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「やってみたい」を「やってみる」

今後どうなりたいですか?
何を目標としていますか?

と、かしこまって聞かれると返答に困ってしまう

誰かに言われた訳でもないのに
立派な回答でないと。
みんなと同じようなできた子にならないと。
大きな夢でないと。

なんて、決まった答えがないはずの問いに
いつもうっかり模範回答を探している

きっと心の何処かで
レールから外れたくないと思っているからだろう

ちょっと、待って、私
そもそも誰かレール敷いたっけ?

ありがたいことに裕福な訳ではないが
家族には愛をもって育ててもらった

今思えば、両親は何かを指示することはなく、
こうなって欲しい、あそこの学校に行って欲しい
就職して安定して欲しい
なんてことは1回も言われたことはない

だからと言って私に無関心ということではない

そうだった、
レールを敷いたのは私自身だ

何がしたいかどうなりたいかじゃない
少数派になりたくない、みんなと同じがいい

そんな、目的地も決まっていないのに
外れることは出来ないレール

いつからそう思うようになったのかは
覚えてはいない、
気が付いた時にはもうそうなっていた

私が描くレールに沿って進んだつもりでも
模範生にはなれなかった
勉強も運動も得意ではないし、
学歴もないし、秀でた資格もない

そして自分自身で作り上げた理想や
模範生にみえる友達と比べて劣等感に苛まれた

体力的にも追い込まれていたこともあり
張り詰めた糸が切れたかのように
なにも出来なくなった
明日を過ごす気持ちが途絶えたようだった

そこまで落ちて、はじめて
当たり前のような言葉の意味を知った

私はあなたではないし、あなたは私ではない

今走っているレールから外れることは
何も悪いことではない
でも、私にとっては今までの私を否定するような気がしてならなかった

そんなことを考えていた私だが、
立ち止まってしまった今、
自然とレールはなくなったようだった

よし、もう気にすることはない
今まで自分の気持ちに気が付かないように
過ごしていた日々の
「やってみたい」を「やってみる」のはどうだろうか

よし、留学してみよう

短期なんて遊びでしょ?
今更英語勉強してどうするの?
コロナ禍でなんで今?

周りからそう言われたが
今の私には全く響かない言葉たちだ

「やってみたい」を「やってみる」ことにした

進むレールがなくたって、私は私だ

これを書きながら、少しだけ自分を好きになれた
私、ちょっとだけかっこいいぞ

そんなこんなで、コロナ禍留学中の私は
フィジー🇫🇯におります

ハプニング満載フィジー体験談も
更新していきますね!

最後までお読みいただきありがとうございます
以上、ゆーふぃでした

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