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積み重ねてきた時間が今を作った人を知っている
努力が嫌いだった。理由は簡単、頑張ってもレベルが上がっても、いつだって認められなかったから。積み重ねてきた時間全てが誠実なわけではなくて。毎秒素直に真っ直ぐに頑張れるわけがない。
人前で苦痛の滲む顔を見せる必要はない。誰にも知られず裏で積み重ねればいい。だってパフォーマンスは必要ないんだから。けれどそれは、ある種自分の首を絞めたと思う。
少年漫画だって何度も挫折し苦しむ姿を見せて成長していったのに。だからこそ愛されるのに。人は結局、誰かが頑張っている姿を可視化されない限り気づかない。気づく人は周りを良く見ているか、同じ道を通って来た人だけ。
竹刀を握った手がまめだらけで硬くなっていたように、爪先に血が滲んでいるように、履き潰した靴、傷だらけのボール、小さな傷。それに気づける人は少ない。人は自分の事で手いっぱいだから。誰かの事なんて見てる余裕もなかったりするし、後単純に自分が可愛ければ可愛いほど他人の努力には見て見ぬ振りをする。
見た目に出るまで頑張れば良かったかな。ぽつりと呟いた子供が地面を見る。でもそこまでしたって欲しい物が貰えるわけではない。だって私が頑張って頑張って辿り着いた場所で貰える物を、誰かは一歩踏み出した先で貰えている。
そしたらもういいんじゃない?走っても、這いつくばっても、そこに望んだ物が無いのなら頑張る意味なんて無いよ。瞬きをして踵を返す。そこからは簡単だった。
そもそも勉強(理数系)を除けば大抵の事は少しやっただけで人並みに出来た。運動は顕著だった。ただボールが小さくなればなるほど空間認識能力が無いので出来なかったけれど、それでも大体のレベルまで出来た。
レベル1で始めたゲームで、街を少し歩き敵を倒しただけで20レべくらいになれる人間。そういう存在だった。だからレベル10に辿り着くまで必死になる人の気持ちが分からなかったし、ぴゅっとやればいいのでは?と本気で思っていた。
けれどそれは人から嫌われる代表的な特徴でもあって。何で出来ないの、なんて言われる方がどんな気持ちになるのか今なら分かる。貴方はいいよね、だって努力しなくてもそこにいれるんだもん。何十回と聞いた台詞、何百回と向けられてきた視線。
でもどうだろうね。確かにぴゅっとやったら20レべになれるけど、そこから進む速度は同じ、もしくはそっちの方が速い可能性だってある。ウサギと亀の話と同じ。驕ったわけでもないけれど、そこから先レベルアップをしようと思わなければずっと20レべで終わるだけだ。
だから面倒で適当に笑った。別に汚い部分を見せる必要もないし。そうして続けてきた人生の中で、唯一努力しているとは思っていないけれど、他人から見ればずっと努力していると言われる物に会った。
汗水垂らす瞬間など見なくていい、綺麗な所だけ見とけばいい。私は私が無我夢中で走る様を見せてアピールしたいわけじゃない。だって努力じゃないんだから。これは私が私のためにやってるんだから。お涙ちょうだい展開なんて求めていない。息をするのと同じなんだ。
すると人は言った。才能がある、何も困ってないのに、大して努力もしていないのに。汚い部分を隠した結末はこれだ。勝手に嫉妬して、羨望を向け、指を差した。勝手に断頭台に上げようとした。石を投げられた日もあった。
理解されない瞬間も、裏切られた事だってあって。差し伸べられた手に気づかず、自分で立たなきゃと唇を噛み締めた。欲しい言葉は貰えないもので、欲しい物は自分で獲りにいかないと手に入らなくて、だから歩いていたのに、這いつくばったのに。
知りもしないくせに、顔のない言葉たちから傷つけられた。その度に思う。何で言われるんだろうな。勝手に文句言って、何でこっちが嫌な気持ちにならないかんのやろ。
何で、私の人生に必要のない言葉ばかりが聞こえるんだろう。
今でもずっと、そう思っている。きっとずっと、死ぬまで思い続けるんだろう。言われる度、勝手な嫉妬をされる度、訳の分からないヘイトを向けられる度に、こう思うんだろう。
