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元気でいろとは言わないが、日常は案外面白い

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作家による日記風エッセイ
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夜の深さを知る人に、幸福な明日が訪れればいい

一瞬で消えた秋に冬が顔を出す。寒さに震える朝と夜、陽が出ない雨の日は部屋と外の気温差に驚いてしまう。夏は湿度が高く、虫が何とか言ってたくせに、今だけは感謝していたりする。 一瞬で過ぎ去った季節の中、別れや新たな出逢いを通し、世界はまた、少しずつ色を変えていく。 そんな中、私は何をしていたかと言うと、季節の変わり目に気づかず部屋でカタカタ仕事を続けていた。昼時に少しだけ外に出た瞬間、あれ、寒いんですが?と気づいたのである。 毎日同じことを続け、同じ部屋で、少し違う物語を書

世界が終わる日にきっと、

世界が終わるとしたら 子供の頃、よく考えていた。 明日、世界が終わるとしたら。 その瞬間はどのように訪れるだろうか。幾度なく見た映画や小説のように、隕石が落ちてきたり、怪物に破壊され、大地震、津波、アトランティスのように海に飲まれ消えるのかもしれない。 ただ世界が終わるなら、さっさと死んで生まれ変わりたいと思っていた。 人生に意味など無く、未来に希望は存在しない。スポットライトを浴びる人間を陰から見て唇を噛み締めるくせに足踏みする。そんな生き様がお似合いだとでも言うよ

雨音を聞くその時に、私が私であればいい

つんとした、空気の冷たさに目を細める。 子供の頃、雨が好きではなかった。 濡れたランドセル、浸水した靴、水浸しの廊下、鬱々とした空気。 成長した後も雨はいつだって私を憂鬱にさせていた気がする。制服が濡れ、ローファーの隙間からぐちゅぐちゅと音を立て溢れる泡に、心底吐き気がしたのを憶えている。 高い湿度、乾かない洋服、家路につく足が速まるのに気分は億劫。水溜りを踏んでしまえば尚の事。 でも子供の頃から私は、本当の意味で雨が嫌いなわけではなかったりする。 静かな部屋で電

腹を括る事で幸せになるのなら、何度だって括って楽園へ手を伸ばす

時折、一瞬で世界が変わっている事がある。 それは別に、一瞬で変わった訳ではなくて。知らない所で進んでいた物事への結末がこの目に映る瞬間。それが重なっただけのお話だったりする。 一人で少し遠くに行っていた。呆然と、世界を見ながら久し振りにノイズのない状態になれたと感じながらも車窓を眺める。生きていると色んな事を考える。見えもしない未来に不安を抱き、置き去りにしたはずの過去の選択、これまでとこれから。今日のご飯は何にしようなんて考えるのも煩わしい時があったりする。 最近気づ

深海を照らしていた光は今、心臓の真ん中で輝いている

忘れられない瞬間がある。 午後一時、靡く薄水色のカーテン、黒板を弾くチョークの音、水平線のような空、制汗剤の匂い、薄手のシャツ、誰かの寝息、静かな教室。 電気のついていない室内が陽の光だけで照らされている。優しいその光が、子供の頃からずっと好きだった。今でも陽が暮れるまで電気はつけないし、目安はキーボードを打ち間違えるくらい暗くなるまで。 小さな声、息遣い、酸素を求める魚のようにパクパクと動かして。その先には忘れられない人生の欠片がある。 当時はこんなにも憶えているよ

いつか、そんな終わりを迎えるために進む物語

金木犀はまだ散らない 夏が長引き秋は一瞬で消え冬は長く春は変わった。生きれば生きるほど、知っていた季節は消えていく。残っていた歴史は薄れ、標準は変化し、希望は時に点滅する青信号のようで、いつ赤になるか分からない。普通はいつの間にか姿を変えていた。 その昔。十数年前くらい。よく分からないけど26歳くらいで結婚すると思っていた。進学するかしないかは分からない。でも淡々と、有り触れた日常を生き求められた普通を選ぶのだろうと、信じてやまなかった。 やりたい事は特にない。焦がれる

僕の惑星には月光、君の惑星には木漏れ日

人は必要な時、必要な人に出会うと言いますが 因果応報を信じている。というより、確信している。 その昔、といっても数年ほど前。理不尽がきっかけで居場所を追われた事がある。振り返ってみれば私自身に一切の問題が無かったわけではない。けれどそれ以上に強い理不尽が、まるで断頭台へ跪き民衆の前で嘲笑うような形を持って訪れた。 その時知ったのは人なんて所詮我が身が可愛くて仕方ないから、理不尽も不条理も悪意、嘘でさえ、自分が刺されるのであれば暴こうとはしない事。真実は民意によって歪めら

