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共通性の中の多様性

先日、詩の朗読と即興演奏についてと言う記事を書かせて頂きましたが、そのライブハウスでの一コマの話です。

こちらのイベント、鍵盤を弾く方の少ないライブイベントで鍵盤演奏が私のみと言うこともあります。

が、先日のライブでメインのゲストを務められたユニットさんがいて、鍵盤を演奏されるので興味津々だったのと同時に、ほんの少しばかりの焦り…と言うものを感じました。

元々詩の朗読や舞踏系の方が大半を占める中で、同じ鍵盤による表現…そして、そちらのユニットを引き立てつつ、自分の色も出しつつするためにはどうすれば良いか…その部分の立ち位置について、かなり考えを巡らせました。

まずはそちらのユニットさんの曲調を聴いてみて…と思ったのですが、順番的に私の方が先の出番となりました。

…結果導き出したのが、他の方の作品に楽曲や詩を付けたものの弾き語りでした。
ただ、その内容について通常披露している・求められている表現と若干方向性を違えてしまいました。

そして、その後メインのユニットさんのステージを聴いたのですが、全く毛色が違いました。
とても神秘的で、弾き語りと言うよりも、鍵盤を使った音響に囁くような詩が乗る…そんなステージで惹き込まれました。

その後、ユニットさんと交流させて頂きまして、私がとても気に入った旨を伝えたのですが、そうしましたら鍵盤担当の方から、全く表現が違ってカッコいいとのご意見を頂戴しました。

そして、珍しくライブハウスのオーナーさまにも「次回の内容や曲調のご要望がありますか?」と質問をしてしまいました。

その後、間を置くこともなく「yuccoさんの表現したいもので大丈夫ですよ」と回答頂きました。

世の中のニーズや、複数の出演者の参加するイベントでのバランス…
そこら辺の事を考え過ぎるは杞憂だったと、若干の反省を伴いながら心に折り合いを付けました。
このような話をすると、こちら前に書いた記事の考えに至るような気がします。

恐れずに表現した事が、誰かと共通点を持っていたとしてもそれはそれで偶然性があって面白い事だし、また共通点があってもその中には、抗えない多様性も含まれていると思いました。

個性は、どこかで重なっていてもどこかは違う…だからこそ面白いのですね。

今回は半ば悩みの吐露になってしまった気がしますが、この様に個性や多様性について考えを巡らせている方がいましたら励みになりますし嬉しいです。

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