やっぱり人間ってそんなもんだよな、君も僕も皆そんなもんだよ。
理解者もいないんだろう。駄目だと思った時、泣きつける場所は無いんだろう。結局また1人で立つんだろう。それを繰り返すんだろう。
ずっとずっと、根底ではそう思っている。
けれど最近、積み重ねてきた事が少しずつ今を作り始めたのに気づいた。相も変わらず指を差されても、それに対してカバーを入れてくれる人がいる事、純粋に自分の才能を信じてくれる人、本気で心配してくれる人、でも頑張ってるじゃんと、見ていてくれた人がいた事。
数年前までは考えられなかった話。
でも思うのは、そんな人たちが周りにいてくれる環境を作れたのは、根底では絶望しながらも、走り続けた自分がいたから。欲しかった物が、言葉が、届かないと思っていた先へ、積み重ねてきた時間がそれを可能にさせた事。
大事にされる人間にしてくれた事。
文章には人生が映し出されると思う。いつか誰かが言った、
「幸せな人生を歩んだ人は、小説の一行も書けない」
のように。
「涙と共にパンを食べた事のある人間でなければ、人生の本当の価値は分からない」
とゲーテが言ったように。
芸術は往々にして人間性が現れると思う。生き様は顔に出るのと同じ理論。ひた隠しにして来た弱い心も、芸術には現れてしまうと思う。
なので笑っちゃうくらいに私の文章はしっかり人間性と面倒な思考回路が現れているのだが。でも、これが誰かに届いてほんの一瞬でも心を動かしているのなら、私の心は少しでも報われるだろう。
人を知った上で、文章を読む事が増えた。意外にも、文面に滲み出る書き手の人間性に気づかない人は多い。書き手を知っていれば分かるものだと思っていたけれど、どうも違うらしい。
不思議な物だと思いながら読み進める。ああ、この人だと思う。どういう意図で書いたのか、どんな気持ちを抱いていたのか、文字の羅列を目で追う瞬間、感情と情景が浮き上がり消えていく感覚。
積み重ねてきた時間を実力へ結びつけた結果、そこにいる人を知っている。
文章はその人。異次元のセンスや圧倒的に輝くものは見えない。けれどそれを感じずとも、圧倒的に積み重ねてきた時間で素晴らしい物を作り上げていた。
例えるなら何百枚、何千枚と積み重ねた原稿用紙。赤字が入り、何度も書き直しインクも滲んでいる紙が机の上に重なり上へ行けば行くほど洗練されていく。
凄いと思った。
きっと、私にはまだ書けない文章。同じ歳になっても、書けないかもしれない深み。その人にしか出せない色。色鮮やかな物ではないのかもしれない。けれど、圧倒的に頑張って来た人の文章だった。
言い回し一つ取っても気づく努力の欠片。歩んできた人生という背景。人に見せる一面、見せない一面。生来の性格。全てが相まって、その人にしか作れない文章が形作られていた。
ああ、だからか。だから気づくんだ。私は何となく、書き手の事を考える。
沢山頑張ってきた人だから、同じように走ってきた人間のちょっとした変化に気づけるんだ。
大概の事はまあどうしようもないと割り切って接する私とは違う、その人だから書ける文章に私は尊敬の念を抱く。
きっと始まりはレベル1で。どれくらいのスピードでレベリングしたのかは知らない。選択したジョブも、似たようで多分違う。ノリで言うと、杖を持って戦う魔法使いか、剣に魔法をまとわせて戦う魔法剣士くらいの感じ。
それでも魔法界で、たった一つの魔法を放つために、たった一つの魔法を極めるために時間を積み重ねてきたのは同じだ。
魔法はどこまで極められるだろうか。どこまで遠くに放てるだろうか。願わくばレーザー一直線のビームより、空から金平糖のような星が降り笑いながら掴めるような、桜流しのような、そんな魔法がいい。
そんな魔法で、物語を届けたい。
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![優衣羽(Yuiha)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72562197/profile_e54491ccb68ce05a148717f2e8a06c56.jpg?width=600&crop=1:1,smart)