羽ばたく願いの起源を知り、叶えるための物語を口にする

かの有名なオスカーワイルドさんが残した物のうちに、こんな言葉がある。 「人生は芸術を模倣する」 意味は人生が虚像で、芸術こそが真実。 何と捻くれた表現よ。ただ言い得て妙である。 元は「自然は芸術を模倣する」という言葉を引用して作られたのだが、現代において、特に日本に置いてはオスカーワイルドが残した言葉の方が馴染み深いだろう。 オスカーワイルドさんは多分、繊細で悲観的で、諦めを抱きながらも一縷の望みを、愛を捨てられなかった人なんだろうと残された彼の作品群を見る度思う。男色

砕け散るまで進んだ旅路の末、星が流れたら僕の勝ち

君は星。おおいぬ座のシリウス。 8.6光年先で輝き続ける、僕だけの一等星。 個人的な話をすると、星より月の方が好きだ。サイズ感とか光り方とか、色々あるけれど単純に圧倒的なまでの理想を体現しているような気がするからだと思う。 月は満ちて欠ける。いつか爆発して消えるかもしれない。でも、他の星々よりずっと安定感がある。人類が全滅しても地球が滅びても輝いてそうだし、何なら宇宙で大爆発が起きても生き残っている気がする。それくらい、ちょっとした図々しさがある。 美しい光は人々を魅了

銀河一等星の輝きを放ち砕け散れば、その時初めて君に届くのだろうか

忘れられない物事で埋め尽くされていく。人生とはそういうものである。その中で必要なものと必要でないものを脳が勝手に選択し整理して、時には必要だったものまで捨ててしまうから、思い出というものは残酷だ。おまけに脚色し、自分にとって都合のいいものへ変えていくのだから、人間は醜く浅はかな生き物である。 そんな、忘れられない物事があった。もう随分と薄れてしまった記憶。ただそこにいた人が、時間が、経験が。過去への旅に身を任せる度、事実であったと教えてくれる。 極たまに、隠しているわけで

積み重ねてきた時間が今を作った人を知っている

努力が嫌いだった。理由は簡単、頑張ってもレベルが上がっても、いつだって認められなかったから。積み重ねてきた時間全てが誠実なわけではなくて。毎秒素直に真っ直ぐに頑張れるわけがない。 人前で苦痛の滲む顔を見せる必要はない。誰にも知られず裏で積み重ねればいい。だってパフォーマンスは必要ないんだから。けれどそれは、ある種自分の首を絞めたと思う。 少年漫画だって何度も挫折し苦しむ姿を見せて成長していったのに。だからこそ愛されるのに。人は結局、誰かが頑張っている姿を可視化されない限り

初めて飛んだ日の事を、きっとずっと忘れない

飛ぶ 大してお腹も空いていないのに、数時間後には絶対空くと思い食事した結果絶望的なレベルで腹を壊した。ああ、無念。私はいくつになってもドカ食い気絶が出来ないのである。 大量の食事を摂り血糖値が爆上がりしてそのまま寝る事をドカ食い気絶と呼ぶらしい。一度はやってみたいけれど、これが出来たのは恐らく小さな子供の頃まで遡る。その後の人生は簡単だ。許容限界を越すと確実に腹を壊す。悲しきかな。満足感を抱きながら眠りにつく事は出来ないらしい。 ところで全然関係ないけど仕事用のPCばっ

石を穿った雨垂れが、涙だと他人は気づかない

削れるのはどちらか 雨垂れのような小さな滴でも、長い時間をかけて落ち続ければ岩にも穴があく。例え小さな事でも根気よく努力し続ければいつかは成功する事を言うことわざだ。 逆を言えば、どんな物事も突然落ちてくるラッキーは無く、小さくとも人から気づかれずとも続けない限りは成功しないという意味でもある。 そんな事は当たり前で、努力は続けない限り身にならず、続けた所で成功するわけでもない。人生は物語ではないから、必ず訪れるハッピーエンドなど存在せず、無駄撃ちするような日々が続く事

焼き菓子の香りに目を細め、幼少期の私が顔を出す

チョコレートが焼けた香りに、思い出は助長される 幼馴染と言われるような関係性の子がいた。誕生日は二日違い。近所の公園で出会ったその子は、瞬く間に一番の友達となった。 同じ幼稚園、何度も遊んで当時の私にとって彼女は最初の友人だった。 違う小学校に行き、それでも低学年の間は何度か遊んでいた。中学生に上がり私たちは別の世界を歩くようになった。用があれば話すけど、関わりはまるで他人のよう。そういうものだと思いつつ、当時のようには戻れないと少しの寂しさがあった。 ともかく、彼女