病欠で幼稚園を休んだ息子が描いた絵
カラッとした晴れ間で、洗濯日和な1日。
しかし、息子の調子はいまいちで、幼稚園を休ませるか迷っていた。
一昨日から喉の調子が良くない。
昨日まで何とか持ちこたえていたが、今朝になって咳がとまらなくて、しんどそうだった。
「今日は、ちょっとひどいからお休みしようかな、、、。」
そう息子の方から言ってきた。
そうだね、
熱は無さそうだし、食欲もいつも通り。
でも、唾を飲み込むと喉が痛いのと、たまに咳が出て声も枯れている状態。
幸い、夕方に病院の予約をしていたから、薬を貰えば、直ぐに良くなるだろう。
こうして今日は1日息子オンリーの予定となった。
息子は元気だから、
「何して遊ぼうか?」
そう笑顔でお誘い。
元気なら、郵便局へ振り込みにも行きたいし、図書館の本も返しに行ってしまいたい。
だが、息子に外へ出るのは却下された。
洗濯と洗い物を済ませる間、息子は画用紙に文字を書いたり絵を書いたりしていた。
少し前まで、泣きながら文字を練習していたし、絵なんて全く書けなかったのに、とても可愛らしい双子ちゃんを描いていた。
目を見張る成長って本当だね。
ようやく家事が片付いて、一息つこうと思っていたら、
「なにして遊ぶ?」
待ち構えていたように再び、お誘い。
二人で粘土遊び。なかなかの作品が完成した。
一人で暇な時には読書もするようになった。
5歳児の愛読書にしては、なかなか渋い。
ゲームとYouTubeを見ている時だけ、私に休憩時間が与えられる。
そんな生活をしていたらいつの間にか、子育て以外にやらなければならないことも、やりたいことも無くなって、母親以外の何者でもなくなっていた。
今は、副業としてパーソナルトレーナーを行っている感じだ。
子どもの有無に関わらず、フリーランスという働き方を確立出来たことは、私の人生の中で一番の功績だろう。
高齢出産で良かったことは、仕事のキャリアが確立されていて、余裕を持って子育てに励めていること。
もっと若かったら、きっともう一人ぐらい産んでいたであろうが、きっと今ほどの余裕はなかったはずだ。
運命はすべて決まっている。
自分の思い通りにしようと、タイミングをねじ曲げたとしても、きっといつかその歪みが現れる。
齷齪しなくとも、その時が来ればそう成るもの。
頑張っても上手く行かない時はいかない。
何もしていなくとも、上手く行く時はいく。
そうやって見えない流れに乗って生きていくしかないのだと、四十も半ばにして気がついた。
暫くすれば、息子が私を遊びに誘うこともなくなるだろう。
『子育て以外、全て後回し。』
今は、そんな時期。
息子が大きくなって、私の事など相手にしなくなった時、1ミリの後悔も抱かぬように、飽き飽きする程、今息子と遊んでおく。
そんなことを思って過ごしていたら、息子の咳は消えて、ほぼいつも通りに戻っていた。
YouTubeを見て、昼食を終えたら再び、
「また、ママと遊びたいな。」
息子の遊び相手は眠りに就くまで、エンドレスに続くだろう。
何も成し遂げていない1日は、ダメ人間のスタンプを心に押してしまいそうになるが、息子と一緒に居るだけで、心は満たされている。