【短歌+】正しさトーナメント
正しさのナイフで脅し合っている人を包めるフェイクファーの白
正しさが厄介なのって、「正しさ」が一つではないから、と思います。
たとえば宿題をすぐにやって、あとはダラダラしたいのと、今すぐダラダラしてから、ギリギリでやるのも、どちらもそれが「正しい」と思ってるはず。
それぞれ「正しさ」を持っているのだけのことなのに、それは「正しくない」と言い始めると争いになる。
わかっていつつ、喧嘩になるのは、そんなふうに正しさをお互いに主張し始めるとき。よくないなあ、と思いつつ、「でも、だって」って隙を突こうとしてしまいます。
正しさって怖い。
正しいほうが偉いって思いがちで、正しさトーナメントを勝ち抜くしか、正しさが証明されなくなる。証明のために、相手を平伏すまで脅し合う。だけどトーナメントで勝っても、正しさは無数に存在する。
「正しくなくても、それでいいもの」、そういうものが大事に思える。たとえばリアルファーじゃないとわかっている、フェイクファーの心地よさみたいな。たとえば擬態する昆虫の、美しさみたいな。たとえば間違った解答の、斜め上の発想みたいな。たとえば、おもちゃ箱をひっくり返して、部屋中散らかし放題の子どもみたいな。
正しさトーナメントをやめたとき、世界はきっと調和するんじゃないか。自分の中の悪や欲もまるごと、認めたときに。
そんな気がするので、やめてみます。
優勝なんかは一切目指しません。