に甘えてるから何を言っても許されると思って親ガチャと言うのだろうか。
母は「すまんな失敗したな、お前に運が無かった」と返すと話したが、私はそもそも初期ステータスは致し方ないにしろ自分の事を優秀で愛される良く出来た娘だとは一度たりとも思った事がないので、僕らお互い運なかったねと笑った。そのくらいがちょうどいいのかもしれない。
話を戻そう。初期ステータスで変えられない事はなんだ。
顔、知能、身長、病気になる確率、体質、遺伝子に直結する物と家庭環境だろうか。貧乏、大金持ち。家庭の環境が違えば余裕が違う。もし、ヴァイオリンが習いたかったとして。お金が無ければそれは出来ない習い事の類に入る。
そんな中、子供のために身を粉にして習い事をさせるという選択肢を取る親がどれほどいるのだろう。させてあげたくても出来ないのが現状じゃないだろうか。
大金をはたいたのに成績も出さないまま終えるのが見えてたら投資はしないだろう。
でもお金持ちであれば、気軽な感覚で始めさせられる。上手くいかず辞めてしまってもすぐに他の事へ着手できるだろう。かかる費用と当人の努力は必ずしも比例しない。
スポンサーは大きければ大きいほどいいのは昔から気づいていた。
幼少期、出来なかった習い事はない。裕福でもなかった、少ない給料をやりくりし一年で100万溜めた能力を持つ母のおかげであると言っても過言ではない。
子供の頃から、有難い事に私たちは金銭面においての不自由を強いられなかった。家があまり裕福でないのは知っていたけれど、誕生日もクリスマスも、スーパーで買うお菓子でさえ欲しい物は買ってもらえた。
お年玉は生まれた頃から三兄妹全員個人の口座に入れられ両親が使う事もなかった。きっちり分けられ手出しもされなかったそれは私たちにとって当たり前の環境だったが多くの人たちにとって違うのも理解していた。
学費だって平等に払われた。兄にやるなら妹にも、妹にやるなら弟にも。そうやって順繰りに金銭面は平等に扱われた。これは全て父が兄弟間で平等に援助されなかった事を嘆き、母が金銭に余裕がなかったから子供には平等に大事にしたいと願った結果だった。
働き始めてから家に入れていたお金は母が失くす事無く管理し家を出る時に手渡された。私はてっきり使ってる物だと思っていたので、受け渡されたそれに驚きながらも家電を買った。
納める事に意味がある。そう言った母の言葉に私はいつか、もし誰かと一緒になって子供が出来たら同じ事が出来るだろうかと考えた。
そう考えると性格的な面はさておき、私は十二分に恵まれていた方だと思っている。やられた事を繰り返さない。その一心で平等に注がれた援助のおかげで、私たちの間では誰が多く貰ってるとかずるいとか、そんな言葉は飛ばない。むしろ金銭面に関してはトントンに、欲もあまりないのが現状だ。
遺産相続は楽になりそうだとよく話しているが私の方が先に死ぬ可能性もあるので、私の遺産はとりあえず月面葬代以外好きに使ってくれと言っておく。このnoteも遺言書扱いになってくれるだろうか。書いとくだけタダか。
でも、これが良い例の一つであった事に過ぎないのを知っている。私の顔は父そっくりだし、虚弱体質は母そっくりだ。脳みそレベルは計り知れており身長も体型も遺伝的な要素がはっきり出ている。
それでも時折、最初から選択肢が沢山あったなら世界は変わったのだろうと思う。今更だしあの家に生まれ育ったから私は今ここにいる。変わりのない事実だ。けれど別の世界線で生まれた私の事をどこかで見てみたいと思う。
どうしよう、音楽の才能があったら。どうしよう、めちゃくちゃ頭良かったら。どうしよう、理系だったら。どうしよう、口調が綺麗だったら。どうしよう、笑っちゃうかもしれない。
お嬢様言葉で生活している自分がいたら笑いが止まらないかもしれない。お父様、お母様なんて呼んでたら膝から崩れ落ちて転がる気がする。
でもそれは起こらない。だって人生は不条理の連続だから。現実は過ぎ去るだけで戻りはしないから。どれだけ願っても、祈っても、神には届かない。転生も何もかもない。今は今だ。
もしかすると死んで生まれ変わる未来があるのかもしれない。今が、そうなのかもしれない。でも記憶はきっと受け継がれないだろう。運命の相手も一周回れば変わるだろう。赤い糸はどこまでも続かないから。
諦めて今の自分を愛すしかない。愚かで中途半端で食らいつこうともがく事しか出来ない自分を、いつか誰かが綺麗だと言ってくれる日まで泥だらけで手を伸ばし歩くしかない。
伝えたい事はどんどん減っていくと思った。けれど最近気づいたのがどんな作品を書いても、どんな言葉を発しても、どんな物を残しても、伝えたい事は一貫して当たり前が崩れ去る事。
永遠なんてどこにも無く日々は繰り返されない事。窓から見た月がビルに隠れそうになるのをここに越してきて一年が経ち初めて気づいたのと同じように、伝えたい事は知らぬ間に小さな所で増えていく。
猫背が常になって上手くいかない現状が当たり前だと思ってしまっても、それが死ぬまで続くわけではないと思っている。悲しい話だけど頑張っていればどこかで報われるのではないかとも思う。
東京に来て一年、得られたものはない。悲しいけれど欲しい物は指の隙間から滑り落ちる日々だ。何度泣いて何度失望したか分からない。それでもここにいる。書いている。思い出になる前に。今を記している。
明日、世界が変わればいいと願いながら遠くまで書き綴る願いが届けばいいと思う。
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